前編
私は妥協して結婚の道を選んだ。
決して旦那に文句が有る訳ではない。優しい良い旦那だ。
だが、私にとって一番では無かった。
この国では男女でしか結婚は受理されない。
ましてや相手がもう届かぬ場所に居るのであればなおさらだった。
その日の事は前から旦那に話をしており、旦那も了承の上でついてきてくれた。
墓地の一角。彼女はそこに眠っている。
旦那も一緒に手を合わせてくれた。
「こうして毎年命日に訪れるなんて、とても大切な友人だったんだね」
「そう、私の大切な人」
「僕もどんな人か一目見てみたかったよ」
「一目で骨抜きにされてたかもよ。彼女は本当に綺麗だったし」
「なら尚更残念だ。
さて僕は喉が乾いたから、向こうでお茶でも飲んでくるよ」
それだけ言って、旦那は席を外してくれた。あの人はいつも気を使ってくれる。
私にはもったいないとさえ思える旦那だった。
一人になり、改めて彼女が眠る墓石に向き合う。
こうして命日に訪れるのももう4回目となる。
手を合わせながら呟く。
「もう4年か。こうしてどんどんあなたと年が離れていく。
私の思い出の中のあなたはいつまでも若いまま」
そして彼女は美しかった。
彼女に初めて会ったのは大学に入ってからだった。
笑顔が素敵な彼女に女ながら惹かれた。
彼女を追いかけて同じサークルにも加入した。
彼女との思い出に残っているのは、そのサークルで夏の海に行った時の事。
他のサークル仲間が泳いだり浜辺で楽しんだりで、私の近くには彼女だけだった。
何気ない、当たり障りのない会話をしていた。
ふと波打ち際に海藻を見つけた。
「あ、あれこの間クイズ番組で見た。リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」
「何それ」
聞き返す彼女に得意げになって説明した。
「龍宮の乙姫の元結の切り外し。素敵な名前だと思わない」
「ただの海藻なのに。大仰な名前ね」
「そう。ただのアマモ」
二人で笑った。
ふと私は思いついた疑問を口にした。
「切り外された元結がこうして海に漂っている。乙姫様は何のために元結を切ったのかしら」
「竜宮城の主としての役割を降りて、誰かに会いたかったのかも」
「誰に」
「そりゃあ、浦島太郎でしょう。だけど、浦島太郎はそんなにいい男だったのかな」
昔話に出てくる浦島太郎を想像して、また二人で笑った。
「さあ、会ったことは無いから何とも言えないけど。
それでも乙姫様が元結を切り外してでも逢いたかったのだから、引かれる所が有ったんじゃない」
「男一人の為に役目を放り出して。とんだ大恋愛ね」
ここぞとばかりに聞いてみた。
「そんな大恋愛、あなたはした事は無いの」
彼女は一瞬考え、首を振った。
「まったく。恋愛の真似事を少ししたぐらい。そっちは」
逆に聞かれて慌てふためきそうになりながらも、努めて冷静に答えた。
「えーと、内緒」
「なにそれ、白状しなさい。誰を狙ってるの」
二人でふざけあった。
そんなのは口が裂けても言えない。だって彼女に恋をしているのだから。
ふざけあった後、彼女が呟いた。
「私も何もかもかなぐり捨てるほどの恋愛をしてみたいな」
「それなら応援するよ」
私は彼女の味方のふりをした。
本当は私が彼女の恋人になりたい。だが、彼女にはそんな選択肢の存在自体を知らないのだろう。
私は胸にかすかな痛みを感じながらも、笑顔で彼女を支えた。
彼女が入院したとき、友人が多かった彼女の元に大勢のお見舞いが来た。
当初は私もその内の一人でしかなかった。
私は足しげく彼女の元に向かったが、彼女の友人達は次第に足が遠退いていった。
私は彼女を元気つけようと、大学で有った話や彼女の好きな流行りのアイドルについて話を続けた。
入院が長引きながらも、彼女は徐々に良くなっていった。
彼女はその退屈で長すぎる入院の間に、色々考えていたようだった。
「彼氏をつくる」
ある日、いつものように彼女のお見舞いに行くと、彼女はそう言って決意を固めていた。
「この入院生活で失った青春の一時を取り戻すにはそれしか無い」
「おお」
手段や目的が一緒くたになっている気もしたが、彼女の思いを尊重して同意をした。
「応援するよ」
「ありがとう。でもそんな簡単には出来ないかなあ」
「大丈夫だよ。あなたに言い寄ろうとしている男なんて腐るほど居るんだから。選び放題よ」
他人からの恋心に鈍感な彼女は、気が付いていない。どれだけの男が彼女の気を引こうとして頑張っている事か。
すぐ横で、見てきてその事実を知っている私には苦笑いしか出来ない。
そして、その対象に私が含まれないことも知っている。
彼女は退院出来るほどまでに快復した。自由になった彼女は宣言通り、彼氏を作った。
相手は私に比べればとるに足らないほどの回数しかお見舞いに行って居なかったはずなのに。
彼女がその彼氏を選んだ理由は「入院中に優しくしてもらったから」らしい。
人は恋をすると美しくなると言う。
彼女もまた、美しくなった。
だがそれは私に向けられたものでは無い。
私はただそれを横から盗み見るだけ。
それでも十分だ、と自分に言い聞かせた。
私は自分の気持ちを隠し、彼氏の出来た彼女を祝福した。
彼女は大学内でも外でも、彼氏と一緒に居た。
彼女の自由な時間は、全て彼氏につぎ込まれた。
あの日の海で彼女自身が宣言していたように、乙姫のような大恋愛をしていた。
私はそこまでの熱のいれように驚きつつも、それだけあの長かった入院生活が彼女に影響を与えたのだと納得をすることにした。
当然だが、彼女が私のために時間を作ってくれる事はなかった。
それでも、彼女から惚気のメッセージが来る度に、私は笑顔でいいねを返した。
私は彼女の恋愛を応援すると彼女に言った。彼女が笑顔でいる事を、彼女が惚気を送ってくることを、私は笑顔で受け取る。
それが私が選んだ道だから。




