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【悲報】モラハラ入婿アルヴィンくんへの反応集www(削除済)

掲載日:2026/10/22


『入婿の分際で生意気だな。まあ、こういう奴は早々に“病気”になって退場するだけか』




 そんな意地の悪い男の声が、頭のすぐ後ろから聞こえた。ぎょっとして振り返ったものの、そこには誰もいない。少し離れた場所に控えている侍従も、こちらを見て不思議そうに首を傾げているだけで、今の声が聞こえた様子はなかった。


 アルヴィン・グレイストンは伯爵家の次男で、近々、隣国との交易で財を成したフェレル侯爵家へ婿入りすることが決まっていた。相手は侯爵家の一人娘、マーガレット。家格も年齢も申し分なく、幼い頃から両家の間で話が進められていた縁談で、父も母も諸手を挙げて喜んでいる。


 ところが、当の本人は少しも面白くなかった。


 貴族の次男三男が他家へ婿入りするのは珍しくない。それくらい承知しているが、この婚姻は自分の意思では無い。物心ついた時から勝手に“そうだった”だけだ。自分の結婚相手くらい自分で選びたかったし、何よりマーガレットには、こちらの面白くない気持ちを少しは察してほしかった。


 先ほども、彼女が領地の話を持ち出したので、つい嫌味を言ってしまったところである。


「君は俺に何を期待しているんだ? 領地の管理だの、家の仕事だの、そういうものは君が引き継ぐんだろう。俺は頼まれてそちらへ入る身だ。今からあれこれ押しつけられるのは御免だな」


「押しつけるつもりはございません。ただ、いずれお住まいになる場所ですから、少しでも知っておいていただければと思ったのです。来月には北の別邸へ参りますので、ご一緒にいかがかと……」


「結構。君の家の別邸に興味はないし、俺が行かなくても困りはしないだろう。そういう話なら、結婚してからにしてくれ」


 口を閉ざしたマーガレットが、しばらくして静かに頷いた。その表情を見て、少し言いすぎたかと思った直後に、例の声が聞こえた。



 庭の植え込みの向こうまで確かめたが、やはり人影はなかった。マーガレットに尋ねても何も聞いていないと言うので、ひとまず空耳として片づけることにしたものの、あの声は随分とはっきりしていた。結局答えはでなかったので、なにかの聞き間違いかと無理やり自分を納得させることしか出来なかった。




 しかし、不可解な出来事というのは、一度起こると続くものらしい。


 次に声を聞いたのは、婚約者とともに出席した夜会でのことだった。


 フェレル家の令嬢は、商人との取引にも明るい。そんな話題で年長の貴族たちに褒められているマーガレットを見て、アルヴィンは面白くなくなった。別に自分が褒められたいわけではないが、周囲が彼女を持ち上げるたび、夫となる自分が何やら添え物扱いされている気がする。


「ずいぶん頼もしい花嫁だな。これなら俺は、結婚してからも遊んで暮らせそうだ。まったく、働き者の妻を持つというのも考えものだな。俺の出番がなくなってしまう」


 軽い冗談のつもりだった。周囲の貴族たちは曖昧に笑い、マーガレットも微笑んだので、特に問題はないはずだった。



『うわ、出たよ。嫁の功績に乗っかって偉そうにする無能婿。自分の価値がないのを自慢してんの情けなくねえの? 草』



 危うく持っていた杯を取り落としかけた。


 まただ。あの声だ。しかも今度は前回より随分と口が悪い。無能とは何事だ。草とは何だ。庭師の話など誰もしていないぞ。



『この調子でヘイト稼いでくれれば退場も早いだろ。いやー、こいつの末路が楽しみだわ。誰かタイムスタンプ押してくんね? 処刑シーンだけみたい』



 楽しみにするな。


 思わず胸の内で言い返してから、そんなことをしている自分にも腹が立った。誰が言っているのかもわからない悪口に、いちいち反応するのは馬鹿馬鹿しい。誰がどうして処刑されるんだ、法の無い世界にでもいるのか、適当なことを言いやがって。せいぜい失言で立場が悪くなる程度……。


