最悪の黒-120_ただいま
「ふむ! これは実に便利そうな魔術だな!!」
スパーン! と窓が外側から開け放たれ、両手両脚の代わりに鎧の手足を浮かせた王女が侵入してきた。
「姫様!?」
「びっくりしたあ!?」
「……なんでここにいんだテメェ……」
バーンズとリリィは驚愕で目を見開き、ハクロは眩暈を覚えて目の間を指で揉む。一方のティルダは特段驚きもせず「あ、ルネちゃん……!」とハクロに抱きかかえられながら手を振っていた。
「さっきから窓に張り付いて中の様子を窺ってたぞ」
立ち位置的に窓の外が見えていたらしいヒャッケンが軽薄な笑みを浮かべて肩を竦める。
拠点の警備関係の術式によって外部に対する警戒が疎かになっていたハクロの落ち度ではあるが、王都に戻っていたはずのルネが数日と間を置かずにハスキー州都に戻ってくるとは聞いていない。というかシキガミの癖に本体に報告を怠るな。そんな反応パターンは……思い返せば組み込んだかもしれない。
「んで何の用だ。王都での公務があるんじゃねえのか」
「年内に終わらせなければならぬ作業や式典は全て終えた。年始の祭事に対する出席はあるが昼からである故、明日の午前中は不在でも構わぬ。諸官に対する新年の挨拶も年明け4日に行うのが通例だ」
「そうかい……」
つまりはルネも束の間の安息日というわけである。だとしてもいつの間にこちらに戻って来たのか、ハクロも気付かなかった。流石に拠点内の転移魔方陣が起動したら気付かないわけがないため、またぞろ知事局内の陣を使用したのかもしれない。公務でもないのに。
「それで、これが貴様の持つ異世界の魔術の一端か」
ハクロの腕の中からひょいとティルダを取り上げ、鎧の腕で抱き抱えながらルネはソファに腰かける。ルネの座高だとティルダの後頭部は鼻先の辺りになるため流石に気恥ずかしそうに俯いていた。
「ほう……なんとも美しい術式だ。構築式の文字は読めぬが、そこに込められた概念密度が桁違いだな」
「や、やっぱりルネちゃんもそう思うよね……!? 一見するとぎゅうぎゅうに圧縮されてるようにも見えるんだけど、でもどれ1つとっても互いに反発し合わない配置になってて、むしろ織物みたいに綿密に計算されて相乗効果が生まれるように構築されてるの……!」
「ああ、勿論余にも見えているぞ。ふふ、ティルダよ。良い物を貰ったな」
「うん……!」
ルネの腕の中で興奮気味に振り返り、シキガミの構築術式について語らうティルダ。
そしてルネはおもむろにヒャッケンに手を伸ばすと――ミシッと頭部を鷲掴みにして己の魔力を叩き込んだ。
「こうか?」
「おわっ!?」
「……マジかお前」
バチバチと小規模な魔力暴走が発生して火花と煙が立ち込めたが、それもルネによって即座に鎮圧される。
そして視界が晴れた部屋に先程までのヒャッケンの姿はなく、代わりに赤交じりの金髪を炎のようにうねらせたエルフの少女が腕を組んで仁王立ちしていた。
「は!? おい、なんだこれ!?」
肉付きのやや薄かった少年体型からさらに小柄な少女の体つきに変貌させられたヒャッケンが自分の手足に触れながら困惑の声を浮かべる。
「は!? おい、なんだこれ!? は!? おい、なんだこれ!?」
「おいハクロ。同じ言葉を繰り返すようになってしまったぞ」
「外見情報を上書きされるなんて状況想定してねえからバグってんだわ。つーか当たり前みたいに人の術式の制御奪うな」
「は!? おい、なんだこれ!?」
「ああ、ダメだこりゃ。一旦消すぞ」
少女のルネの姿になってしまったヒャッケンの肩に手を置き、制御を奪取しながら術式を停止させる。その際に高い負荷が発生してしまい、術式が記された紙切れが燃え尽きて煤となって消えてしまった。
「あぁ……消えちゃった……」
ティルダが残念そうに指を口元に沿えて落胆する。
「解析用にまた書いてやるよ」
「あ、うん……それもそうなんだけど、ちっちゃいルネちゃん可愛かった……」
「そっちかよ」
その様子を眺めながらバーンズが小さく溜息を吐いた。
「つーかしれっと言ったけど、やっぱ姫様はハクロさんが異世界人ってこと知ってたのか」
「傭兵大隊に勧誘されたその日のうちに気付かれましたね」
「流石……」
リリィの答えにバーンズは肩を竦める。
今まで色々な出会いを経てきたが、一目でハクロの正体に気付いて指摘したのはリリアーヌとルネの2人だけだった。
「……んで、何の用だって?」
「ああ、すまぬ。話の途中であったな。それで余がここに来た理由なのだが、まあ何ということはない。験担ぎのようなものだ」
「験担ぎ? 何のだよ」
「あ」
「……う」
「え?」
ルネの言葉に何かに気付いたらしく、バーンズは視線を逸らしティルダはルネの腕の中で硬直する。2人のあからさまな態度にリリィは首を傾げたが、既にルネは標的を定め終えていた。
「そうだな。……ふむ、決めた。今年はハクロ、貴様を連れて行く!」
「は?」
「防寒具を準備せよ! 貴様であれば問題なかろうが、身体強化込みでも冷えるぞ!」
「いや、だからどこに――アダダダダダ!? 力加減覚えろいい加減!!」
鎧の腕が浮遊し、ガシッとハクロの両肩を鷲掴みにする。出会った時と変わらない力が肩の肉に食い込み、思わず悲鳴が上がる。
しかしそれ以上疑念の声を挟む余地もなく、ルネは太陽の如き快活な笑みを浮かべてこう言い放つのだった。
「初日の出を拝みに行くぞ!!」





