最悪の黒-118_異世界の証明
「言ったあああああっ!? 私が誤魔化そうとしたこと全部自分で言ったあああああっ!?」
「何事!?」
「……わあ」
奇声を発して取り乱すリリィに思わず視線を向けたバーンズとティルダだったが、その原因であるハクロは涼しい顔で何ともないように紙にペンを奔らせている。
「いつまでも隠し通せることでもねえし、別にこいつらに話しても問題はないと判断した」
「だからって急に暴露します!? せめて前振りしてくれませんかね!? 心臓がきゅってなるとこでしたよ!?」
「小せぇ心臓だな」
「ハクロさんがどうかしてるんですよ!?」
キャンキャンと吼えるリリィに顔を上げ、鬱陶しそうに手で抑える動作と共に言葉に魔力を織り交ぜた。
「《とりあえず座れ》」
「ちょわっ!?」
リリィの手足が急に己の意思で動かせなくなり、ペタンとベッドの上に腰を落とす姿勢になった。ベッドのスプリングで上下に揺れながら、身動きの取れない体に目を瞬かせる。
「え!? 何ですかこれ!?」
「俺の魔術の一つ。まあまあ、とりあえず落ち着いて話の続きをさせてもらうが――」
「分かりましたから、ちゃんと聞きますから!? 邪魔しませんから解いてください意識はあるのに自分で体動かせないのすっごい怖い!?」
「……やっぱそれが普通の感想だよなあ」
数日前に交わしたルネとのやり取りを思い返しながらハクロは不可視の拘束を解除する。
「び、びっくりした……」
「はは。んで、世界がどうのってどういうことだ?」
安堵で胸を撫で下ろすリリィにバーンズが苦笑を浮かべながら、椅子に逆向きに腰かけ直して首を傾げる。ティルダもソファの上で姿勢を正しながら、こちらはどこか楽しそうに瞳を輝かせていた。
「そうだな。まずこの世界の他に次空を跨いでいくつもの世界が存在しているという前提から話そう」
「ジクウ……? え、何?」
「ま、通じないよな。さて」
そもそもこの世界は遥か昔に転生してきた賢者と呼ばれる異世界人によって整えられ、神という概念が存在しない。魔力は溢れ返っているくせにそう言ったスピリチュアルな概念が丸っと排除されてしまっているため、どうしても言葉選びが困難になる。
「そうだな。ラッセル湖にフェアリーの都があるだろう」
「……ラッセル自治州。行ったことはないけど、いつかフェアリーの『玩具箱』は見てみたい」
「あの都に入るにはフェアリーの魔法で湖面を通って行くと聞いている。だが実際に湖の底に都があるわけじゃねえだろ?」
「あー、まあ、そうだな」
「つまり地上とは別の『世界』が存在するということだ」
とは言えラッセル自治州については独立した世界ではなく、魔術に起因した亜空間であると推測している。全く異なる起源を持つ異世界とは少し違うだろうが、思考の掴みとしては十分だろう。
「もしくはこういう考え方もある。バーンズ」
「え? うおっと!?」
突如手にしていたペンをバーンズに向かって放り投げる。弧を描いて宙を舞ったペンは何とかギリギリバーンズの指に引っ掛かり、床には落ちずに手の中に納まった。
「今お前はペンを上手いこと受け取ったな」
「ま、まあ、いきなりでびっくりしたけど」
「だがうっかり落としてしまう可能性もあっただろう?」
「まあ、うん。そうだな?」
「ほら、今この瞬間世界は2つに分かたれた。お前がペンを受け止めた世界と、落とした世界だ」
「あー……あー……?」
バーンズにはいまいちピンと来ていないようだったが、頭脳労働担当のリリィとティルダは興味深そうに頷いている。
「その理論で行くと、異なる世界というのは全ての人たちの選択によって無数に増えませんか?」
「……バーンズがペンを受け止めたこの世界から、落としちゃった世界を観測することはできる……?」
「いや、基本的に同一世界から分岐した世界の事象の観測、干渉はできないとされている」
パラレルワールド、タイムスリップ、パラドックス――様々な考え方が存在するが、結局のところ机上の空論として思考するしかできない。そのため今回例示はしたもののハクロの想定している異世界とは質が異なることとなる。
「ともかく、世界は複数存在すると考えてくれ。常人ではその外に出ることもできないが、俺はたまたま常人の枠組みから外れた存在の力を借りることができて、こっちにやって来た。つってもそれを証明しろって言われてもできることはないけどな。思春期にありがちな妄想を拗らせたまま図体ばかりでかくなった虚言癖野郎と言われても、実のところ何も言い返せない」
