最悪の黒-096_坑道調査
ハスキー州都には街中に畜舎がほとんど存在しないため個人所有の馬車の普及率は低く、その代わりに街中に乗り合いの大型馬車による交通網が縦横無尽に張り巡らされている。
1台に搭乗できる人数は小さくとも30人以上、幅の広い大通りを往復する超大型馬車に至っては200人が一度に乗り込むことも可能だという。さらに停留所で5分も待てば次の馬車がやってくるため、無理に個人で馬車を所有する必要がないのだそうだ。
ちなみにその超大型馬車を引くのは地竜と呼ばれる魔獣である。生物分類上は竜馬の大型亜種に位置付けられ、体高は大型化するメスの場合4メートルにも達するという。その巨体と竜馬以上に魔術――この場合は保有魔力の放出による自衛――に長けるため自然界では天敵もおらず、気性は竜馬以上に穏やかだが繁殖期のメスは手が付けられないほど凶暴化するのは同様だ。体がとにかく大きくパワーがあるが1日に必要とする餌の量も馬鹿にならないため、王都でも乗合馬車の牽引動物として利用されているのは5頭のみだという。
しかしハスキー州都では32頭が導入され、街中の交通網の一端を担っている。
「まるで動く砦だな」
エーリカと共に拠点近くの停留所から馬車に乗り込んだハクロは思わずそう呟いた。
小さな民家ほどもある巨大な生き物がそれよりも巨大な馬車を引く姿はまさに圧巻の一言だった。昨日も拠点からギルドまでの道中で何度か見かけたが、実際に乗り込んで内側から見上げると凄まじい存在感がある。馬車とは言うものの2階建てで、ロンドンの路面バスを彷彿とさせる造りになっていた。
「私も初めて来た時は本当にびっくりでしたよー。こんなおっきな魔獣を家畜化させて馬車引かせるなんて、最初に言い出した人良い意味で頭おかしいですよねー」
「それはそうだな」
この大きさの生き物が人の居住区で暴れ出したら被害もとんでもないことになる。
しかしそれは普通の馬車と馬にも言えることであるため、どちらが悪いだとか優れているだとか、比べることはできないだろうが。
「この馬車で西12番工房まで行って、そこから別の馬車に乗り換えて20分くらいで依頼の坑道につきますー」
がさがさとエーリカがポーチから使い込まれてしわが寄った地図を取り出しハクロに見せる。指先で示した道のりは思いのほか長かったが、地竜の動作はゆったりだが一歩が大きいので乗り換えの停留所までは40分程だろうか。
「一応確認だが」
昨日のうちに拠点で打ち合わせは済ませているが、改めて依頼内容を擦り合わせる。
「場所は旧西区画第18坑道、その内部のどこかで魔物が発生している魔力溜まりを見つけ出し、その対処をするのが目的だな」
「ですです。発生場所が突き止められたらそこにクズ魔石を搬入、埋め立ててあげればそっちに魔力が吸われて魔力溜まりは解消されますー。大量のクズ魔石が発生するハスキー州ならではの力技の対処法ですねー」
「ついでに放っておけばクズ魔石に魔力が蓄積されて数年で新たな鉱脈の完成か。便利なものだな」
なんとはなしにぐるりと周囲の座席を見渡す。
人口の6割をエルフ占めるこのカニス大陸においては珍しく、視界に映るほとんどがドワーフだ。皆一様に長年の鉱業従事により汚れた作業着を着こみ、腹の底から響くような快活な笑い声を響かせている。傭兵ギルド酒場でも思ったことだが彼らはとにかく声が大きい。それは公共の施設でも変わりないらしく、時には隣に座るエーリカの声さえ聞き取りにくくなるほどだ。
それでいて不快にならないのが不思議なところだった。
恐らくは彼ら自身が心底から楽しんで会話をし、口調は荒いが陰口の類が一切ないからだろう。
竹を割ったようなという言葉がハクロの元居た世界にはあったが、ドワーフの「性質」はそういったものなのだろう。
とは言え、それが完全に正の方向に働くとは限らない。嫌いな物が目の前にあった場合、遠慮なく、気遣いもなく、端的に「嫌い」と突き放すことにつながる。
ドワーフの「頑固」「偏屈」といった印象はそこから生まれているのかもしれない。
その後、乗り換えを挟みつつ馬車に揺られるほど1時間ほど。
ようやく目的の坑道周辺の作業場前の停留所へ到着した。
「結構人が多いな」
「入り口側は通路として使ってますし、作業場は簡単に移せませんからねー」
地盤維持のために多少の樹木を残した山中の作業場で下車したのはハクロたちの他に20名ほど。さらに別の便で早めに到着していた他の鉱夫も合わせれば50人規模に達していた。
「おはようございますー!」
「おう、おはようさん!」