 そう考えて杯を置いたところで、隣の老伯爵に話しかけられ、穏やかに応じているマーガレットの姿が目に入った。


 先ほどの冗談にも彼女は何ひとつ言い返さず、ただ微笑んでいたが、あれは本当に笑っていたのだろうか。あの冗談は、少しばかり意地が悪かった気がする。ほんの少しだけ、失言だったかもしれない。


 今さらそんなことが気にかかったものの、確かめる勇気はなかった。それからというもの、何かをしでかすたびに、どこからともなく例の声が聞こえるようになった。


 マーガレットとの外出の約束を忘れ、友人と狩りへ出かけていると、


『約束すっぽかして謝罪もなしかよクソ男死ね』


 彼女から贈られた刺繍入りのハンカチを、趣味ではないと言って使用人に渡せば、


『黙ってありがとう言っときゃいいのにそんなことも出来ねえの? 人間様に向いてないなこの虫』


 婚約者の屋敷で、彼女より先に上座へ腰を下ろしたときなど、


『えっ! マナーとか紳士的振る舞いとかご存知ない?! こいつ何歳? 生後三日目?』


 上座に座ったのは自分が男だからで、悪気などなかった。

 だが、そう弁解しようとしたところで、声の主が目の前にいるわけでもない。仕方なく、ひとまず立ち上がってマーガレットに席を譲った。椅子も引いた。少し冷えるのでメイドに膝掛けを用意させ、テーブルに飾られた花については花言葉を交えて話を広げ、天気以外の気の利いた話題も振ってみた。これでどうだ、文句はあるまい!? もはや自分が何と戦っているのかもわからないが、マーガレットは困惑しながらも付き合ってくれたので、ひとまず問題はないだろう。


「どうかなさいましたか?お加減でも悪いのでしたら、今日はお帰りになっても構いませんよ。お父様にもそのように申し上げますから」


「いや、具合は悪くない。……君がそちらに座るべきだと思ってな。俺はまだこの家の人間じゃないし、そもそも、ここでは君が主人なんだろう」


「まあ。そんなことをお気になさる必要はございませんのに。いつものお席でよろしいのですよ」


「いいんだ。俺がそうしたいだけだから、気にしないでくれ」


 不思議なことに、その日はそれから例の声も聞こえず、次にあの不愉快な声を耳にしたのは、マーガレットとの約束を破ってしまったときのことだった。


 馬車の車輪が壊れ、待ち合わせに大幅に遅れた。マーガレットを待たせてしまった負い目から、彼女が何か言うより先に、ついいつもの調子で「馬車が壊れたんだから仕方ないだろう」と言い放ったところで、


『逆ギレモラハラ男。謝ったら死ぬ病気なの? 潔くないぞ! 死ぬなら今!』


 実に腹立たしい声だった。

 謝ったら死ぬ病気というものがあるのか、と一瞬考えたが、そんなわけはない。しかし、たしかに、謝罪の前に言い訳を並べてしまったのは己の落ち度だとも思えた。


 この声は何なのだろう。

 アルヴィンが思うに、何らかの悪霊が取り憑いているのではないか。


 悔しいことに、この悪霊はアルヴィンが言い返せない部分を見つけると嬉々として刺しに来る。そういう類の化け物なのだとわかってきた。


「……すまん。遅くなった。馬車が途中で壊れてな、別のものを手配するのに手間取ったんだ。随分待たせてしまっただろう」


「まあ、そうでしたの。お怪我はありませんでしたか?馬車が壊れたと伺っていたら、こちらから迎えを出しましたのに」


「いや、怪我はない。君を待たせたのは悪かった。次はもう少し早く知らせるようにするよ」


 そう答えると、マーガレットが少し驚いた顔をしたので、帰り道になってから気になり始めた。謝罪しただけであんな顔をされるとは、普段の自分は一体どう思われているのだろう。付き合いは長いが、ただ長いだけだったような気がする。

 食事に誘われても気が向かなければ断り、贈り物を受け取っても礼状ひとつ書かず、それを相手が受け入れるのも当然だと思っていた。これはさすがに、婚約者以前に、人付き合いとしてどうなのだろう。


 少なくとも、アルヴィンなら友人からこんな扱いを受けたら「こいつ、俺のことが嫌いなんだな」と確信する。別に自分はマーガレットのことが嫌いなわけではないのだ。だったら、わざわざ嫌な態度を取り続ける必要もないのではないだろうか。


