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鋭い吾輩

掲載日:2026/11/06

「魚の目に水見えず」という言葉がある。


 魚はいつも水の中にいる。


 だから、水がそこにあることに気づかない。


 身近すぎるものの大切さには、なかなか気づけぬものだ――人間どもは、そういう意味で使うらしい。


 なるほど。


 たしかに吾輩は、いつも水の中にいる。


 水のない場所など、考えたこともない。


 水があるのが当たり前。


 泳げるのが当たり前。


 息ができるのが当たり前。


 それが吾輩の日常である。


 だが、人間どもは少々勘違いしている。


 水が見えないからといって、水を何も感じていないわけではない。


 吾輩は、水の流れを感じている。


 わずかな揺らぎを感じている。


 水温の変化を感じている。


 水の匂いも、濁りも、いつもと違う気配も感じ取っている。


 上流から何かが流れてくれば、すぐにわかる。


 水の流れが強くなれば、泳ぎ方を変える。


 水温が変われば、過ごしやすい場所へ移動する。


 危険な気配があれば、仲間たちと身を寄せる。


 見えているものだけが、すべてではないのだ。


 人間どもは、水の中に手を入れて言う。


「冷たい」


「温かい」


「きれいだ」


「濁っている」


 だが、吾輩にとって水は、ただ触るものではない。


 身体を包むもの。


 呼吸を支えるもの。


 進む方向を教えるもの。


 仲間や餌の気配を運んでくるもの。


 水は、吾輩の周りにあるのではない。


 吾輩は、水の中で生きている。


 水とともに生きているのだ。


 だからこそ、ほんの少しの変化にも気づく。


 流れが弱まった。


 水が濁った。


 いつもと違う匂いがする。


 底の様子が変わった。


 遠くで何かが動いた。


 人間どもには同じように見える水でも、吾輩には違いがわかる。


 昨日の水と今日の水。


 朝の水と夜の水。


 雨が降る前の水と、雨が降ったあとの水。


 どれも、同じではない。


「魚の目に水見えず」


 そう言われても、別に困りはしない。


 見えぬからこそ、感じている。


 目で確かめられぬものを、身体全体で受け止めている。


 水の流れに逆らう時もある。


 流れに身を任せる時もある。


 安全な場所を探す時もある。


 餌を追って、いつもと違う場所へ行く時もある。


 そのたびに、水は吾輩へ何かを伝えてくる。


 こちらへ行け。


 今は動くな。


 近くに何かいる。


 そこは危険だ。


 水は声を持たない。


 だが、何も語らぬわけではない。


 吾輩には、ちゃんと聞こえている。


 もっとも、人間どもには聞こえぬらしい。


 水槽の外から吾輩を眺め、


「今日も元気に泳いでいる」


 などと言っている。


 いやいや。


 吾輩は、ただ泳いでいるのではない。


 水を感じているのだ。


 流れを読み、変化を探り、周囲の気配を受け取っている。


 そのくらいできなければ、水の中では生きていけぬ。


 水は美しい。


 だが、いつも穏やかとは限らない。


 流れが強ければ身体を持っていかれる。


 濁れば周囲が見えなくなる。


 水温が変われば、身体にもこたえる。


 水があるから生きられる。


 だが、水の中で生きるには、水に合わせなければならない。


 それを人間どもは、外から見ているだけではわからない。


 魚は何も考えず、ただ水の中を泳いでいる。


 そんなふうに思っているのだろう。


 まったく、失礼な話である。


 吾輩は考えている。


 感じている。


 選んでいる。


 危険を避け、流れを読み、仲間の動きを見ている。


 目に映るものだけではなく、目に見えぬ変化まで感じ取っている。


 それが、吾輩の生き方なのだ。


 ……そういえば、人間どもも「空気が変わった」と言う。


「空気を読め」などとも言う。


 さらに、「潮目が変わった」とも言うらしい。


 なるほど。


 空気が変わる。


 潮目が変わる。


 どちらも、目に見えぬ流れの変化を感じ取っているということか。


 よどんだ空気。


 濁った水面。


 あれ?


 もしや、吾輩が感じているものと、あまり変わらないのではないか。


 人間どもも、声の調子や表情、沈黙の長さから、場の変化を感じ取っている。


 吾輩も、水の流れや水温、匂いの違いから、周囲の変化を感じ取る。


 空気と水。


 媒体は違えど、そこに現れる変化を読むという点では、似ているのかもしれぬ。


 ……いや、待て。


 まだだ。


 まだ吾輩の感覚のほうが優れているところが、どこかにあるはずだ。


 水の濁りなら、吾輩はすぐに気づく。


 流れの変化も、水温の違いもわかる。


 人間どもは、空気が変わってから、しばらく黙って考えているではないか。


 吾輩なら、もっと早い。


 ……たぶん。


 いや、きっとそうである。


 そうでなければ、魚としての立場がない。


 しかし、人間どもも空気を読む。


 空気が変わったことに気づく。


 潮目が変わったと感じる。


 そう考えると、人間どもにも、吾輩と似た感覚があるのかもしれぬ。


 目には見えぬものを感じる。


 小さな変化を受け取る。


 流れが変われば、それに合わせて動く。


 その感覚を磨けば、いつか人間どもも、吾輩のいる位置まで来られるやもしれぬ。


 水の中に入らずとも、水を感じられるようになるのだ。


 ……まあ、泳げるようになるという意味ではないがな。


 人間どもも、少しは身近なものを感じてみるとよい。


 毎日飲んでいる水。


 身体を洗う水。


 雨となって降る水。


 川を流れ、海へ向かう水。


 当たり前にあるものほど、失ってから大切さに気づくという。


 だが、失う前に感じ取れれば、そのほうがよいに決まっている。


 吾輩は、いつも水の中にいる。


 だからこそ、水の変化に気づく。


 見えぬものを感じる。


 小さな違いを受け取る。


 魚の目に水見えず。


 なるほど、言いたいことはわかる。


 だが、見えぬからといって、鈍いとは限らぬ。


 吾輩は、水の中で生きている。


 水の変化を感じ取り、流れを読み、危険を察知する。


 それくらいの鋭さがなければ、魚など務まらぬ。


 少なくとも、吾輩はそう思っている。

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