最悪の黒-105_仕事納め
3人が軽く挨拶を交わすのを遠巻きに眺めていた鉱夫たちがざわめき立つ。
まさか本当に王女殿下がこんなきったない鉄鋼作業場にいるとは思わず、今更ながらに跪いた方がいいのだろうかと周囲と視線を合わせていた。
それを察知したエーリカとハクロは頷き合い、改めてルネに向き直る。
「まあ積もる話もあるだろう。拠点に戻ろう」
「そうですねー。報告書はそれから提出でも遅くはありませんしー」
「む、そうか。これから報告作業があったな。ならばこの足でギルド支部へ向かおうか。貴様らが報告を終えるまでギルド酒場で一献でもしながら待たせてもらっても――」
「帰るぞ」
「帰りますよー」
「むむ?」
ハクロがルネの腕のない肩を抱き、エーリカが脚のない腰を押すように作業場から撤退させる。傭兵ギルド内であればこの作業場よりも混乱は少ないだろうが、ある意味ここよりも汚い場所でやんごとない王女殿下を待たせるわけにはいかない。ハスキー州に着いてからハクロは未だに出会っていないが、どこかで見たことがある几帳面な背筋の上役が引っ張り出されてくる可能性すらあった。
ずるずると引き摺るように――というとルネ本体は基本的に宙に浮いているため少し違うが、とにかく作業場から引っ張り出して退出する。
そのまま乗合馬車の停留所まで行くと大型馬車ではなく個人向けの送迎馬車を捕まえて3人で乗り込む。御者は一瞬ギョッと目を見開いていたが、普段から乗合客よりも金持ちを相手にしているだけあって詮索はせず、行先だけを確認すると鞭を振るって馬を走らせた。
「今日ハスキー州都に来るとは聞いていたが、なんであの作業場にいたんだ」
「州知事殿との会合が思いのほか早く終わった故、普段の貴様らの様子を見に来たのだ。どうだ、傭兵大隊の首魁らしいであろう」
「傭兵大隊のトップとしてはその通りかもしれませんがー……」
組織の上役が現場を抜き打ちで確認しに来ること自体は悪いことではない。視察する者が王女という肩書を持ってさえいなければの話だが。
ハクロやエーリカとしてはいつどこにルネがいても「そういうものだから」と流してしまうが、周囲の者までそうとは限らないのだ。あと王女と州知事の会合が「思いのほか」早く終わることなどあるのだろうか。会食の誘いをその鎧の脚で蹴り飛ばしてこちらに来たのではなかろうかと、ハクロもエーリカも気が気ではなかった。
「それはそれとして」
馬車の座席で鎧の手脚を組み、ルネが不敵に笑いながら背もたれに姿勢を預ける。
「ハクロ、エーリカ。ここ数日は随分と暴れまわっているようだな。その活躍、我が事のように嬉しく思うぞ」
「随分と耳が早いことで」
「『太陽の旅団』の依頼を取りまとめているのは余であるぞ」
「そうだったな」
「わ、私はハクロさんの背中であわあわしてただけですけどねー……」
「本来支援魔術師である貴様は安全圏から前衛を支援するのが役目だろう。ハクロの背に隠れるほど安全な場所など早々なかろう。これまでが少々イレギュラーだっただけだ」
それについては本当にそのとおりである。支援魔術師が遊撃手の真似事をしながら単身坑道調査をしている方がおかしいのだ。
「何にせよだ。本来1週間以上かける作業が半日で完了し、数多くの依頼を回すことが出来ているのは我が傭兵大隊としても僥倖だ。今日の依頼も無事に終わったのだろう?」
「ああ。報告はまだだが午前と午後に1件ずつ」
「であれば坑道の魔物調査も残り23件か。依頼の期日にも余裕がある。今年の正月は貴様らにゆっくりと過ごさせることが出来そうだ」
元々安息日など自己管理にゆだねられるような稼業であり、特に「太陽の旅団」ではあってないようなもので、遠征のための移動が最も休まる時間との声さえ上がるほどだ。それは多くのギルドが休暇で扉を閉める正月でも同じであり、去年などはルネ本人も王族としての行事の傍らで全三対の鉄腕を各地に飛ばして依頼を片付けていたらしい。
「ということは年末年始は休んでいいんですねー!?」
「そもそも正月労働を強いてはいないのだがな」
「傭兵大隊の依頼スケジュールを見直してから言え」
所属人数に見合わない依頼数を引き受けるルネが悪いのか、それに応えられる所属傭兵たちが悪いのか。
「だがハクロよ。おかげで貴様のAランク昇格条件の点数もだいぶ稼げたのではないか?」
「てめぇの手柄みたいな言い方をするな。……どうだったかな、ここ数日は依頼ランクも確認してなかったからな」
「受付で依頼を引っ手繰ってフィールドに突撃するだけの毎日でしたからねー」
「明日確認するか。流石に受注依頼数的にもAランク昇格条件には達してはいないだろうがな」
「バーンズの時もそうでしたけど、『いつの間にか達成してた』ってこともありますしねー」
数千数万の傭兵のほんの一握りしか到達しえないはずのAランクにそんな軽いノリで成り上がってしまうのも如何なものかとハクロはやけくそ気味に溜息を吐く。
「そう言えばバーンズは息災か」
思い出したようにルネが問う。
ジルヴァレからずっとハクロと共に行動していたバーンズだが、当然ながらAランクを退いてからルネと直接会ってはいない。
「ああ。毎日元気に鉱山の人足やってるよ」
「……あれを『元気に』というのもどうかと思いますよー?」
エーリカが若干引き気味にハクロに苦言を呈す。
ハスキー州都での依頼対応を本格的に始めてから、バーンズとはほとんど言葉を交わす機会がなかった。朝はハクロとエーリカよりも早く現場に行き、その日の作業を終えると飯を掻き込んで自室で泥のように眠るというのを繰り返していた。
バーンズの食事はハクロの提示したメニューを中心に拠点に通っている傭兵大隊で雇用している職人ギルドの使用人たちが用意し、リリィが付き添って介護するように面倒を見ている。しかし最近では拠点に戻ってからの活動時間も増えてきたようで、数日前はギルド支部の訓練場で入れ違いになった。
その時にチラリと見たところ、流石に体格に変化が見られるには時期尚早ではあったが、その全身を巡る魔力の流れは見違えるほどに滑らかになっていた。
「ルネ、王都に戻るのは明日だったな」
「ああ。夕刻には転移魔方陣で戻らせてもらうつもりだ」
多忙のはずのルネが馬車で移動すると数か月かかる距離の王都とハスキー州を気軽に行き来しているのは、ジルヴァレまでの移動で使用した転移魔方陣を使用しているためだ。あちらはあくまで簡易版で一方通行の物だったが、ハスキー州都の拠点に置かれているのは往復可能仕様となっている。もちろん設置費用は目玉が零れるような金額だが、簡易版と違い魔石の消耗はかなり抑えられるというメリットもある。自分の庭の感覚で大陸中を行き来しているルネには必需の設備だった。
「それなら明日、帰る前にバーンズの仕上がりを見ていけ」
「ほう。貴様がそうまで言うということは、期待してもいいのだな」
「もちろんだ」
「楽しみにしている」
方や軽薄に、方や傲岸に笑う。
「あー……」
その様子をエーリカは何とも言えない微妙な表情で眺めていた。