 とりあえず、悪霊の囁きは自分が何か失敗したときに聞こえるという点だけは理解できるようになってきたので、試しにマーガレットに少し親切にしてみることにした。

 婿入りするからといって相手に媚びるような真似はしたくなかったが、アルヴィンが威厳を示そうとするたびに、あの辛辣な嘲笑が浴びせられるのだから仕方がない。自分を大きく見せようとして無能だの寄生虫だのと罵られるのでは、割に合わないではないか。


 使用人に尋ねて彼女の好物だという菓子を用意し、茶会へ持参すると、予想以上に喜ばれたうえに例の声も聞こえない。気をよくして領地の様子などを尋ねてみれば、普段は控えめな彼女が驚くほど饒舌になった。北の森で採れる木材の質がよいこと、川沿いの町に新しい橋を架ける計画があること、今年は果樹園の収穫がよかったこと。話しているうちに興が乗ってきたらしく、身振りまで交えて説明してくれる。


 そこでアルヴィンは、今さらながらマーガレットが本当に楽しんでいるときと、愛想笑いをしているときの違いに気づいた。彼女は嬉しいことがあると案外よく喋るし、笑うときには目元までくしゃりとする。これまで自分に向けられていた、口元だけの上品な笑みとは随分違っていた。


 そして、思い返してみれば、今までの彼女はほとんど愛想笑いだった。


 これはなかなか衝撃だった。もしかすると、マーガレットは自分のことを少しも好きではないのだろうか。そんな疑念が湧いてきたものの、よく考えればマーガレットにとっても親が決めた縁談なのだから、最初から好意を持ってもらえると思う方がおかしかった。


 面白くない発見だったが、幸い、今のマーガレットは目をキラキラとさせて楽しそうにしている。話が少々難しくなっても、わからないところを尋ねれば丁寧に教えてくれるし、聞いているうちにこちらも興味が湧いてきた。


 特に北方の山道を通る交易路には覚えがある。以前、友人に誘われて遠乗りに出かけた際、あまりの道の悪さにひどい目に遭わされた場所である。


 

「その道なら知っているぞ。あそこへ荷馬車を通すのはやめておいた方がいい。雨が降ればぬかるむし、坂道の途中に大きな石が出ている。俺も馬を転ばせかけたことがあるんだ。道を直すにしても、あの石をどうにかしないと駄目だろうな」


「まあ、実際に通られたことがあるのですか? 地図では勾配がわかりにくくて困っておりましたの。もしよろしければ、今度詳しくお聞かせいただけませんか」


「ああ、構わない。何なら一緒に見に行ってもいいぞ。あの辺りは景色がいいし、馬で行くにはなかなか面白い場所なんだ」


「それは嬉しいです。実は私も、一度自分の目で確かめたいと思っていたのですけれど、父から一人では行くなと止められておりまして」


「そりゃ止めるだろうよ。あの道を令嬢一人で行かせる方がどうかしている。俺が案内してやるから、それなら君のお父上も文句はないだろう」


 マーガレットが口元を押さえて楽しそうに微笑んだ。いつも落ち着いた女性だと思っていたが、案外、冒険好きなところもあるらしい。それからは二人で領地を訪ねる機会が増えた。

 土地の事情にはマーガレットが詳しく、馬や街道のことならアルヴィンにも多少は心得がある。遠くの村へ出かける際には案内役を買って出たり、橋の架け替えに必要な資材の運搬経路について意見を求められたりと、思いがけず役に立つこともあった。


 馬の調達まで任されるようになると、以前は面倒に思っていた領地の仕事にもすっかり興味が湧いてきた。どうやらマーガレットは、数ある仕事の中からアルヴィンの得意なことや興味を持てそうなものを選んで任せてくれていたらしい。

 そういえば、茶会でも随分とあれこれ尋ねられたものだが、あれは自分に何ができるかを知ろうとしてくれていたのか。


 とはいえ、長年の癖はなかなか抜けない。ある日、マーガレットが数日かけてまとめた工事の計画について、現地の職人から話を聞いているうちに、つい余計な口を挟んでしまった。


