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こぼればなし  作者: やまやま
弐 最悪の黒
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最悪の黒-109_影

 深夜。

 不夜の工房都市としては未だに窯の火も人々の喧騒も盛んに燃え上がっているが、「太陽の旅団」拠点に施された防音魔術により外界と隔たりが作られ、シンと静まり返っていた。時折隊員たちの私室から酒が回って深い眠りに落ちた派手な鼾が聞こえてくるくらいで、それ以外は耳が痛くなるほどの静寂で満たされている。


「…………」


 その拠点最上階――ラグランジュ=ルネ・ツルギの執務室分室兼私室のドアノブに手を伸ばす影があった。


 だが。


「…………」


 どさり――そんな音すら立たず、影が崩れ落ちる。

 それと同時に闇の中から2()()()()()が伸び、影の襟首とベルトを掴んだ。

「…………」

「…………」

 2人はしばし視線を合わせる。そして1人が無言で己の足元の闇を指さすと、もう1人は頷き――とぷん、と水に潜るように闇へと消えた。




「初めまして、で良いのかしらね」

 闇の中、拠点の守衛魔術を掻い潜りルネの私室に忍び込もうとした輩のベルトを掴んだまま、黒髪に翡翠色の瞳のエルフの女が感情の感じられない微笑みを浮かべた。

「Aランク第拾肆位階〝夜帳の裁断者(ナイトレス)〟・レイド。主に姫様の護衛を任せて頂いているわ。まあ過分な二つ名だとは思っているから、傭兵大隊(クラン)内ではイルザで構わないわ」

「ああ、あんたがイルザか。俺とリリィが傭兵大隊(クラン)に誘われた夜もルネの影に潜んでいたな」

「やっぱり気付かれていたのね」

「あの姫様に護衛が必要かは甚だ疑問だがな」

 肩を竦め、ハクロはエルフの女――イルザに苦笑を向ける。

 するとイルザは「依頼人は姫様じゃないもの」と笑って頷いた。

「守秘義務で明かすことはできないけど、姫様に付きまとうだけの影だと思って構わないわ。姫様の朝のおはようから翌朝のおはようまで、私の知らないことはないわ」

「……なるほどな」

 仮にも王女であるルネが大陸中を好き勝手に飛び回る代償としての監視要員ということか。その行動の報告は逐一依頼主である誰かに上げられてはいるが、ただそれだけでルネの野望の邪魔もしないが表立っての援助もせず、こうして不審な輩が近付いてきた時だけ表向きの依頼に沿って排除しているというわけだ。

「それにしてもこの侵入者に気付くとはなかなかやるわね、あなた。今夜はあらかじめ侵入のための穴を開けていたとは言え、この拠点に潜り込めるような手練れに気付ける人はあまりいないのだけれど」

「買い被りすぎだ。侵入そのものには気付けなかった。つーかやっぱりあえて見逃していたのか」

「あら?」

「単純な話、今夜来るだろうなとは思ったから扉の前で待っていただけだ」

 切っ掛けは、ルネが州知事から贈られたというワインを早々に1人で飲み干したことだ。

 酒は自分で飲むより誰かに飲ませ、言葉を交わすことを好むルネにしてはらしくなく、また飲み終えるとさっさと席を立ったのも妙だった。ハクロなど、初めて会ったその日の晩はズルズルと朝まで付き合わされたというのに。

「んでワインの最後の一滴を舐めてみたら変な雑味を感じたから、一服盛られたようだと気付いて張り込んだ。今も心持ち眠い。あの量でこれってことは相当強烈な睡眠薬か」

「なるほどなるほど。でも不用心じゃないかしら? 一滴で即死するような劇物の可能性もあるわよ?」

「ルネは一気に飲み干したが?」

「姫様が毒物如きで斃れられるとでも?」

「護衛対象を囮に使うわ毒を煽るのを放置するわ、なんのための護衛だテメェ」

 まあルネもルネで一服盛られているのを承知の上でコソコソと1人で飲み干したようだが。

「ちなみにルネは無事か?」

「ええ。今も『外』からこの会話も聞いてらっしゃるはずよ」

「多少心配して張り込んでたこっちの身にもなれ。つーかなんで薬効いてねえんだ、せめて寝てろ。朝まで熟睡してろ」

 この闇の空間に位置の概念があるかは分からないが、何となくハクロは上を見上げて苦言を吐く。外の様子は分からないがルネが笑いをこらえているのが伝わってきた気がした。

「んで、まさかドストレートに州知事が盛ったわけじゃないよな」

「当然違うわ。ハスキー州知事は姫様の協賛者ですし、ドワーフらしい実直なお方よ。この刺客は盗賊ギルド(ゾルフ=コミュニティ)の雇われ者だけど、大本は王弟派閥の過激派でしょうね。州知事に嫌疑を向けさせて力を削ぎたいっていう粗末な手口だわ」

 イルザが刺客の懐を漁ると、見覚えのある蛇足の紋用のメダルが出てきた。それ以外に身元が分かるような物は当然ながら出てこなかったが、その雇い主には心当たりがあるようだ。

「王弟派閥? 確かにルネは王位継承権を放棄しちゃいないが、有事の際は王弟の息子が王位に着くことになっているはずだろ」

「……ああ、あなたは本来短命種族の異世界人(オトズレビト)だから感覚が私たちエルフとは違うのね。分かりにくかったかもしれないわ」

「…………」

 そう言えばルネの影にずっと潜んでいたということはハクロの正体も知っているのかと肩を竦める。

「王弟派閥と一口に言ってもその中でさらに二分されているのよ。つまり姫様の従兄で王位継承権第二位のドミニク殿下が王位を継ぐことを望む穏健派と、王弟にして王位名代アルバーノ殿下がそのまま王座に座り続けることを望む過激派ね」

