鋭い吾輩
「魚の目に水見えず」という言葉がある。
魚はいつも水の中にいる。
だから、水がそこにあることに気づかない。
身近すぎるものの大切さには、なかなか気づけぬものだ――人間どもは、そういう意味で使うらしい。
なるほど。
たしかに吾輩は、いつも水の中にいる。
水のない場所など、考えたこともない。
水があるのが当たり前。
泳げるのが当たり前。
息ができるのが当たり前。
それが吾輩の日常である。
だが、人間どもは少々勘違いしている。
水が見えないからといって、水を何も感じていないわけではない。
吾輩は、水の流れを感じている。
わずかな揺らぎを感じている。
水温の変化を感じている。
水の匂いも、濁りも、いつもと違う気配も感じ取っている。
上流から何かが流れてくれば、すぐにわかる。
水の流れが強くなれば、泳ぎ方を変える。
水温が変われば、過ごしやすい場所へ移動する。
危険な気配があれば、仲間たちと身を寄せる。
見えているものだけが、すべてではないのだ。
人間どもは、水の中に手を入れて言う。
「冷たい」
「温かい」
「きれいだ」
「濁っている」
だが、吾輩にとって水は、ただ触るものではない。
身体を包むもの。
呼吸を支えるもの。
進む方向を教えるもの。
仲間や餌の気配を運んでくるもの。
水は、吾輩の周りにあるのではない。
吾輩は、水の中で生きている。
水とともに生きているのだ。
だからこそ、ほんの少しの変化にも気づく。
流れが弱まった。
水が濁った。
いつもと違う匂いがする。
底の様子が変わった。
遠くで何かが動いた。
人間どもには同じように見える水でも、吾輩には違いがわかる。
昨日の水と今日の水。
朝の水と夜の水。
雨が降る前の水と、雨が降ったあとの水。
どれも、同じではない。
「魚の目に水見えず」
そう言われても、別に困りはしない。
見えぬからこそ、感じている。
目で確かめられぬものを、身体全体で受け止めている。
水の流れに逆らう時もある。
流れに身を任せる時もある。
安全な場所を探す時もある。
餌を追って、いつもと違う場所へ行く時もある。
そのたびに、水は吾輩へ何かを伝えてくる。
こちらへ行け。
今は動くな。
近くに何かいる。
そこは危険だ。
水は声を持たない。
だが、何も語らぬわけではない。
吾輩には、ちゃんと聞こえている。
もっとも、人間どもには聞こえぬらしい。
水槽の外から吾輩を眺め、
「今日も元気に泳いでいる」
などと言っている。
いやいや。
吾輩は、ただ泳いでいるのではない。
水を感じているのだ。
流れを読み、変化を探り、周囲の気配を受け取っている。
そのくらいできなければ、水の中では生きていけぬ。
水は美しい。
だが、いつも穏やかとは限らない。
流れが強ければ身体を持っていかれる。
濁れば周囲が見えなくなる。
水温が変われば、身体にもこたえる。
水があるから生きられる。
だが、水の中で生きるには、水に合わせなければならない。
それを人間どもは、外から見ているだけではわからない。
魚は何も考えず、ただ水の中を泳いでいる。
そんなふうに思っているのだろう。
まったく、失礼な話である。
吾輩は考えている。
感じている。
選んでいる。
危険を避け、流れを読み、仲間の動きを見ている。
目に映るものだけではなく、目に見えぬ変化まで感じ取っている。
それが、吾輩の生き方なのだ。
……そういえば、人間どもも「空気が変わった」と言う。
「空気を読め」などとも言う。
さらに、「潮目が変わった」とも言うらしい。
なるほど。
空気が変わる。
潮目が変わる。
どちらも、目に見えぬ流れの変化を感じ取っているということか。
よどんだ空気。
濁った水面。
あれ?
もしや、吾輩が感じているものと、あまり変わらないのではないか。
人間どもも、声の調子や表情、沈黙の長さから、場の変化を感じ取っている。
吾輩も、水の流れや水温、匂いの違いから、周囲の変化を感じ取る。
空気と水。
媒体は違えど、そこに現れる変化を読むという点では、似ているのかもしれぬ。
……いや、待て。
まだだ。
まだ吾輩の感覚のほうが優れているところが、どこかにあるはずだ。
水の濁りなら、吾輩はすぐに気づく。
流れの変化も、水温の違いもわかる。
人間どもは、空気が変わってから、しばらく黙って考えているではないか。
吾輩なら、もっと早い。
……たぶん。
いや、きっとそうである。
そうでなければ、魚としての立場がない。
しかし、人間どもも空気を読む。
空気が変わったことに気づく。
潮目が変わったと感じる。
そう考えると、人間どもにも、吾輩と似た感覚があるのかもしれぬ。
目には見えぬものを感じる。
小さな変化を受け取る。
流れが変われば、それに合わせて動く。
その感覚を磨けば、いつか人間どもも、吾輩のいる位置まで来られるやもしれぬ。
水の中に入らずとも、水を感じられるようになるのだ。
……まあ、泳げるようになるという意味ではないがな。
人間どもも、少しは身近なものを感じてみるとよい。
毎日飲んでいる水。
身体を洗う水。
雨となって降る水。
川を流れ、海へ向かう水。
当たり前にあるものほど、失ってから大切さに気づくという。
だが、失う前に感じ取れれば、そのほうがよいに決まっている。
吾輩は、いつも水の中にいる。
だからこそ、水の変化に気づく。
見えぬものを感じる。
小さな違いを受け取る。
魚の目に水見えず。
なるほど、言いたいことはわかる。
だが、見えぬからといって、鈍いとは限らぬ。
吾輩は、水の中で生きている。
水の変化を感じ取り、流れを読み、危険を察知する。
それくらいの鋭さがなければ、魚など務まらぬ。
少なくとも、吾輩はそう思っている。




