最悪の黒-100_原因判明
午後。
再度坑道に潜ったハクロとエーリカは次の分岐路まで駆け足気味に進んだ。途中まではハクロも一度通った道であり、さらに午前中にある程度魔物を一掃してあるため障害となるような存在がほとんどいないためだ。
「いやー、やっぱり前衛の相方がいるって楽でいいですねー」
そう言いながら暗視の魔術を維持し、エーリカはふすふすと笑う。
本人は即席でも傭兵団を組むことを望んでいるが相方に恵まれず、止むを得ずソロで依頼に当たっている。彼女に何かしらの問題があって疎まれているのだろうかということが真っ先に思い浮かんだが、ギルドの受付や現場責任者のロッソの態度を見る限りそういうわけでもないようだ。実際にハクロも言葉を交わし、彼女から嫌われるような雰囲気は感じなかった。
支援魔術師としても優秀であり、元々傭兵ではなかったとしても後衛としては引く手数多のはず。だのに何故ソロで危険なフィールドに潜り続ける事態になっているのだろうか。
「……! 止まってくださいー!」
そんなことを考えていると、先頭をぴょこぴょこと駆けていたエーリカの垂れた耳がピクリと動き、足が止まった。
「どうした?」
「……いましたー……!」
エーリカが暗視魔術の効果範囲を広げ、坑道の前方を指し示す。
その先にうぞうぞと蠢く大型犬ほどの影が五つほどあった。
「蜘蛛系種か」
全体的に紫色の毒々しい体色、大きく膨らんだ腹部には黒い斑紋が散りばめられ、8本の足には太い毛が生えている。巣を張るタイプの蜘蛛ではなく徘徊型のタランチュラのような外見だが、午前中は結局蝙蝠系種としかエンカウントしなかったため今回が初見だが、なるほど、確かに苦手な者はとことん苦手な姿形をしている。
しかしよく見ると、一匹だけ文字通り毛色の違う個体が混じっていた。
紫色と言えば紫色だが、それよりも赤みが強いワインレッドの体色をしている。
「アレが言ってた赤い蜘蛛系種か?」
「はい、アレですー。炎属性と地属性の混ざり合った環境下で稀に発生する、炎属性に偏った種ですねー。脅威度は通常の紫色の個体とほとんど変わらないので二つ名はついていませんけど、単純に珍しいんですよー。まさか初日から見つかるとは思いませんでしたー」
「ほう」
「まずは周りの通常個体を排除してから、赤化個体の脚を斬って身動きを封じてほしいですー」
「あいよ」
ホルスターから魔導具を抜き、標準を紫色の蜘蛛系種に合わせる。
それと同時に体内の魔力を練り上げ、言葉で術式を形成して近接武器を顕現させた。
「――抜刀、【キチュウ】」
ハクロの右手に細身かつ片刃の鋭い刃が握られる。毒々しい怪しい輝きを放つその刃には鍔も柄もなく、美しくも無骨な雰囲気が漂っていた。
「ふっ――」
呼気と共に引き金を四度引き、通常の蜘蛛系種を魔術で撃ち抜く。中核器官の位置は分からなかったが、蝙蝠系種よりも幾分か大柄と言っても威力過多は同じであり、一撃で全身が弾けるように飛び散り、魔力となって霧散した。
そしてそのまま赤い蜘蛛系種に肉薄し、刃を振るう。
『シューッ』
悲鳴なのか咆哮なのか、魔力の塊でしかないはずの魔物が噴出音を発して脚とは違う二本の挟角を振るいながら反撃を試みる。しかし完全に不意を突かれたことにより反応が遅れ、後ろ側の脚が二対斬り落とされた。
体格の割に細く長い脚は蜘蛛本来の大きさがあってこそ素早く、身軽に移動を可能にしている。それがそのまま巨大化したからと言って元の移動能力をそのまま維持できるわけではない。体重に対し脚が貧弱過ぎるのだ。
ではどうやって動き回っているのかと言えば、魔力の塊という魔物故に魔力を使い無理やりその巨体を動かしている。脚の細さを魔力により硬質化させて補い、魔力によって体重を誤魔化し軽量化させ、這い回る。ハクロからすればどうしてそこまで生き物の形を維持するのに拘るのかは不明だが、なんにせよ、蜘蛛の形をしている以上は移動のためには脚を動かす必要がある。でっぷりと丸い腹だけで這い回ることはできない。脚の半分を失った以上、その機動力は半減以下である。
「ふっ」
『シューッ』
後脚二対を斬り落とした返す刃で残る二対の前脚を叩き斬る。
これが本来の大きさの蜘蛛であれば小さすぎてそんな芸当は困難この上ないが、この大きさであれば無造作でできる。鯨や象の例にもあるように、体の大きさはほぼそのままイコールで種としての強さとは言え、この中途半端なサイズではむしろ狩りやすい。とは言え元の大きさの蜘蛛とどちらが脅威かと問われたら、間違いなく魔物の方が断然危険ではあるが。
