最悪の黒-119_式神
巻き起こった風が、発生した時と同じく前触れもなく鎮まる。
そして部屋の中心に今までいなかった人影が立っていた。
「…………」
黒髪に黒い瞳、さらにハクロとそっくりな顔立ちの少年だった。やや小柄なバーンズよりもいくらか小さく、さらに顔つきや体つきもいくらか幼い見た目をしているが、もし同じ背丈と年頃をしていたら見分けはつかなかっただろう。
少年はしばし己の両の掌に視線を落とすと、「おい」とハクロに不満げな声を上げた。
「なんだこの中途半端な術精度は。舐めてんのか、なんでこんな縮んでんだ」
「ま、ありあわせの紙とペンならこんなもんだろ。儀礼済みの和紙と筆に墨なんてこの世界にないからな。それに今回は使役じゃなくて開示だ。精度はほどほどで問題ない」
「ちっ……見世物じゃねえんだぞ」
ハクロとそっくりな口調と顔つきで悪態を吐く少年。そしてハクロ以外の3人がポカンと眺めているのに気付くと、少年はやはりそっくりな軽薄な笑みを浮かべて両手を広げた。
「初めまして、と言っておこうか。俺は百見、タツミヤハクロの式神だ」
「あ、えっと……」
しかしその名乗りに困惑しながらリリィが小さく手を挙げる。
「すみません、ハクロさん……」
「ん?」
「彼がなんて言っているのか分かりません……」
「あ? 何だって? おい本体、こいつ今なんつった?」
「…………」
ハクロと少年が無言で同じ顔を見合わせ、ハクロが「あ」と手を打った。
「翻訳魔術かかってねえから言葉が通じねえのか!」
「ふざけんな本体!!」
額に青筋立ててがなり立てる少年。しかし己のうっかりミスを笑って流しながらハクロは指先に魔力を込めながら追加の術式を少年に付与する。
「いやあ、悪い悪い」
「いいからさっさとやれ!」
「待て待て。シュージの翻訳魔術やたら細かいから書き足すの面倒なんだよな」
「……クソ。しばらく使われない間に腑抜けたんじゃねえのか」
「はっはー。……俺にもそう見えているなら何よりだ」
一瞬だけハクロの声に薄ら寒い何かが混ざったような気がしたが、パンと手を打つといつもの軽薄な笑みに戻っていた。そして改めてハクロから少年の紹介がなされる。
「改めて、こいつはヒャッケン。俺のシキガミの1人だ」
「……どーも」
ぶすっと不機嫌丸だしな口調で会釈とも言えないような微妙な角度で首を動かす。
リリィはハクロと少年――ヒャッケンを見比べながら質問を再度投げかける。
「そ、それでそのシキガミっていう魔術ですけど……ま、まさか、ハクロさんが2人に増えるってことですか……?」
「んー、まあ当たらずとも」
「遠からず、かね」
「……ふ、ふひひ……!」
わざとらしく交互に受け応えたハクロとヒャッケンに、今の今まで茫然と眺めていたティルダの口から引きつったような笑い声が零れた。見ると、彼女は爛々と瞳を輝かせ、興奮のあまり鼻腔からたらりと赤い雫が垂れ落ちている。
「ティルダさん!?」
「お、おい大丈夫か?」
リリィが慌てて駆け寄り、ジャケットのポケットに入れていた簡易医薬セットからガーゼを引っ張り出し、丸めてティルダの鼻にそっと押し込んだ。
しかしそれには全く反応を示さず、ティルダはただただ恍惚とした表情でブツブツと何やら唱えていた。
「……しゅご、い…………見たことない、綿密な術式……構成する文字は見たことないのに、とっても綺麗に整えられてて……でも、その情報量が…………ああ、ダメ……ウチの語彙力じゃ、とても言い表せない……しゅ、ご……すごい、としか…………!」
「ティルダさん!?」
「おーい、ティルダ!? 戻ってこーい!?」
「……は!?」
リリィが肩を軽く揺らし、バーンズが目の前で何度か手を叩くことでようやく正気に戻ったティルダ。しかしすぐに目の前にいたヒャッケンを見て再びとろりとした表情を浮かべて「ぅへへ……」と口元を緩めてしまう。
「喜んでもらえて何よりだ」
「ハ、ハ、ハ、ハクロしゃ……こ、こんなじゅっ、術式……教えてもらっていいの……!?」
「ああ、もちろん。お前さんならルネのために正しく使ってくれそうだ」
「でゅ、ふ、ふふ、ひ……! じゃ、じゃ、じゃ、さっそく、か、確認……!」
「おう、何だ?」
緩んだ口元から変な笑いと荒い息遣い、ついでに涎まで垂らしながらティルダがハクロに訊ねる。
「さ、さっきハクロさんと彼……ヒャッケンさん……は、まるで別の人同士みた、いに……対話してたけど……も、もしかして……人格、を転写してるの……!?」