「だが王弟アルバーノもそこそこの年齢のはずじゃないのか。向こう数百年と安寧に王座に就くことはできんだろう。持って100年かそこらだ。……いや、それも短命種族からすれば一生分以上の時間なんだが」

「それでも、それを望む過激派たちも似たような年頃の老害ばかりだから、残されている時間そのものはあまり関係ないのよね」

「……自分たちが存命の間だけでも王弟にすり寄っておこうってか。長期的なんだか短絡的なんだかわけ分からなくなってくるな、エルフの時間感覚は」

「過激派については短命種族も結構いるわよ? 仮に姫様が10年内に即位したとしたらその施策の転換で混乱するのは目に見えてるから、自分たちの在任の間だけでも代替わりはしないで欲しいって魂胆のようね」

「浅はかな」

 口ではそう言うものの、ハクロは軽薄な笑みを浮かべていた。

 この世界では絶対王政で成り立っているとは言え、その王に群がる有象無象の中にはしっかりとどうしようもない小物もいるようで安心した。

「王位継承権二位殿は現状についてどう考えている」

「あの方は良くも悪くも安寧を求められているわね。つまりは王位にこだわらず、その次席周辺をウロウロとできるならそれで良いと。民の上に立つような器ではなく、支える側でありたいと漏らしているようね。何よりも姫様を含むご家族が平穏に、やりたいことを好きにできる今の状況を望んでいるわ」

「ふぅん」

 ルネから聞いた話でも、彼女とドミニクに確執のある関係ではないように感じた。そもそものドミニクがいい歳して王族教育を受ける羽目になって億劫に感じているようだし、あまり王位継承には積極的な印象はないとう点でも一致している。

 そしてそんな悪く言えば薄らぼんやりとしたドミニクよりも確実に今ある安寧を維持してくれる王弟を支持する者が意外と多いということか。

「そもそも王弟アルバーノの意思はどうなんだ」

「……それがよく分からない、というのが正直なところなのよね」

 イルザは困ったように頬に指を添え、嘆息する。

「先王陛下が崩御され王位名代に就く以前、筆頭文官時代から公務には積極的だし、市井の声にもよく耳を傾ける方だわ。それでいて姫様の異大陸到達については完全に放任なさって、公務を疎かにしない限り何も言わない。名君には違いないのだけれど、かと言ってご子息のドミニク殿下の王位継承権を繰り上げようという動きは微塵もない」

「単純にルネが志半ばで斃れるか、海の藻屑になるだろうと高を括ってるんじゃないか。今でこそAランク傭兵として名を轟かせちゃいるが、加入直後は相当無茶な依頼受注でのし上がったんだろ。その過程で勝手にくたばれば御の字、今なお渡海は無謀だから放置で良いと判断しているか」

「……姫様が幼い頃、それこそ世界をご覧になる以前からよく気にかけてくださっていたアルバーノ殿下がそのような冷徹な考えで姫様を放置なさっているとは、あまり考えたくはないけれど。何よりも、姫様に表立って危害を加えようとした愚か者は自身の派閥の者だろうと容赦なく刑を下される。それが王位を預かっている者としての振る舞いと言われればその通りなんだけど、どうにも読めなさ過ぎて気味が悪いのよねえ」

 粛々と。

 淡々と。

 今ある安寧を保持するためだけにその身を粉にし公務に尽力する。

 その姿から市井からの支持率も高く、ルネに対する度の過ぎた愚行は自ら処断して片付けてしまうため過激派の根絶も適わず、こうして裏でコソコソとルネに害虫が近付くことがあるという。

 とは言えである。


「どうでもいいな」


 ハクロはばっさりと言い捨てる。

 結局のところ、その一言に尽きるのだ。

「ルネの影から聞いていたんなら隠すつもりも誤魔化すつもりもねえ。俺の目的は妹に新たな器を用意する、ただそれだけだ。そのためにルネに協力し、見返りとして社会的地位の確保と支援を受ける。俺の目的の邪魔にさえなければ俺もルネの野望のためにいくらでも異世界の知恵と技術を貸してやる。極端な話、ルネが王位に就こうが他の王族が押しのけて王座を奪い取ろうが、俺には関係ない」

「……ええ。ええ、そうね」

 にこりとイルザは笑う。

 やはりその貼り付けた仮面のような笑みからは感情が読み取りにくい。

「あなたには関係のない話だったわ。姫様とたまたま進む方向が同じなだけの旅の同行者であって、道連れではないもの。姫様のために憂いを抱くのは影である私の仕事よ。一欠片だって部外者のあなたにくれてやる気はないわ」

「鬱屈してんなあ」

「あなたには言われたくないわね」

 それはそうだと、ハクロは己が魂の奥底で眠る白刃を感じながら軽薄に笑った。

「んじゃ差し当たって、その同行者に1つお恵みしちゃくれねえか」

「あら、何を求めるつもりかしら。あなたは見返りに姫様に何をしてくれるのかしら」

「ルネが躓いて転んだら手を引っ張って起こしてやるよ」

「素敵ね。いいわ、何が欲しいの?」

 ハクロの皮肉にイルザが頷くと、ずっと彼女が右手にぶら下げていたソレを指さした。


「そのクソ野郎をくれ。生きた人相手の()()は随分とご無沙汰なんだ」

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