最悪の黒-124_下山
登頂も酷かったが下山もまた酷かった。
朝日が昇りきった後も楽園のように心地好い山頂で言葉を交わしていたハクロとルネだったが、そろそろ下山しなければ午後に予定されている王都での祭事に間に合わないのではないかと腰を持ち上げた時だった。
ハクロの全身を巨大な手で握られているかのような圧迫感が襲った。
言わずもがな、ルネの魔力操作による拘束である。
「おい、待て。お前まさか――」
「口を閉じねば歯の根まで凍り付くぞ! ははははは!」
瞬間、慣性の法則により魂までその場に抜け落ちてしまいそうな急加速によるGが全身にかかる。そして消し飛びそうな意識を気力と自前の身体強化により何とかつなぎ止めた。
目まぐるしく変化する景色に驚嘆する暇もなく、ギリリと歯を食いしばる。
行きも同じく魔力操作による超特急の飛翔という馬鹿馬鹿しい技能によって八合目まで連れてこられたわけだが、帰りはそこに重力加速度が加算された。
決して悲鳴など上げてやるものか、呻き声一つでも上げたらルネは調子に乗って速度を上げるだろう。
吹雪と魔力風で大荒れだった八合目から中腹までをものの数秒で突き抜け、言葉通りの意味であっという間に州都の煙突だらけの街並みが見えてきた。
だがルネは一切速度を緩める気配がない。
瞬き一つする間に地面はどんどん近付いていく。
「――ッ」
ここまでは我慢できたハクロだったが、ついに喉の奥から絞り出すような息遣いを発してしまう。
それを耳聡く聞きつけたルネは口の端をニィっと吊り上げ、ここに来てさらに上げる。
着陸という名の激突までコンマ未満――そんなタイミングで発射と同じく、物理法則を完全に無視したような急停止による負荷が全身を襲う。
気持ちの上では慣性により魂が肉体から飛び出て地の奥深くへと突き刺さった気分だった。
「無事帰還だ! ははははは!!」
「……ッ、……ッ」
しかし地中奥深くへ旅立ちかけていた意識がルネの高笑いにより強引に引き戻される。
魔力操作による拘束は既に解かれているが、ハクロは四肢を地面にだらりと弛緩させたまま呼吸もままならず起き上がれない。
「ハ、ハクロさん!?」
と、歪む視界の中で薄茶色の毛色が駆け寄ってくるのが見えた。
水色の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「リ……」
名を呼ぼうとしたが舌が上手く回らない。自分で思っているよりも重症のようだ。
「バーンズさん! ちょっと来てください!」
「お、おう!」
さらに呼びかけに応じて焦げ茶色の毛色が加わる。
そして小柄な癖に安定感のある腕が脇の間に差し込まれ、ひょいと全身が持ち上がった。
「ルネ様、何があったんですか!? ハクロさんがあんなグロッキーになるなんて普通じゃないですよ!?」
「はっはっは! なに、ちょいと山頂からここまでひとっ飛びしてきただけだ!」
「……すげー。ってことはハクロさん天辺まで付いて行ったんか」
ハクロを肩に担ぐバーンズが呆れと感嘆入り混じる溜息を吐くも、ハクロの頭の中は別の事で一杯になっていた。
決めた。
いつかあの傍若無人な傭兵王女を振り回し、ぎゃふんと言わせてやる。
そんなしょうもない決意と共に、ハクロの意識はついに完全に途切れたのだった。





