最悪の黒-115_もう一度
「バーンズさん!!」
見学席からリリィが放たれた矢のように真っすぐ駆け寄ってくる。石畳の上で白目を剥いているバーンズの脈を取り、頭の下に自分が着ていたジャケットを丸めて差し込んだ。
その様子をハクロは軽薄に笑いながらプラプラと右手を振る。
「こっちの心配はしてくれねえのか?」
「どう見てもバーンズさんの方が重傷でしょう!?」
「叩きつけられる前に身体強化と受け身を取ってたから怪我はしてねえよ」
「……そのようですけども……」
バーンズの体を横向きにして一通り背中側の様子を確認し、本当に無傷であったことに何とも言えない表情を浮かべるリリィ。一方荒事に慣れているルネとエーリカは心配する素振りもなく笑っていた。
「随分と派手にやられたな! 見ろ、石畳にひびが入っているぞ」
「背中から叩きつけられると防御術式が間に合ってもたまに意識飛んじゃうんですよねー。巨猿系種に投げられた時なんか、強打と術式破損の二重ダメージで思わず恍こ……じゃなくて、死を覚悟しちゃいましたー。……うふ」
「…………」
2人にドン引きしながらリリィがハクロに視線を送るが、そんな目で見られてもどうしようもない。
傭兵なんて基本こんなものである。
「それよりハクロよ。右腕は大丈夫か」
「あー、軽くヒビいってるな、これ」
「はい!?」
そして何でもないような表情と姿勢で立っていたハクロがつるっと右腕の症状をルネに報告する。そしてそれを横で聞いていたリリィがぎょっと目を見開いた。
「やはりか。尺骨の手首側か? 魔力の流れに若干の乱れが生じているな」
「殴った方が怪我するとは恥ずかしい限りだぜ」
「ははは! バーンズの成長速度が貴様の想定を上回ってたということだろう。名誉の負傷と甘受せよ」
「そ、そんなことより医術師に! て、テレーズ先生のとこに!」
「いや、必要あるまい」
言うとルネは鎧の掌でハクロの右腕をむんずと掴み――
「折りゃ」
「ぎああああああああああああっ!?」
まるで枝でも折るかのように人体では動かないはずの位置からあり得ない方向に捻じり、それと同時に馬鹿みたいな魔力量を付与した術式を叩き込んだ。
「ハクロさああああああああああん!?!?!?」
ルネの突然の奇行にリリィも悲鳴を上げ、右腕を抑えてもがき苦しむハクロに駆け寄る。
「ハクロさん大丈夫ですか!? ルネ様一体どういうつもりで、右、右腕……! ……あれ?」
「あははー。姫様のいつものやつですねー」
一方状況が分かっているらしいエーリカはほけほけと笑いながら蹲るハクロの右腕をつんつんと突いた。先程ルネにぽっきりと折られた腕は元通りの位置と形状に戻っている。
「うんうん、ちゃんと治ってますねー」
「た、たかが骨のヒビを治すために全部圧し折ってから治癒魔術叩き込むって馬鹿じゃねえのか……!」
「余は魔力に関わるほぼ全ての扱いを心得ているが、どうしても軽傷の治療が苦手でな! 一度重傷化させてからでないと治癒魔術が使えぬのだ! 脳と心臓が無事なら胴が真っ二つに千切れていてもくっつけられるのだがな」
「えぇー……」
「ふざけんなテメェ……!」
しかも治癒魔術を叩き込まれる直前、その発動に必要な魔力をルネから無理やりぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた。質の違う魔力を強引に流し込まれたせいで視界が点滅し、吐き気が喉元までせり上がってきている。
完全に魔力酔いの症状であった。
「うちの傭兵大隊の通過儀礼みたいなものですねー。これをされるのが嫌で、それまで無鉄砲に突っ込んでいくだけの人たちも無用な怪我を負わないよう動くようになるんですー」
「クソが……!」
悪態を吐きながらハクロは体内の魔力の巡りに意識を集中させる。
治癒魔術そのものは正常に機能しており、患部周辺に痛みはない。問題は術式発動のために叩き込まれたルネの魔力だが、魔力循環を意識すればほどなくして全て体外に排出された。多少視界がふらつくが、これも直に収まるだろう。
「酷い目に遭った……」
「私の時はもっと壮絶でしたよー。傭兵大隊に所属して最初の魔物調査依頼でー」
「いい、聞きたくねえ」
「ち、地中棲の蟲竜系種の変異個体で……はあ、はあ……! す、鋭い角で地面の下からぁ、つ、突き上げられてぇー……!! お、お、お尻から――」
「聞きたくねえつってんだろ」
「むぎゅっ」
とろりとした表情で何かを口走りかけたエーリカの鼻を摘まんで話を遮る。隣のリリィもこの状態のエーリカを目撃するのは初めてのためドン引きを通り越して表情が死んでいた。
傭兵は怪我に慣れてしまって感覚がおかしくなっているのが基本だが、こいつは例外の中でもかなり特殊な部類である。正直一緒にされたくない。
「うぅ……?」
と、横で散々騒ぎ散らしていたせいもあってからバーンズが呻きながら上半身を起こした。
