最悪の黒-108_いわゆる忘年会
飲食用の共同スペースにはテレーズの言う通り、ハスキー州都拠点の全員が揃っていた。
手前から拠点に通っている職人ギルドの使用人と料理人の2人と技術班の凸凹コンビが並んでいる。その奥にはテーブルに並ぶ華々しい料理に目を輝かせるリリィと、今日の仕事から戻ってきてまだ食事を口にしていないためげっそりとうつろな目をしているバーンズ、さらにそれをからかうエーリカが座っていた。
その向かい側の空いていた一席にハクロたちを呼びに来たテレーズがさっさと腰かけたが、その隣にいる2人は初めて見かける。建物全体に施された収縮魔術によりエルフサイズにまで小柄になっているが、加齢による衰えが見えるがそれでもがっしりとした体躯を維持している老オーガと、金髪をぶっとい三つ編みにしているが所々ほつれて跳ねてしまっている眼鏡のエルフ――彼らが「太陽の旅団」所属の技術班の残り2人、造船所「海虎組」の棟梁ロウ・オルカと設計士のマルグレート・ケリーなのだろう。
そしてロウのさらに奥の最上座には傭兵大隊の首魁にしてツルギ王家の王女ルネが腰かけている。……それはまあいいとして、空いている2席がルネの隣側にしかないというのが落ち着かない。ハクロは傭兵大隊では新参であるため手前側に腰かけたかったところだが、そこは使用人と凸凹コンビが占拠してしまっている。いや、この世界に上座下座の概念があるかは知らないのだが。
「来たな! 何をぼうっとしておる、さっさと腰かけよ!」
一瞬躊躇した間にルネがハクロに気付き、鉄の腕を持ち上げて手招きする。それに応えるようにティルダがとことこと小走りしてルネとロウの隣の席に着くと、ハクロもその隣――ティルダの向かい、ルネとリリィの間の席に座った。
「さて、全員揃ったところで余から少しばかり礼を言わせてもらおうか」
ルネがガチャンと鎧の脚部を動かし椅子から立ち上がり、目元は赤いリボンで覆われてはいるがぐるりと共同スペースを見渡す。
総勢14名――仮にも王族であるルネを囲んでの宴にしてはこぢんまりとしている。しかしそれを補って有り余る卓上の料理の数々、洗練された食器選びやグラスと酒瓶、そして必ず毒見を介さねばならない王城では味わえないであろう温かみが感じられる席だった。
「傭兵大隊メンバー全員が尽力してくれたおかげで余の悲願はまた一歩前進することができた。技術面だけでなく受注依頼数及び資金面でも余裕があり、久方ぶりに年末年始を安息日とする日取りを組むことができ、貴様らも羽を伸ばせられるだろう。その転機となった新顔を2名改めて紹介しよう」
何とはなしに半分聞き流していたら思いがけぬパスが回って来た。
リリィ共々顔を見合わせ、周囲を確認するとその場の全員がハクロたちに視線を向けているのが分かった。疲弊が抜けていないバーンズやハクロに悪感情を抱いている凸凹コンビでさえだ。
止むを得ず、椅子を押して立ち上がる。それを見てリリィも続いた。
「この拠点で暮らしている者とティルダは既に知っているだろうが、造船所の2人は今宵が初顔合わせだったな。ハクロBランク傭兵と薬師リリィだ。ハクロは傭兵ギルド正式加入後僅か4か月でBランク昇格を果たし、さらに我が盟友たるティルダに新たな魔導具の行き先を指示してくれた。またリリィは傭兵大隊配属後、ジルヴァレ、ルキル、ハスキー州都でその技量をいかんなく発揮し、医薬ギルドからの評価も高い。特にジルヴァレにおける資源の限られた環境下での救命活動については、己がことのように誉れ高く感じたものだ」
「どーも」
「あ、改めましてよろしくお願いします!」
ハクロは軽薄に軽く手を挙げ、リリィは噛みながらも礼儀正しく頭を下げる。