作業場の一段高い所で腕組みしながら鉱夫たちの準備完了を待っていた大柄なドワーフの元へ、ぴょいぴょいと跳ねながらエーリカが近付き挨拶がてら声をかける。するとドワーフは直前までの気難しそうな表情を一瞬で破顔させ、酒で黄ばんだ歯を見せながら大きく笑った。
「今日から1人増えますのでご挨拶に来ましたー」
「ガハハ! ようやく助っ人が来たのか! 良かったなあエーリカちゃん!」
土と油で真っ黒になった指先で大層立派な髭を撫でながらドワーフがにやりと笑い、ハクロへと視線を向ける。
「旧西区画の現場監督やってるロッソってんだ。よろしくな!」
「Bランク傭兵のハクロだ」
「エーリカちゃんの足を引っ張らねえようにくれぐれも気ぃつけてくれよな!」
「私、そんな大したものでもないですけどねー」
「努力しよう」
「一応俺がここいらの責任者てことになってっから、念のために打ち合わせさせてくれ」
ロッソが背後に置かれていたドワーフ用の背の低い作業台を指さす。そこには事前にエーリカからも見せられた坑道の地図が鋲で四隅を留められていた。さらに色々と赤いインクで書き込まれていることから現場作業に用いられている図面のようだ。
作業台と同程度の高さの椅子にロッソとエーリカが腰を下ろし、ハクロはそのまま地面に尻を置いて図面を覗き込む。
「こいつが第18坑道。魔物が目撃されているのは深度3、つまり入り口から300メートル以降の区画だ。図面で言うとここから先だな」
ガリっと紙が破れるのではないかと言う力でペン先を走らせ線を引いた。
今回のフィールドとなる第18坑道は魔導具が未発達の頃から利用されているため、硬い岩盤を避けつつ手作業で掘り進んでいった結果ぐねぐねと入り組んだ構造となっている。そのため最深部である深度10――1キロ地点でも入り口からの直線距離では500メートルほどと、ハスキー州の坑道の中では比較的浅い構造をしていた。
「入り口側の深度2より手前は隣の坑道と繋がってっからバリバリ使ってんだ。だから安全が確認できてる位置から応急で鉄扉付けて塞いでる」
「完全に封鎖する案は出なかったのか?」
「いや、将来的にはそのつもりだ。そもそも古いしぐねぐねしてっし使いにくいってんで費用対効果が薄いんだわ、この坑道。だから安全が確保出来たらクズ魔石と残土で完全に埋め立てる計画だ。この坑道を手彫りで作ったジジイ共の生き残りがごちゃごちゃうるさかったが、まあ安全には変えられねえわな」
当時の交渉を思い出したのかロッソは苦い顔を浮かべる。
ドワーフの年齢はエルフとは別ベクトルで分かりにくいが、曰く青年期がとにかく長いエルフに対しドワーフは老齢期がとにかく長く、そのくせ体が異様に丈夫で死ぬまで現役で働くという。ロッソもハクロからすればかなり年季の入ったベテランに見えるのだが、この坑道を手彫りしたというさらに老練のドワーフが今もどこかで鉱夫として働いているらしい。
「確認されてる魔物は蝙蝠系種と蜘蛛系種って聞いているが間違いはないか?」
前者は洞窟棲の傾向が強く、後者は鬱蒼とした山林など薄暗い環境を好む魔物であり、坑道で発生する種としてはメジャーな部類だ。いずれも炎と地属性の混合による毒性の高い魔力から発生することが多いが、炎属性魔石を産出する坑道内という環境とも合致する。
確認するとロッソは「ああ」と頷いた。
「俺は実際に見たわけじゃねえが、報告に上がってるのはその2系種だな」
「装備はちゃんと用意してるので大丈夫ですよー」
隣で説明を聞いていたエーリカが鞄からマスク型の魔導具とゴーグルを取り出した。ゴーグルはただのガラス製の防塵用だが、マスクの方は内部に光属性魔石を組み込んだ浄化の魔導具だ。これであれば多少の毒ガスの中でも行動が可能となる。
「第18坑道は全部で17本のルートに枝分かれしてるんですけど、昨日までに6本は踏査済みですー。残り11本の分岐を虱潰し出確認するのが今回の依頼ですねー」
「あいよ」
「目標としましては1日1ルートの踏破ですねー。坑道内は慣れてないと気持ちの上でも滅入ってしまうので、ちゃんと休みながら進みましょうー」
言いながらエーリカは自分の分のマスクを口に当て、ゴーグルをかける。それに倣ってハクロも長い前髪を掻き上げてそれぞれを装着した。流石に何もつけていない状態よりは息苦しいが、それでも毒性の高い魔力が充満している可能性のある坑道内では必須装備だ。
「それじゃあ出発しましょうー」
ぴょんとエーリカが飛び跳ねるように立ち上がり、それに続いてハクロも坑道へと足を向けた。





