最悪の黒-005_オトズレビト
「「記憶がない!?」」
目を覚ました男から話を聞いたリリィとカーターは揃って声を上げた。そしてリリィは真っ先に謎の液体Xを飲ませたリリアーヌをキッと睨む。
「師匠!!」
「おやおや、私のせいだって言うのかい?」
「他に何が原因だって言うんですか!」
「青年、君がフロア高原でこの子を助けたのは覚えているかい?」
「あ、ああ。縛られていたのを解放したのは、何となく……」
「それなら私のシチューのせいじゃないね。シチューを口にする前の記憶はあるのだから」
「これシチューだったのか……」
カーターが部屋の片隅でズモモモモと紫の煙を発し続ける皿を見て顔を顰める。あとで灰と石灰を混ぜて地中に厳重に封印しようと思って脇に寄せていたのだが、さっさと処分すればよかった。部屋中に悪臭が充満している。
「ともかく……記憶がないんじゃあ取り調べも何もできねえなあ……」
「取り調べ……?」
「ああ、すまん、不安にさせちまったか? 別に悪い意味じゃねえよ。むしろあの傭兵崩れどもを捕まえることができて感謝してるくらいだ。連中、傭兵ギルド本部からも懸賞金かけられてたからな。その賞金をどうすっかなって話になるだけだ」
「そうか。あの高原で目を覚ましてふらふらと歩いていたら突然襲われたもんだから、殺されないように抵抗しただけなんだがな……」
「抵抗しただけ……」
それであの人数を圧倒したのかとリリィは呆れ返った。しかも魔力酔いで本調子ではなかったはずなのに。
「あ、でしたら明日またその高原に行くので、一緒に行ってみませんか?」
「うん?」
リリィの提案に男は首を傾げる。
「その、目を覚ました場所に戻ってみたら、何か手掛かりがないかと思いまして」
「あー……まあ、何もしないよりかはマシか。それに」
と、男は柔らかな笑みを浮かべた。
「どっかの誰かさんがまた野盗に襲われないとも限らんしな」
「むぅ……そんな今日の明日でまた襲われたりなんか――」
「はっ!?」
言いかけたところで、カーターが息を呑む。
「カーターさん?」
「ちょ、ちょっと今日は一旦詰所に戻るわ! ギルド支部にも問い合わせして……と、とにかく、詳しい話はまた明日するわ! じゃあな!」
口を滑らかにし、リリィが淹れた茶を一気に飲み干して立ち上がるカーター。一体何があったんだろうと首を傾げるリリィに、リリアーヌは「何か気付いたんだろう」とクスクスと笑った。
「何かってなんです?」
「さあ。私たちに関係あることなら今ここで言うだろうから、まあ内々の事情なんじゃないかい? それよりリリィ」
「はい」
「台所、片付けておいてくれないかい?」
「……師匠?」
「私がやってもいいんだが、明日食器を買い足す必要が――」
「大人しくしていてください!」
ガタンと椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、そのままキッチンへと小走りで向かうリリィ。その背中をひらひらと手を振りながら見送ったリリアーヌは「さて」と笑みを浮かべながら男に向き直る。
「そろそろ名前を教えてくれてもいいんじゃないかい?」
「は?」
「名前。名前くらいあるんだろう」
「はあ。そう言われてもなあ、記憶がねえんだから名前も――」
「そういうの良いから、オトズレビトさん」
「……なんだって?」
「おや、上手く翻訳できなかったかな? オトズレビトの現代語訳は確か――」
リリアーヌは、にこりと笑う。
「異世界人、だったかね」
「…………」
男は一瞬不意を突かれたような表情を浮かべた後、にぃ、と軽薄な笑みを浮かべた。