「いや、それじゃ駄目だろう。君は実際の馬車を見ていないからわからないんだ。そんな場所に資材置き場を作ったら邪魔になる。少し考えたらどうだ?」


 途端に職人たちが黙り込み、マーガレットの頬がわずかに赤くなる。



『うわー、また始まった。人前で女に恥かかせるの大好きマウント主義者。言い方ってもんがあるだろ、嫌味ったらしいヤツ』



 耳元で囁かれた悪口に、はっとした。現地で気づいたことを伝えたつもりが、これでは大勢の前で彼女の考えを頭ごなしに否定したようなものではないか。それに、言わなくてもいい嫌味も勝手に付けてしまっていた。


「……すまん、今のは言い方が悪かった。君の考えも聞かずに否定することはなかったな。ただ、馬車の動きを考えると少し気になるところがあってさ。図面を見せてもらってもいいか?」


「ええ、もちろんです。私も現地の方々のお話を伺いたいと思っておりましたから、気になることがあれば遠慮なく仰ってください」


「ありがとう。親方、あなたにも聞きたいんだが、資材置き場を作るならどこがいいと思う? 俺はこの辺りを考えたんだが、実際に仕事をする人間の意見も聞かせてほしい」


 それまで黙っていた職人たちも意見を出し始め、思いがけず話し合いは盛り上がった。アルヴィンが提案した場所にも別の問題が見つかり、結局は少し離れた土地を使うことで落ち着いたのだが、帰りの馬車でマーガレットがふとこんなことを言った。

 

「アルヴィン様は、以前よりずっとお話しやすくなられましたね。昔は何を申し上げても、あまり興味を持っていただけなかったので」


「……そうだったか。いや、そうだな。俺は君に随分失礼なことを言っていたと思う。今さらだが、すまなかった」


「いいえ。こうして一緒に領地のことを考えていただけるのが嬉しいのです。私一人では気づけないことも多いですし、アルヴィン様にはこれからも色々と教えていただきたいと思っております」


「俺の方こそ、君に教わることばかりだよ。……なあ、マーガレット。今度、仕事抜きでどこかへ出かけないか? 君の好きな場所でいい。そういえば、俺たちは婚約者同士だというのに、ろくに二人で遊びに出かけたこともなかっただろう」


 マーガレットはアルヴィンの言葉を聞くと、大きな目をぱちりとまたたかせてから、口元に手をあててニッコリと微笑む。

 頭でっかちのつまらない女だと思っていたが、こうして付き合ってみれば、実に魅力的な女性ではないか。優しく聡明で、少々頑固なところもある。

 馬に乗れないことを悔しがっていたくせに、いざ同じ馬に乗せてやると怖がって腰にしがみついてくるところなど、なかなか可愛らしい。今ではそんな彼女の新しい一面を知るのが楽しみになっていた。


 あの口汚い声には散々腹を立てさせられたが、おかげで気づいたことも多い。顔も知らない悪霊に少しくらい感謝してやってもいいかと思い始めたものの、どうやら向こうはこちらを相変わらず嫌っているらしい。




 ある舞踏会で、マーガレットを侮辱するような発言をした令嬢がいた。聞き流す気にはなれず、つい声を荒らげて反論したところ、すかさず例の声が飛んできた。



『お、正義マン気取りか? 今さらまともぶっても過去の言動は消えねえぞ。調子乗んな』



 相変わらずひどい言い草だ。別に過去の振る舞いを帳消しにしたいわけではないし、目の前で婚約者を侮辱されて黙っていられるものか。胸の内で言い返してみたが、案の定、返事はなかった。


 かつてのアルヴィンの振る舞いは悪霊どもも大喜びするような代物だったが、マーガレットはそれを責めることもなく、以前よりずっと親しく接してくれるようになった。


 これほど寛大な女性なら、死後も悪霊に堕ちることなく、天から迎えが来るに違いない。結婚式が近づく頃には、彼女と同じ家で暮らす日々が待ち遠しく、式の準備で顔を合わせるたびに、あと何日で夫婦になれるだろうと考えてしまう。かつてはあれほど気乗りしなかった縁談なのに、我ながら随分な変わりようだ。


 悪霊がまた『手のひらくるっくる~~』と囁いてきたが、これにはぐうの音も出なかった。とはいえ、以前のように腹を立てて反論する気にもならない。どうやら、こちらが心を強く持っていれば、悪霊もそのうち黙るらしい。今回もひとしきり悪態をついたあと、忌々しげな舌打ちを残して静かになった。