「ふむ。さっきのリリィの質問にも重なることだが、実はそういうわけでもないんだ」
ハクロはポンとヒャッケンの肩に手を置く。ヒャッケンはそれを鬱陶しそうに払い除けるが、構わずハクロはでかい図体で無理やり抑え込むように肩を組んだ。
「俺の言動を元に術式構築してはいるが、人格その物を丸ごと写し取っているわけじゃねえんだ。人格ってのは魂の情報だ。俺がどんな場面でどんな行動をとるかなんて俺にだって分からない。その日の気分によって多様に反応が変化するのが人格だ。それを全部術式に落とし込むなんて不可能に近い」
ハクロの元居た世界では人工知能と呼ばれる科学技術の開発が熱を帯び始めようとしていたところだが、それも数年前まではフィクションの中での創造物でしかなかった歴史の浅い代物だ。科学とは対極に位置するのが魔術だが、対極であるために万能ではない。
科学で再現が困難な事象を魔術でも再現できないという事例は意外と多いのだ。
「だからこいつにできるのは、『この場面であれば俺ならこう応える』という想定を元に組み込んだ2000パターンほどの反応だ」
「2000!?」
「それを1つ1つ術式として付与してんの!?」
「はっはー。驚いてもらってるとこ悪いが、俺はシキガミとしては初期に生み出された術式だ。俺より後に構築された連中はもう少し反応パターンが増えてんだ」
「まだ他にもいるんですか!?」
「ヒャッコウとヒャクギョウ、あとヒャッコウか? イッコウはまだ完成してねえんだっけか?」
「ああ。人型で実用可能なのは4体だな。観測用のヒャクブンは鳥型だしな」
「……なんでヒャッコウで名前被りしてんの?」
「字が違うんだよ。……これはこっちの世界じゃ通じにくい概念か」
ともかく、とハクロは言葉を区切る。
「シキガミの術式の真価は想定した行動を自律的に繰り返すことじゃない。むしろそっちはおまけだ」
「おまけ!?」
「そりゃそうだろ。どんな反応だって俺自身がその場で返す方が確実なんだからな」
「そりゃ、まあ……そうだろうけど……でもじゃあ何でこんな術式作ったんだよ」
「俺のシキガミの真骨頂――見聞きした情報をそのまま術者に伝達が可能という機能だ」
至極真っ当な疑問を投げかけるバーンズに、ハクロはさてと言葉を選ぶ。
「俺は元居た世界では一時だが魔術ギルドのような教育機関に所属していたことがあってな。……知識は力だ。少しでも多くの知見を得るため、カリキュラムには関係ない授業に紛れ込むことがちょいちょいあったんだが、同じ時間帯に実施されてる別の授業に出席するには身一つじゃ足りんだろ?」
「……え、まさか……」
「シキガミを放って最大5つの授業を同時に受講していた」
「馬鹿じゃねえの!? いや、やってることは頭良いのかもしれねえけど、けどやっぱり馬鹿じゃねえの!? え、つまりは何か!? 出席した授業で質問されても怪しまれないように受答えできる機能を付けたってことか!?」
「そう褒めるなよ」
「褒めてねえ、呆れてんの!!」
「つっても紛れ込めるのは出席確認が取られない授業の座学だけだったしなあ」
「実技形式の授業は班分けとかされると『お前誰だ』ってなるしな」
実際には人型でないヒャクブンを何羽か放って「見学」させることもあったため、同時受講数で言うともう少し増える。
だが何の対価もなしに知識を得られるかと言うと、そんなわけはないのだ。
「勿論欠点もある」
「欠点ですか?」
「欠点というか、難点だな」
首を傾げるリリィにハクロは1つ例え話を挟む。
「そうだな。仮にリリィが昨日一日の出来事を詳細に俺に伝えようとするならどうする? 朝起きて寝るまでの間に起きたこと全てだ」
「え? そうですね……朝起きて、昨日は朝ご飯にトーストとサラダで軽く済ませて、午前中は……って感じで並べると思います」
「朝は何時何分に起きた? 食事の場には他に誰がいた? トーストは何口で食べ終わった? また一口に何回噛んだ? サラダに使われた野菜の量は? ドレッシングは何ml使った?」
「え!? えぇ、さ、流石にそんなこと覚えてない……というか意識してませんよ!?」
「そうだろう。実際に『昨日の出来事を教えてくれ』と聞かれたら必要ない情報は省いて伝えるのが普通だ。だがシキガミにはそれができない」
「ま、そういうこと」
やや幼い顔立ちにハクロとそっくりの軽薄な笑みを浮かべてヒャッケンは頷いた。