しばしぼうっと目を瞬かせていたが、背中に残る痛みで意識が無理やり覚醒してしまったようでぐっと顔を顰めた。
「……~ってぇ……」
「バーンズさん、大丈夫ですか?」
トトト、とリリィがバーンズに駆け寄り心配そうに顔を覗き込みながら手を握る。痛みに耐えながらはにかみつつバーンズがリリィを宥めた。
「大丈夫、痛ぇだけだから」
「たかが打ち身、されど打ち身だ。バーンズよ、余が治癒を施してやろうか」
「けけけけけ結構です!?」
血走った目で跳ね起き、首がもげる勢いで辞退という名の拒絶をするバーンズ。通過儀礼とエーリカは言っていたが、バーンズもアレを食らった経験があるようだ。
「あー、でも負けちまったなあ。やっぱハクロさんつえーわ」
「そりゃどーも。お前のせいでこっちはえらい目に遭ったがな」
「へ?」
「なんでもねえよ」
誤魔化してそっぽを向くも、どうせそのうちリリィかエーリカ経由で気を失っている間の出来事は伝わるだろう。
「それはそうとバーンズよ」
ルネが改まってバーンズに声をかける。
目線は分からなくとも、真っすぐに見据えるような表情にバーンズの背筋が伸びた。
「は、はい!」
「先程の立ち合い、見事であった。勝負としては敗北を喫してしまったが、その練度は以前とは比べ物にならない物であった。どうだ、貴様が望むのであれば――」
言葉を区切り、ルネはニッと口端を持ち上げた。
「今一度、Aランクとして〝爆劫〟の名を背負い直す気はあるか」
「…………」
その申し出にバーンズはポカンと呆け、しばし己の掌を見つめた後に苦笑を浮かべた。
「ありがたいですが、俺はもう少し修行したいと思ってます」
「それはどれほどの期間を想定している」
「え?」
ルネの切り替えしにバーンズは首を傾げる。
しかしルネは気にせず言葉を続けた。
「エルフである余とは違い、貴様ら獣人の命は短い。傭兵として最も脂の乗った時期は今現在から数えて10余年、長くとも20年であろう。その限られた短い期間のうち、貴様はどれほどの間を修行と称し燻るつもりでいる」
「…………」
「確かに以前の貴様は、勢いはあったが伸び悩んでいた。だがハクロと出会い、拳を重ね、今やその力は見違えるほどに強くなっている。もしかしたら今ならば〝焔蜥蜴〟と〝風舞踏〟をも押しのけることもできるやもしれぬほどだ」
「さ、流石にそれは……! 同じ獣人つっても、クルス姉弟は参拾捌位階と参拾玖位階ですよ……!?」
「謙遜も度が過ぎればただの卑屈だぞ」
言いながらルネはポンとハクロの肩に鎧の手を置いた。
「確かにハクロは強い。今の貴様から見てもその高みは見上げるほどだろう。だが見上げるばかりで登ったり下りたりをうだうだと繰り返しているだけでは辿り着くことなど叶わぬ。貴様は余に次ぐ最短Aランク昇格記録保持者にして余の傭兵大隊の最初の1人であろう」
「……ッ」
「さっさと登ってこい、〝爆劫〟・ウォーカー! そして今一度余の隣に並び立て!」
言うだけ言うと、ルネは鎧の脚を動かし訓練場の外へと繋がる扉へと体を向けた。
炎のように揺れる赤交じりの金髪を背負う華奢な背中を見て、バーンズは思わず声を上げた。
「は、半年!!」
「…………」
ピタリとルネの脚が止まる。
「半年、ください!」
「その根拠は」
「ひ、姫様がハクロさんを『太陽の旅団』に誘った時、1年でAランクまで上げてやるって言ったと聞いています!」
「ああ、言ったな」
「ハクロさんが『太陽の旅団』に加入したのが7月……だから、俺はそれより一月先にAランク昇格条件を満たして、一歩先に進みます!」
「…………」
ちらりと、ルネの赤いリボンで覆われた目元がハクロに向けられたような感覚がした。
突如としてだしに使われたハクロだったが、その心根としては正直なところ嫌いではなかった。
「だ、そうだぞ。ハクロよ」
「……はっはー」
苦笑を浮かべ、ハクロは肩を竦める。
「俺としては1年でAランクってのは話半分のつもりで、ギルド長から命じられた通り3年以内の昇格を目指してゆるりとする予定だったが」
バーンズの右肩に腕を回し、体重をかけるように重みを預ける。
「いいぜ、乗ってやる。ただしバーンズ、俺が悠々と7月まで昇格を待ってやると思うなよ?」
「え”」
「そうと決めたら俺は駆け抜けるぞ。ちゃんと食いついて来いよ?」
「う、うすっ!」
「ははは!」
一瞬顔を青ざめさせたがすぐに気合を入れ直し、拳を握りながら頷くバーンズ。それを見たルネは満足げに笑いながら改めて扉に手をかけ、高笑いを響かせながら訓練場を後にした。
「あははー。熱いですねー」
「男の子ってこんなんばっかですね……」
ほけほけと笑うエーリカに対し、リリィは溜息交じりに呆れて肩を落とす。
しかしその実、尾はどこか嬉しそうにくるりと弧を描くように揺れているのだった。