 結局のところ、気合いなのだろう。意地を張らず、拗ねず、誠実に己を保ちながら、少し広い視野で物事を考える。それだけのことが、今までのアルヴィンにはできていなかった。


 だが、そこに気づき、己の振る舞いを改めたのは、ひとえにアルヴィン自身の努力と気合いの賜物である。断じて悪霊のおかげなどではない。実際、周囲からの評判も日に日に上がっており、先日は母親から「ようやく大人になったのね」としみじみ言われたほどだ。褒められているはずなのだが、素直に喜びにくい言い方だった。大人になったので、一応「まあな」と頷いておいたが。



 そうして迎えた婚礼の日は、朝から気持ちのよい晴天に恵まれた。教会から取り寄せた聖水で身を清め、悪霊避けの護符をあらゆるところに仕込んでいる。今のアルヴィンは小さめの聖域だ。悪霊に式を邪魔されないように、数ヶ月前から聖水も護符も依頼していた。


 フェレル侯爵家の庭園は色とりどりの花で飾られ、祝福に訪れた貴族たちの笑い声で賑わっている。式が執り行われるのは、屋敷に隣接する小さな礼拝堂だ。


 古くから侯爵家の婚礼に使われてきた場所で、マーガレットの両親もここで愛を誓ったらしい。そんな由緒ある場所で自分たちも誓いを交わすのかと思うと、何やらくすぐったい気分になった。控え室で衣装を整えている間にも自然と頬が緩み、祝いの言葉をかけに来た友人たちから、早くも散々からかわれることになった。


「お前がこんなに早く落ち着くとは思わなかったよ。昔は結婚なんてつまらないと言っていたくせに、近頃は彼女の話ばかりじゃないか」


「うるさいな。俺だって自分がこうなるとは思わなかったさ。だが、マーガレットはいい女だぞ。今日の花嫁姿を見たら、お前たちもきっと羨ましくなる」


「おいおい、もう惚気話か。式が始まる前からそれじゃ、先が思いやられるな。せめて俺たちの前では、もう少し落ち着いてくれよ」


「悪いが、それは無理な相談だ。どうせなら盛大に祝ってくれ。今日は俺の人生で一番いい日になる予定なんだからな」


 友人たちはひとしきり笑って背中を叩き、賑やかに出ていった。一人になっても頬が緩むのを抑えられず、鏡の前で襟元を整えながら、結婚後の暮らしに思いを馳せる。


 朝食の席ではきっと領地の話で盛り上がるだろうし、休日には二人で馬を走らせるのもいい。彼女が気に入りそうな子馬も見つけた。もう少し育ったら、プレゼントとして贈るつもりだ。そんなことを考えているうちに迎えの者がやってきたので、いよいよかと少しばかり緊張しながら礼拝堂へ向かったのだが、その途中で思いがけない人物に呼び止められた。


「アルヴィン様。少しだけ、お話しできませんか?お式が始まる前に、どうしてもお伝えしたいことがありますの」


 振り返った先に立っていたのは、リンダ・フェルゼンという令嬢だった。学生時代の恋人で、マーガレットとは学園も学年も違ったことから、婚約者の目を気にせず逢瀬を重ねていた相手である。


 当時は親の決めた縁談に反発していたこともあり、互いにすっかり夢中になって、卒業したらどうするか、いっそ二人で遠くへ行ってしまおうかなどと、今思えば随分と無責任な話までしていた。


 結局、卒業を機に会う機会が減り、手紙のやり取りも途絶えてしまったが、淡い金色の髪も愛らしい顔立ちも、記憶にある姿と少しも変わっていない。どこか寂しげにこちらを見つめる眼差しまで昔のままで、思いがけない再会に懐かしさを覚えた。彼女に招待状を送った覚えはないので、おそらく友人の誰かに同伴してきたのだろう。


「久しぶりだな、リンダ。君が来てくれるとは思わなかったよ。今日はわざわざありがとう。またあとで皆とゆっくり話そう」


「いいえ、今でなければ駄目なのです。……私、今日までずっと考えておりましたの。あの頃、どうして私たちは離れなければならなかったのでしょう。アルヴィン様が結婚なさると聞いても、どうしても諦めきれなくて」


