最悪の黒-117_開示
「ハクロさーん、組手しようぜー」
「正月の祝日が明けるまでは休養するようにってルネの命令だろ」
「ハクロさん……暇。何か簡単に作れる魔導具ないかな」
「……正月の祝日が明けるまでは休養するようにってルネの命令だろ」
「ハクロさんハクロさん。手持ちの薬草が心許なくなってきたのでお買い物に行きませんか? 年末年始もやってるお店があるらしいです!」
「…………。正月の祝日が明けるまでは休養するようにってルネの命令だろ」
「ハクロさーん」
「……ハクロさん」
「ハクロさん!」
「…………。……っすー……」
流石に無視できなくなってきたため、ハクロは大きく息を吸い込んだ。
「何でお前ら示し合わせたように俺の部屋に集合してんだ……」
入るなり作業机の椅子に腰かけてくつろぎだしたバーンズ、ソファに座っていたハクロの膝を枕にして謎の部品をガチャガチャさせていたティルダ、そして部屋主に無断でベッドにダイブしたリリィが一斉に顔を見合わせた。
「「「え?」」」
「やめろ、謎の団結力を発揮するな。同時にこっちを見るな」
特に至近距離にいるティルダが急に手を止めて視線を向ける光景は軽くホラーである。
「せっかくの休暇なんだから自分のしたいことをすればいいだろ」
とは言え、年末の休暇も3日目――12月31日ともなると、普段からあくせく働いているリリィとバーンズ、趣味と仕事が直結しているティルダは休暇に早くも飽き始めてしまったようだ。
だがハクロとしては休暇中と言えどもやるべきことは色々ある。今もティルダからもらったお下がりの教本に目を通している最中であった。ついでに翻訳魔導具の視覚情報をオフにすることで言語学の自主修練を兼ねている。
これがなかなか手ごたえが大きく、教本を魔術書として構築する術式解読と書かれている内容の複雑も合わさり、まだ半分も目を通せていない。特に法令に関する事項と事例については言葉選び一つとっても難解だった。
だがそんなことなど知ったこっちゃない駄犬、狂犬、駄犬は声を揃えて嬉しそうにやりたいことを宣言した。
「ハクロさんと組手!」
「……ハクロさんと魔導具のお話……」
「ハクロさんとお買い物行きたいです!」
「お前らさては1人で休日過ごせないタイプだな?」
駄犬2匹はともかく、少し前まで1人で黙々と作業するしかなかったはずのティルダまでどうしてこうなったのか。懐かれるような態度と言葉選びを意識していたのはハクロだが、流石にここまでべったりになるとは思わなかった。
ちなみにハクロは1人の休日は苦ではないタイプである。元居た世界では家族や友人と過ごすことも多かったが、1人で黙々と修行や知識整理に没頭する日もままあった。
「……ああ、そう言えば」
知識整理で思い出した。
「ティルダ」
「……なぁに?」
膝の上の頭を預けていたティルダに視線を落とすと、名を呼ばれただけでどこか嬉しそうに口元を綻ばせた。向こうの駄犬どもと違い尾はないはずなのに、何故かぶんぶんと振り回される尻尾が幻視してしまう。
「暇潰しに付き合うわけじゃねえけど、1個お前に術式開示しようと思ってたんだ」
「え……!?」
「え!?」
ティルダが目を見開き起き上がり、椅子の上のバーンズもぎょっとした表情で椅子から立ち上がった。一方ベッドの上のリリィは「術式開示?」と聞きなれない言葉に首を傾げている。
「なんですか、それ?」
「術式開示っつーのは、なんつーか……魔術を使う奴が自分用に独自構築した術式を他人にそのまま伝授することだな」
「えっと……?」
「あー、リリィ先輩に合わせて言うなら、薬草の配合方法を薬師じゃない奴にも教える的な?」
「大事じゃないですか!?」
実際には薬草の調合方法はギルド規約によって保護されているのに対し、術式保持は術者の裁量に委ねられているところである。そのためその2つの敷居の高さは同一ではないが、ニュアンスとしては近いだろう。
「い、いいの……?」
そして術式開示の価値を正しく理解しているティルダはおずおずとソファの上に座り直してハクロに真意を訪ねる。
「問題ない。お前の魔導具技師としての技量は信用している。それにこの術式はそのままではルネくらいにしか扱えないだろうからな」
「え……?」
「だが魔導具転用が可能になれば話は別だ。大型船の動力制御、安全管理、海図作成――どんなことにも使えるはずだ」
「……ッ!」
「バーンズ」
両の頬を紅潮させながら口の端を持ち上げたティルダはとりあえず置いておき、作業机に近い位置にいるバーンズに声をかける。
「お、おう」
「そこの紙とペンを寄越してくれ」
「これか? ……ちょっと待ってくれ、もしかして今ここで開示すんの!?」
「え!? わ、私とバーンズさん、いったん外に出た方が良いですかね!?」
受け取った紙を一度丁寧に折り目を付けてから縦長になるよう千切り始めたハクロに、リリィはおずおずとベッドから立ち上がる。しかしそれを「別にいてもいいぞ」とハクロは軽薄な笑みを浮かべた。
「素人が見よう見真似でどうこうできるような術式じゃねえからな」
「俺もいいのか?」
「ルネの魔力操作技能でようやく扱えるような術式をお前が一目で盗めるとでも?」
「……無理です、ハイ」
しおしおと尾を力なくぶら下げながらバーンズが椅子に戻る。それを自分もベッドに腰かけ直しながら苦笑し、リリィがハクロに訊ねた。
「それで、どんな魔術なんですか?」
「ああ。こっちの世界にはない概念だが、俺の元居た世界では式神と呼んでいる物だ」
「シキガミ……ん?」
ハクロの言葉を反芻し、そしてリリィが顔を顰める。
その言葉の手前で何と言った?
「こっちの世界……?」
「元居た世界? 何の話だ?」
「……ッ!?」
バーンズとティルダが顔を見合わせながら首を傾げたところでリリィが言葉にならない悲鳴を上げる。
「あの、あの、そ、……ちがっ!?」
なんとか、何とか誤魔化さなければと言葉を並べようとするも上手くいかない。耳と尾がピンと徒に立ち上がるだけだった。
しかしそんなリリィの気持ちなどどこ吹く風で、ハクロは半分に切った紙にペンを奔らせながら何でもないように言葉を続けた。
「ああ、実は俺、この世界の外から来たんだ。こっちの古語だと異世界人っつーらしいな」