「うッ……!」
「「……???」」
リリィとティルダは首を傾げていたが、バーンズは何やら思い当たる節があったのか苦い顔で首を竦めた。
「あ、でも、ハクロさんの翻訳魔術って異世界の証明になりませんか?」
ふと思い出したようにリリィがハクロの首元を指さす。
入浴時も就寝時も片時も肌身離さず持ち歩いているネックレス型の魔導具だが、これによりこちらの世界の人々とコミュニケーションが取れるし、字を読むことができる。書き物だけは後から習得するしかなかったため、時折視覚情報の翻訳機能をオフにすることもあったが、基本的に聴覚情報は常時発動している。またこちらから発する言葉も魔導具を介して周囲に意図が伝わる言語に変換されていた。
とは言え。
「こいつの機能を停止させたところで、俺がテキトーに意味のない発音並べても『そういう演技』にしか見えんだろ。逆も然り、お前らが何言ってるか分からないフリをするだけだ」
「いえ、私がその魔導具を借りて付ければ、ハクロさんと私だけで意思疎通ができてバーンズさんたちには意味が通じないという光景になるのではないかと。少なくともハクロさんが大陸共通言語とは違う体系の言葉を使っていることは伝わるんじゃないですかね」
「……なるほどな」
一つ頷き、ハクロは魔導具をぶら下げているチェーンに手を伸ばす。
厳密にはハクロとリリィが口裏を合わせることで意思疎通ができている風を装うことはできるのだが、試みとしては面白いかもしれない。
魔導具の機能を保持したままリリィに渡し、その細い首に回してやる。
「Si、Sibme Jemxu?」
「あ?」
バーンズが何やら口にしたが、パッと意味のある言葉として聞き取れなかった。
その怪訝そうな表情を見てリリィが苦笑を浮かべる。
「『どんな感じ?』ですって」
「どんな感じも何も、何言ってるか分からねえ」
「ハクロさんは『何を言っているか分からない』と言っていますね」
「Tutr Mu Lirune Yihoty Mube……ハクロDeb Mu Lirune Beyihoty…… 」
「ティルダさんは私の言葉は分かるのにハクロさんの言葉だけ分からないのが不思議みたいです」
「ははーん、なるほどこうなるのか」
「『なるほど』と納得しています」
簡易的な実験ではあったが、現象としてはなかなかに興味深いものがあった。
リリィから魔導具を受け取り首にぶら下げ、魔術の調子を確かめる。
「あーあー、発動してるな。本日は晴天なり」
「……ちょっと曇ってるよ?」
「俺の世界の発声練習でよく使う構文だ、気にすんな」
正直に窓の外に視線を向けて天気を確認し、訂正を入れたティルダの頭を苦笑しながら軽く撫でてやる。
だいぶ脱線してしまったが、とりあえず話を戻す。術式開示についてだ。
「ティルダならおおよそ察しがついていると思うが、俺が普段使っている魔術やそれを構築する術式はこっちの世界とはだいぶ理屈や形態が異なる。俺のいた世界では環境下の自然魔力が希薄で、魔力を持って生まれることの方が稀だ。だから魔術の構築は人体魔力に依存するしかなく、とにかく魔力消費量の節約に重きを置かれている。俺の魔力操作の技能もそれに起因する」
「あ、そういうこと! だからハクロさんは人体魔力を使うことに拘りがある……っつーか、やたら上手いのか!」
「こっちの世界は魔力が有り触れているから燃費を度外視できる分、魔力操作が大雑把なんだよな。自動と手動の違いと言うか。……ああ、言っとくがルネは例外だぞ。なんであいつ俺が元居た世界基準の魔術師でも上位に食い込むような魔力操作してんだ。変態だ、変態」
「ハクロさん相手は王女様ですよ!?」
「……ううん、変態はある意味誉め言葉。ウチも魔導具関連でそう言われたらちょっと嬉しい」
「こっちにもその捉え方あるのか……」
ともかく。
「で、これが俺の生家で脈々と受け継がれてきた魔術の一つだ。効果は……まあ口で説明するより見せた方が早いな」
改めてハクロは半分に切りペンで何やら書き物を施した紙切れを手にする。
そしてそこに魔力を込めた呼気を吹き込むと――ふわり、と部屋の中に微かな風が舞い起こった。
「起きろ。百見」