それを確認したルネは己のグラスを胸の高さまで掲げると、その場の全員が立ち上がって各々のグラスを手にした。
「それでは少々長くなってしまったが、余からは以上だ! 今宵は1年の苦労を飲んで笑って洗い流し、新年へ向けての活力としよう! 乾杯!!」
『『『乾杯!!』』』
グラスを掲げ、軽く一口つけて喉を潤すと改めて席に着く。
そこから先は完全に無礼講だった。
「ティ、ティ、ティルダ氏ぃ!」
「拙者らと一献いかがですかな!?」
「……や。ルネちゃんとハクロさんと飲む」
「「ティルダ氏ぃ!?」」
凸凹コンビが早速席を立ってティルダに近付こうとしたが、ティルダは椅子ごと移動してルネとハクロの間に移った。
「ダハハハハ! 相変わらずだなテメェら!! 姫様、この樽さっそく開けさせてもらいますぜ!」
「うむ! 王家御用達の酒蔵から余が自ら足を運んで選んだワインだ。是非堪能してくれ!」
「親方、私にも一杯くださいな」
「駄目だ! これ全部儂の!」
「何を独り占めしてるんですか!?」
その空白スペースにルネが王都から持ち寄ったワイン樽をロウが引っ張り出してきて独占する。その隣のマルグレートがグラスを持って手を伸ばそうとしたが、いい歳した爺のはずのロウは自分のでかい図体で邪魔をしていた。
「ティルダ氏ぃ……何故あんな胡散臭い男がいいんでありますか……背丈か!? 背丈がある方がいいでありますか!? それとも髭が良くない!? ティルダ氏の為ならばオイラこんな中途半端な髭なんて剃り上げてやりますぞ!」
一方、ティルダにいつも通り拒絶され肩を落として自分の席に戻った凸凹コンビ。その太い方はドワーフにしては薄く短いチリチリとした髭を摘まみ、半分やけくそ気味に声を荒げた。
それを見た細い方が慌てて止めに入る。
「落ち着くでござるセス氏! 背丈があって髭がない方がいいというのであれば拙者も該当してしまうでござるよ! しかし拙者も拒否されているということは、何かが決定的に拙者らとは違うということでござる……!」
「オデル氏……! た、確かに言うとおりであります! ならばオイラたちに出来てあの男に出来ない部分で差を埋めるであります!」
「左様、拙者たちにしかできないこと、つまり魔導具の素材調整でござる!」
「いやあ、そうと決まったら急にお腹が空いてきたでありますよ! さて、このでっかい丸太のような大きさのローストビーフを――あれ!?」
「うむ、美味である!」
「「姫様!?」」
男二人で茶番を繰り広げていた目の前の大皿にルネが腕を飛ばし、極薄に削がれたローストビーフをシーツでも手繰るかのように何枚も乱暴にフォークで搦めとって自分の皿に盛り上げた。王族の癖にテーブルマナーが賊徒である。
「うふ。うふふ。うふふふ。うふふふふ。なんか笑えてきちゃいますねー。うふふふふふ。……あいたー!?」
それを見ていたエーリカが、魔物を前にしているわけでもないのにふすふすと鼻を鳴らしながら笑い、椅子から転げ落ちた。どうやら酒にはあまり強くない上に笑い上戸のようだ。
「あー……駄目だ、すんげーぐるぐるする。悪ぃ、姫様……始まったばっかだけど抜けます……」
「バーンズさん、大丈夫ですか!?」
そしてバーンズはと言うと、すきっ腹に酒を入れてしまったため即効で酔いが回り、口元を抑えながら早々に席を立ってしまう。リリィもそれを心配して少し席を離れたが、部屋まで付き添った後に問題なしと判断したのかしばらくすると席に戻って来た。
「どうだった?」
ハクロが容態を問うと、リリィは苦笑しながら答える。