 潤んだ瞳に見つめられ、思わず言葉に詰まった。

 彼女のことは確かに好きだった。親に決められた婚約さえなければ、今頃はこの女性と結婚していたかもしれない。そう考えたことも、一度や二度ではない。


「……リンダ、もう済んだことだろう。俺は今日結婚するんだ。君だってそれを知っているはずじゃないか」


「ええ、もちろん存じております。でも、結婚なさったからといって、私たちの気持ちまで消えてしまうわけではないでしょう? 私、あなたに何も求めません。奥様のお立場を奪おうとも思いませんわ。ただ、ときどきでよいのです。以前のように、二人きりでお会いできれば……」


 そっと伸ばされた手が、袖に触れた。

 思い出が胸をよぎる。彼女と過ごした庭園の午後、こっそり交わした手紙、誰にも知られないように馬車を走らせた夜。まだ何の責任もなく、ただ好きな女性と一緒にいられれば、それでよかった頃のこと。

 懐かしい、と思った。

 リンダの指先が袖を掴み、もう少し近づいてくる。


「アルヴィン様。私は今でも、あなたをお慕いしております。お返事は今すぐでなくても構いません。お式が終わって落ち着かれてから、またお手紙を差し上げてもよろしいでしょうか」


 今でも。


 その言葉に、心がわずかに揺れた。昔のように、ときどき彼女と会うくらいなら許されるのではないか。そんな考えがふと頭をよぎった、その瞬間だった。


 

『入婿の分際で生意気だな』



 ぞっとするほど聞き覚えのある男の声が、頭の後ろで響いた。



『こいつまだ懲りてねえのかよ! 結婚式当日に元カノと密会とか、クズすぎてウケる』



 続けて、今まで聞いたこともないほど大勢の声が、一斉に耳元へ流れ込んでくる。




『アバズレとクソ男で付き合っちゃえよ、お似合いじゃん』『うわ、死亡フラグ!死亡フラグ立ったぞ!』『処刑用BGM』『典型的女さんと男さん笑ざまぁ用のキャラ退場シーン来ましたわね』『長かったあ、やっと消えてくれるのか』『不倫ルート突入おめでとうございまーす!』『wwwwww』『こういう男キャラマジ嫌い。現実の男ってここまでバカじゃないから』『←賢い僕はもっと上手く不倫しますと言っております』『しーね♪しーね♪』『世界観的に斬首あり?』『“視え”た。これはドアマットヒロインものの布石……! 親世代! こいつは生き残り不倫女との間に娘を作り、マーガレットは死に、残された娘がこいつの不義の子に全てを奪われつつなんやかんやあってザマァで最後はこいつら全員死んでターンエンド!!』『雑www』『あー、早くざまぁされてほしい。こいつが苦しむところだけ見たいわ』『最近こんな話ばっかだな』『氷のなになに様に愛されるヒロインのための踏み台だろ、長かったな』『5倍速で見てたからなんなのかわかんないいまなにしてんの』『ドパ過ぎ』『5倍速って何が見えてんだお前wwwwww』




 男の声、女の声、若い声、年老いた声。聞いたこともない言葉が次々と飛び交い、耳を塞ぎたくなるほどの騒々しさなのに、廊下には自分とリンダの二人しかいない。しかも、どの声もひどく楽しそうだった。


 ゲラゲラと笑いながら、ふざけながら、まるで余興でも待ちわびるように自分の死を望んでいる。背筋に冷たいものが走り、思わずリンダから一歩退いた。いつの間にか指先が冷えきっており、心臓だけが嫌に大きく脈打っている。


 もし本当に、あの声の言うとおりになるとしたら。病気になって退場するという最初の言葉が、不意に恐ろしいほど現実味を帯びて思い出された。


 あれほど大勢の人間が、自分の死を今か今かと待ち構えている。姿も見えず、どこにいるのかさえわからない連中に、いったい何をされるというのか。


 そして恐ろしいことに、つい先ほどまで、その連中を喜ばせるような真似を自分からしようとしていた。ほんの一瞬とはいえ、リンダの誘いを受け入れかけた。


 昨日、式の準備を終えたマーガレットが、少し疲れた顔をしながらも「明日からはずっとご一緒ですね」と嬉しそうに笑っていたのを覚えている。あんなにも結婚を楽しみにしてくれている女性を礼拝堂で待たせながら、自分は一体何を考えていたのだろう。喉の奥がひどく渇き、唾を飲み込むことさえ難しかった。 


