最悪の黒-116_エーリカ・ロス
「ではしばしの別れだ!」
昼食を挟み、午後は打ち合わせという名の雑談で時間を潰しているとあっという間にルネがハスキー州を去る時間となった。
来る時と同じく拠点内の転移魔方陣を利用するのかと思ったら、知事局内の公的な魔法陣から王都に戻るという。州知事の見送りを受けて発つと言っていたし、大陸最大の工房街のトップにこんな小さな拠点まで足を運ばせるわけにもいかないのだろう。見送られる側が王女という事実により序列がしっちゃかめっちゃかになっているが。
「じゃあな」
「ご公務お疲れ様です!」
ハクロとリリィが拠点の玄関口からルネの出立を見送る。
とは言え流石に徒歩で行くわけではない。知事局から豪奢な造りの馬車がやってきていた。煙と煤と油まみれの工房街においてルネの趣味に合わせたらしい赤塗に金縁装飾の馬車は激しく浮いているが、当の本人は大層ご機嫌で馬車へと乗り込んでいった。
「それじゃあ私もご一緒しますねー」
と、拠点の奥からコロコロと毛玉のような影が転がるように駆けてきた。
小さな体に大きな荷物を背負ったエーリカだった。彼女は当たり前のようにルネにエスコートされるように馬車に乗り込み、ふうと一息つきながら荷物を下ろす。
「……何してんだお前」
「今年の年末年始は久々に休めるので、王都の実家に顔を出そうと思いましてー。姫様に相談したら一緒に転移魔方陣で連れて行ってもらえることになりましたー」
「そんな乗合馬車みたいな感覚で知事局の魔法陣を!?」
「拠点のを使えや。どんな精神してんだ」
「流石に恐れ多いですよ!?」
「一度にまとめられるのだから構わぬだろう。州知事殿にも許可は得ている」
不遜に笑いながらルネは気にすることなく椅子――というか豪華すぎてもはやソファ――に腰かけ、鎧の脚を組む。さらに心得ているとばかりにタキシード姿の老エルフが洗練された動きで馬車の扉を閉め、御者席に着いてしまった。
「それでは!」
「また年明けにお会いしましょうねー」
内側から開け放った窓からルネの鎧の腕とエーリカの小さな手が伸びてハクロたちに向けて振られる。それを茫然と眺めていた2人だったが、馬車が角を折れるともうどうしようもなくなり、大人しく拠点へと戻るしかなかった。
「あ、もう行っちまった?」
と、共用スペースの奥から今更バーンズが出てきて首を傾げた。
「何してたんだお前」
「いやあ、ティルダに試作品の調整と整理手伝わされてた」
どうやら製図作業に没頭していたティルダも正気に戻ったらしい。そこでたまたまその辺を歩いていたバーンズを捕まえ、午前中に使用した魔導具の試作の片づけを押し付けられていたようだ。
「あの、ところでエーリカさんがルネ様と一緒に王都に戻っちゃったんですけど……」
「あー、そうなの? まあ久々に休めるからな」
「そのために王女にくっついて知事局の転移魔方陣で帰るのは流石に頭おかしいだろ。どうなってんだあいつ」
「アハハ、いや、別にいいんじゃね?」
バーンズが軽く笑いながら衝撃の事実を告げた。
「エーリカの義父って、ギルド長のロアーだし」
「「…………」」
「あれ、ハクロさんもリリィ先輩も聞いてなかった?」
「初耳ですけど!?」
キャンキャンとリリィが混乱しながら吠え、ハクロも以前に聞いた話を思い返す。
「……ガキの頃世話になってた商隊が魔物の襲撃で壊滅した後、護衛の傭兵に引き取られたってのは聞いたが、それがロアーか」
「そーそ。ギルド長がまだBだかCだかのランクの時の話らしいぜ?」
「ファミリーネームが違うのは?」
「育った商隊の名前を残しておきたいって、普段はロスを名乗ってんだって。書類上はスヴェトラーノフらしい」
「情操教育失敗してんじゃねえか、あのおっさん」
幼少期の受けた魔物襲撃事件で生存本能と知識欲がぐちゃぐちゃに繋がってしまったとは言え、その状態のまま悪い意味で健やかに育ってしまったため、狂魔物学者が完成してしまったわけだ。ルネの破天荒さを止められなかった辺りを見るに、傭兵や組織のトップとしての才能はあっても教育者には向いていないようだ。
「はあ……まあいい。年末年始ってことでテレーズも通いの使用人たちも休みってことになったわけだし、今日からしばらく久々に4人での生活か」
「オデルさんとセスさんもいますよ!?」
「あの2人どうせ作業部屋から出てこねえじゃん。ノーカン、ノーカン」
「今夜と明日の朝の飯は作り置きがあるけど、それ以降はどうすっかなー」
そんな穏やかな会話を交わしながら、3人は久々の休日に少しばかり心根を浮かすのだった。