「ほんの一口しか飲んでないのでそれでどうこうってことはないですね。魔力枯渇状態にお酒が単純に良くなかったんだと思います。酔い覚ましのお薬の備蓄があったので、たっぷりのお水と一緒に飲んでもらってベッドの下に念のためのバケツを置いてきました」
「なら大丈夫だな」
「……10分もすれば戻ってくるんじゃないかな」
「いえ流石に今夜は安静に――ってティルダさん何飲んでるんですか!?」
「……お酒」
ティルダが大きな両手で抱えるように持ったグラスに注がれているのは深い赤紫色のワイン――ルネが直々に選んで持ってきた銘柄だ。バーンズを部屋に送っている間にハクロと共にロウの防衛線を掻い潜って一杯手に入れたが、確かに芳醇な香りと葡萄その物の仄かな甘み、それらを引き立てる適度な渋みが絶妙なバランスだった。
「ティルダさんまだお酒飲める歳じゃないでしょう!?」
「……ドワーフはお乳代わりにビールを飲んで育つからいいの」
「そんな前時代的な考え許しませんよ!? あとティルダさん半分エルフでしょう!」
「やだ……飲むの」
ハクロを挟んでリリィとティルダがきゃんきゃんとじゃれ合うような攻防戦を繰り広げる。それを眼下に眺めながらハクロはグラスを傾け、その香りと味わいを楽しんでいた。
「どうだ。この世界のワインもなかなかだろう」
「ああ、かなりの物だ」
ハクロにしか聞こえないような声量でルネが笑いかける。
カナルで飲んだ蒸留酒もそうだったが、こちらの酒類は元居た世界と比べてもかなりレベルが高い。血管に血ではなく酒と鉄が流れていると揶揄される職人ギルドのドワーフたちが心血注いで生み出したのだろうと何となく背景が伺えた。
ふと、ルネが傾けているグラスに目を向ける。
「そっちのは?」
ハクロのグラスに注がれているワインと比べ、色味がやや濃いように見える。別の銘柄だろうか。
「……ああ。これは今日州知事殿から贈られた物だ。明日王都に戻る前にも簡単な挨拶をせねばならんが、何も言わずに去るのも悪かろう」
言ってルネは鎧の腕を繰り、テーブルの端にこっそりと置かれた酒瓶を持ち上げる。ラベルだけでなく瓶その物にも細やかな装飾が施されており、見るからに高価な物であることが伺えた。
「へえ。確かハスキー州の知事はドワーフだったな。さぞや高名なワインに違いねえ。そっちにも興味あるな、一杯くれ」
ハクロは自分のグラスに残っていたワインを飲み干し、一度卓上のピッチャーに入った水でグラスをゆすいでからルネに差し出す。
しかしルネはにんまりと悪童のような笑みを浮かべ、瓶を自分のグラスの上でひっくり返して見せた。
口から数滴だけワインがこぼれ、グラスの中で波紋を作る。
「すまんな、もう飲んでしまった」
「…………」
「だがこの銘柄は数少ないが王都にも卸されているはずだ。今度見つけたら一本確保しておくとしよう」
「……そーかい」
肩を竦め、ハクロはただ空になっただけのグラスをテーブルに戻す。
気付けば両脇にいたリリィとティルダは席を移動し、反対側のテレーズとマルグレートと4人で集まってちょっとした女子会を開いていた。エーリカは……テーブルの下でコロコロと文字通り笑い転げている。
ルネはその様子を微笑みながら眺め、ぐいっとグラスを飲み干すとおもむろに立ち上がった。
「ふふ……さて。余にしては珍しく勢い付いて飲んでしまったな。流石に酔いが回った、申し訳ないが今日は失礼させてもらう。ティルダの魔導具の途中経過については朝食後に時間を取るつもりだ。説明の補佐に入ってくれ」
「……ああ」
「ではな」
言葉とは裏腹に淀みない足取り――脚はないが――で立ち去るルネ。
その背中を視界の端で捉えながら、ハクロは空になった瓶を未練たらしくひっくり返し、最後の一雫でも落ちてこないかと舌の上で振った。