「俺たちシキガミは見聞きした物をそのまま本体に伝えることしかできない。伝えた情報の中から必要な物だけチョイスするのは本体の仕事だ」
「んでさらに厄介……というか完全に術者の技量に委ねられることではあるんだが、本体である俺に得た情報を術式を介して伝達する時、精神的負荷がかかる」
「精神的負荷?」
「……あ、もしかして」
何かに気付いたらしいリリィがハッと顔を上げる。
「見聞きした情報が取捨選択されずにそのままハクロさんに送られるんですよね? 1時間で得た情報の伝達にはどれだけ短くても1時間必要になるはずです。ですがそれを術式として一瞬で受け取るには、一度に莫大な量の情報が圧縮されるわけですから……」
「あ、知恵熱が出るってことか!」
ポンとバーンズが手を叩く。
知恵熱という単語の選択はともかく、精神的負荷とはつまりそういうことだ。
「元々俺は並行作業は得意な方だったからそんなに苦じゃなかったが、それでも最初はヒャッケン1体からのフィードバックに眩暈を感じることもあった。そこから鍛錬を重ねて2体3体とシキガミを増やして、今のところ本体である俺含めて5人分の情報を一度に処理できるようになった」
「ほ、ほへー……」
「……いや、流石に頭がおかしいんじゃないですか」
「…………」
何となく本能的に「なんかすごい」程度の認識しか出来ていないバーンズと、正しく理解してしまったために一周回って呆れかえってしまったリリィの反応が対照的で面白い。
だがティルダは先程の恍惚とした表情から一転し、怪訝そうに眉根に力を込めて思考を巡らせていた。
こちらもこちらで気付いたようだとハクロは口の端をニッと持ち上げる。
「……あの、ハクロさん……」
頭の中で考えがまとまったらしく、しばしの間を挟んでティルダがおずおずと手を挙げた。
「でも、でもそれって……ルネちゃんが今普通にやってることだよね……?」
やはりティルダは賢い――ハクロは満足げに頷く。
ハクロの口にしたシキガミという未知の術式の機能をルネのために活用する手法を頭の中で組み合わせ、そして早くも気付いたようだ。
「その通り。見聞きした複数人分の情報伝達――それはルネの腕と魔眼の魔導具の操作とほぼ同じ機能だ。違いと言えば、あっちはリアルタイムでの同時処理しているがシキガミは後でまとめて伝達するって点だ。むしろ遠く離れた王城と王都拠点での公務と事務を並行して処理できるだけルネの方が上位がろうな」
そういう意味でもあの傭兵王女は真正の怪物だ。
数だけで言えばルネは3人分、ハクロは5人分とハクロの方が上位に見えるが、それはあくまで後でまとめて情報処理をしているだけにすぎない。ルネは本当に3人分の働きを1人分の脳髄で処理しているのだ。
「あ、最初に言ってた『そのままだと姫様にしか扱えない』ってそういうことか」
遅れて気付いたバーンズも納得げに頷く。
シキガミの術式をルネにそのまま与えても彼女であれば使いこなすだろうが、そのためにある程度反応パターンを組み込まなければならないため使い勝手としてはイマイチだろう。
しかし今回ティルダにとって重要なのは、シキガミの機能としてはおまけの方――自律行動時の反応の方だ。
「この前のルネとの打ち合わせの時に話に上がったが、今後の循環型魔導具作成のキモである魔力充填術式のオンオフにシキガミの反応機能がそのまま使えそうだったからな。話が長くなったが、つまりはそれをお前に共有しようと思ってな」
「んふふ……さ、最高……!」
大きな手のひらをキュッと握りしめ、ティルダはどこか焦点の合わない視線をぐるりと回した。
早速術式をどのように組み込もうか思案し始めているようだ。何なら今すぐにでもハクロの部屋を飛び出して作業室にこもりそうに見えた。
しかし残念ながらそうはいかない。
「よいしょ、と」
「……ぅ?」
ティルダの作業ズボンのベルトを掴み、彼女の体ごとソファに腰かけた脚の間に挟み込む。ドワーフの背丈ではそれだけで身動きが取れなくなり、怪訝そうに振り向きながら首を傾げた。
「残念ながら正月の祝日が明けるまでは休養するようにってルネの命令だからな。今日は作業室に一歩たりとも踏み入れさせんぞ」
「えぇー……」
むくれる幼子のように口を尖らせるティルダ。
ようやく歳相応の反応を浮かべた彼女に、リリィとバーンズまでもが小さく苦笑を浮かべるのだった。