「……いや、駄目だ。リンダ、君とはもう会えない。手紙も寄越さないでくれ。昔のことを懐かしく思う気持ちはあるが、俺には妻になる女性がいるんだ。今日からは、あの人を裏切るようなことはしたくない」


「でも、アルヴィン様。私たちは以前、あんなにも愛し合っていたではありませんか。あの方と結婚なさるのだって、ご両親がお決めになったことでしょう? 私のことを、もう少しも愛してはいらっしゃらないのですか」


「昔は君が好きだった。それは本当だし、今さら嘘をつくつもりもない。だが、俺はマーガレットを愛している。親が決めた婚約だったとしても、今は俺自身があの人と結婚したいんだ。君にも幸せになってほしいと思うが、俺はもう君の相手にはなれない」


 リンダの目から涙がこぼれた。かつて愛した女性を泣かせてしまったことには胸が痛んだが、もう気持ちが揺らぐことはない。昔の二人を懐かしく思う気持ちは残っているものの、今の自分が一緒にいたいのはマーガレットなのだ。ここは強く突き放すのも彼女のためだろう。




「……なによ! 意気地無し!」


 それまで涙を浮かべていたリンダが、突然声を荒らげた。


 可愛らしい顔を怒りで真っ赤にし、こちらを睨みつけてくる。あまりの変わりようにアルヴィンが呆気に取られていると、今度は悪霊たちが一斉に笑い始めた。


『ぶははは! 本性出たwww』『断られた瞬間これかよ!』『いやー、お似合いだったのに残念!』『どっちも性格終わってて草』『顔だけはいいんだよな、顔だけは』


 ゲラゲラと耳元で笑われるものだから、リンダがそのあと何を言っているのか、さっぱり聞き取れない。彼女はなおも何かをまくし立てていたが、やがて腹立たしげに踵を返すと、足音も荒く去っていった。


 その背中を見送りながら、アルヴィンは呆れ果てていた。

 何なのだ、あの女は。顔以外にいいところがひとつもないではないか。昔は随分と可愛らしい女性だと思っていたが、あんな本性を隠していたとは。危うく騙されるところだった。



『こいつらほんとそっくり! 顔だけ人間わらわらわらわら』



 今度は藁か! なぜ突然藁を持ち出す! それに、どこが似ているというのだ。いい加減にしろ!


 まったく、悪霊どもは相変わらず失礼極まりない。自分とあの女を一緒にするとは何事か。アルヴィンは憤慨したが、どうせ言い返したところで向こうには聞こえないのだろう。これ以上相手にするだけ無駄である。


 それにしても、やはり自分にはマーガレットしかいない。あの優しく聡明な女性を妻に迎えられるのだから、他の女などに目を向けている場合ではないのだ。


 そう思うと急に気分がよくなり、アルヴィンは意気揚々と礼拝堂へ向かった。背後ではまだ悪霊どもが腹を抱えて笑っているようだったが、知ったことではない。


 そんなことを考えながら礼拝堂へ向かうと、すでに参列者たちが席についていた。父も母も晴れやかな顔をしており、友人たちはこちらに気づくと、わざとらしく神妙な顔を作ってみせる。あとで何を言われることやら。ひとまず見なかったことにして所定の位置につくと、間もなく音楽が流れ始めた。


 礼拝堂の扉が開き、父親に手を引かれたマーガレットが姿を現す。


 純白の花嫁衣装に身を包み、真珠を散らしたヴェールの下で、頬をほんのりと薔薇色に染めている。いつも丁寧に結い上げている髪は柔らかくまとめられ、白い薔薇の花束を手に歩いてくる姿は、今まで見たどんなマーガレットよりも美しかった。


 目が合うと、彼女が少し照れたように口元を緩める。控え室では会ったら何を言おうかとあれこれ考えていたはずなのに、いざ目の前に来られると、その言葉がひとつも思い出せない。