「さて」
四対8本の脚を斬り落とされ移動能力を失った赤い蜘蛛系種を見下ろす。魔物は体組織を魔力で形成しているため損傷からの回復が早く、既にその予兆が見えていた。
「おいエーリカ。何がしたいのか知らんが手早――」
後方で控えていたはずのエーリカに声をかけようと振り返る。
しかし暗視魔術で昼間のように明るい坑道の先にその姿はなかった。
「うふ」
代わりに、足元に転がる魔物を頬擦りするかのように観察、否、凝視する兎のような小さな女がいた。
当然ながらエーリカである。
「…………」
いつの間に、と喉の奥から声が零れかける。
ホビット譲りの毛に覆われた足があり足音がしないとは言え、この距離まで近付かれていたことに全く気が付かなかった。
いや、それよりも。
「うふ。うふふ。うふふふ。うふふふふふ。うふふふふふふふ。」
笑っていた。
ナイフ片手に頬擦りするようにではなく、本当に頬擦りしながら。しかもご丁寧にマスクまで外して。
「動けないねえ。動けないねえ。魔物でも足がないと動けないねえ。じっとしててねえ。な。な。な。中身を見せてねえ。うふふふふふ。蜘蛛の形。蜘蛛の形。蜘蛛の形してても書肺はないんだねえ。牙はあっても口がないねえ。やっぱり他の魔物と同じく牙はあくまで攻撃手段なんだねえ。わあ。ちゃんと紡績腺もあるんだねえ。普通の蜘蛛は篩板から糸を出すわけだけど。わあ。すごい。君にもちゃんとあるねえ。ねえ。ねえ。き。き。牙に含まれる毒はどうなってるのかなあ。普通の蜘蛛と同じく神経毒なのかなあ。それとも河豚や茸みたいに摂取しても効果があるのかなあ。もしかして単純に毒性の強いだけの魔力だったりするのかなあ。ね。ね。ね。た。た。た。試してみてもいいかなあ。ひ。ひ。ひ。一舐めだけなら大丈夫かなあ。あ。待って。もしかしてこのチクチクしたお毛々にも毒が含まれてたりするのかなあ。なんだかほっぺがヒリヒリしてきたよ。君は炎属性に偏って生まれてきたわけだけど火傷みたいに爛れちゃうのかなあ。はあ。はあ。はあ。も。もう少し。もう少し。もう少しぃ……!!」
「…………」
ざしゅっ。
「あー!?!?!?」
手にした刃を振り下ろすと、エーリカは毒にやられて赤みを帯び始めていた顔を上げ、悲鳴を発した。まるで玩具を取り上げられた子供のようだが、それどころではない。
「はあ……」
「あー……」
そしてようやくハクロがいることを思い出したのか、若干気まずそうに視線を泳がせた。
「なるほど、一緒に依頼を受ける奴がいないわけだ」
「……す、すみません、つい―……」
「魔物構造学の調査員だったか」
「はいー……。私、昔から魔物が大好きで、つい夢中になっちゃってー……」
魔物構造学――つまるところ、魔物の体構造に特化した解剖学である。傭兵界隈で出回っている魔物の中核器官の位置情報などは彼らが記した報告書によるものであり、また毒や魔術による攻撃手段も彼らがいてこそ事前情報としてもたらされる。
しかしながら、それはそれ、これはこれである。
「限度があるだろ」
「すみませんー……」
指先をつんつんと動かしながらエーリカは誤魔化す言葉を探すが、ちらちらと視線は赤い蜘蛛系種に引っ張られている。
「って、あれー?」
エーリカが頓狂な声を上げた。
ハクロが振り下ろした刃により中核器官を破壊されたかに思えた魔物だったが、よく見れば腹部と頭胸部が分断されただけだった。蜘蛛系種の中核器官は頭胸部にあるため、脚の切断より時間はかかるだろうがそのうち回復し、消滅することはないだろう。
「解毒薬はあるか」
「あ、はいー。ちゃんと塗るタイプも持ってきてますー」
「さっさと塗って、マスクをしろ。手袋もだ。素手で触るな。解剖の基本だろ」
「え……?」
「保定は手伝ってやる。復活しそうになったらまたぶった斬ってやる。だからちゃんと安全を確保して、節度をもって解体せ」
思いがけないハクロの言葉にエーリカは目を輝かせた。
「いいんですかー!?」
「レアな個体なんだろ。調べられるうちに調べ尽くせ」
「了解ですー!」
エーリカは手早く解毒薬を引っ張り出して手と顔に塗りたくり、改めてマスクと手袋でしっかりと肌の露出を抑える。そして時折ハクロの手を借りながら魔物の解体に本格的に取り掛かった。
結局、その日の午後の坑道調査はそれ以上進まず、途中で引き返すこととなった。