「……綺麗だな。いや、君が綺麗なのは知っていたが、今日はまた格別だ。どうしよう、何だか急に緊張してきたぞ」


「まあ、アルヴィン様。そんなことを仰ったら、私まで緊張してしまいますわ。先ほどから裾を踏んでしまわないかと、そればかり気にしておりましたのに」


「それは困るな。俺も今、君の裾を踏まないように気をつけているところなんだ。二人揃って転んだら、きっと一生笑われるぞ」


 マーガレットが小さく吹き出した。その隣で侯爵が咳払いをしたので、慌てて口を閉じる。どうやら少々喋りすぎたらしい。もっとも、花嫁の父親も目元が赤くなっていたので、あまり人のことは言えないと思う。



 やがて式が始まり、司祭の言葉に従って誓いを交わした。マーガレットの手は少し冷たく、指輪を嵌めようとすると、緊張しているせいか思うように指が動かない。どうにか嵌め終えると、ヴェールの奥で彼女がこっそり笑っていた。まったく、こんなところを見られてしまうとは。


 それでも無事に式は進み、司祭から夫婦となったことを告げられると、礼拝堂は盛大な拍手に包まれた。祝福の鐘が鳴り響く中、マーガレットと顔を見合わせる。もう婚約者ではなく、自分の妻なのだと思うと、何だか照れくさい。


 礼拝堂を出れば、庭園では使用人たちが揃って二人を出迎えてくれた。以前、一緒に領地を回った職人たちまで祝いに駆けつけてくれたらしく、こちらへ向かって大きく手を振っている。


「旦那様! 奥様! ご結婚おめでとうございます!」


 威勢のよい声に、アルヴィンは思わず周囲を見回した。すぐに自分が呼ばれているのだと気づいたが、何しろ初めてのことなので、少々反応が遅れてしまった。


「……今のは俺のことか」


「ふふ、そうですわ。今日からアルヴィン様は、フェレル家の旦那様ですもの」


「そうだったな。いや、わかってはいたんだが、いざ呼ばれると何だか落ち着かないものだな」


 考えてみれば、彼女はこれからずっとフェレル家の当主として、そして自分はその夫として暮らしていくことになる。今まではどこか他人事のように思っていたが、こうして祝われていると、ようやく実感が湧いてきた。


 職人たちに手を振り返していると、マーガレットがそっと腕に寄り添ってきた。見下ろせば、彼女は何とも嬉しそうな顔をしている。そういえば、初めて領地の仕事について尋ねたときも、こんな顔で笑っていた。あの頃はまだ、自分がこの女性にすっかり惚れ込むことになるとは思ってもいなかった。人生というのはわからないものである。





『あーあ、つまんね。はよ死ねよ』





 頭のすぐ後ろで、誰かが吐き捨てるように呟いた。

 思わず肩が跳ね、振り返ったものの、そこには祝福に沸く人々の笑顔があるばかり。どうやらあの連中は、まだどこかで自分の不幸を待ち構えているらしい。


 人がせっかく結婚したというのに、何とも性根の曲がった連中である。悪霊にしても、もう少し他にすることはないのだろうか。


 連中が何を楽しみにしているかは、もう十分にわかっている。これから先、自分が何か失敗することもあるだろう。うっかり余計なことを言ってしまうかもしれないし、マーガレットと喧嘩をする日だってあるかもしれない。


 だが、だからといって、簡単に望みどおりになってやるものか。


 隣にいる妻を見れば、彼女はまだ職人たちに手を振っている。あの笑顔を曇らせるような真似をしたら、今度こそ悪霊どもが大喜びするに違いない。それだけは御免だった。


「どうかなさいましたか、あなた?」


 不思議そうに見上げられ、アルヴィンは笑いかけた。


「いや、何でもない。……君と結婚できて、幸せだなと思ったんだ」


「まあ! …………ふふ。私も、幸せです」


 差し出した腕に妻が嬉しそうに手を添え、二人が歩き出すと、祝福の鐘がもう一度高らかに鳴り響いた。その鐘の音に混じって、忌々しげな舌打ちが聞こえたが、今度はもう振り向かなかった。


https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/62029/blogkey/3730707/

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― 新着の感想 ―
もしかしてこいつ、俺たちの声が聞こえてんじゃねえか?と推察する悪霊はいなかったのかが気になりますね…w
こういうのスゴく好きです!! とても面白かったです!!! 掲示板形式も好きですが、悪霊として聞こえてくるのいいですね( *˙ω˙*)و グッ!
悪霊がどうしようもないの含めてこういうの大好きだわ
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