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「お、おい!?」

 水音にはっとして、良平は慌てて階段を上り、大水槽のキャットウォークから水槽をのぞき込む。


「ひ……!?」

 泡立つ赤紫の水面に、浩二は浮かんでいた。


 露出した浩二の肌は光を放ち、同様に発光するイカ達が次々に張り付いていく。

 腕に、首筋に、類に、目に。


 イカが浩二に張り付いて、捕食していく。それでも、浩二は恍惚としている。

 生きながら、溶け崩れ、食われても。それが至福だとでもいうように。


(何故、なぜなんだ)

 良平は、声に出さず問いかけていた。

(なぜ、俺は、羨ましいと思っているんだ)

 それは、自分自身への問いかけだった。


 恐怖を感じながらも、どうして羨ましいと思っているのか。

 俺もここに飛び込めば、それが分かるのか。浩二と同じ、あの恍惚を味わえるのか。


 この光に、この色に、身も心も染まることが出来たなら。


 ぼうっと霞んでいく思考のまま、良平は先ほどの浩二のように、両手を広げた。

 見下ろせば、既に浩二の体は沈んで見えない。水面には発光イカ達が、エサを求めるように腕足を広げている。


(あぁ……)


 彼らに自分を饗するため、良平は両手を広げて、水槽へと落ちていった。

 そして、イカたちに貪られて溶けていく自分を幻視する。


 良平の体が水面に激突した瞬間、爆音が響いて、大水槽が破裂した。

 砕け散った水槽と共に海水が怒涛の勢いで流れ出す。


 良平もイカ達も、試験場の床面に投げ出された。

「げぶ、ごふ……!」


 僅かに喉と肺に入った塩辛い水を吐き出しながら、良平は見た。


 ヘルメットとゴーグルをつけた戦闘服姿の男達が試験場にどかどかと入ってくる。

 先頭に立つ男が、円筒形の物体を肩から降ろす。その男の放った無反動砲の一撃が、大水槽の表面を破壊したことを、良平は知る由もない。


「隔離対象者一名を発見」

 男のうち二人が、良平を左右からつかみ上げる。

「もう片方の隔離対象者は……死亡を確認。変質を認めます、除染処置の許可を」

 そんな男たちの声を聞きながらも、半ば宙づりの状態で連行されながら、良平は周囲を見る。


 兵隊のよう姿が幾人も展開し、手にした火炎放射器で床にのたうつイカたちを焼き払う。

 炎は、イカだけでなく、施設や器材、そして倒れた浩二の体にも燃え広がっていく。


「な、なんなんだよ、お前らは……」

 男たちは答えず、待ち構えていた救急車のストレッチャーボード上で良平を拘束していく。


「鎮静のため、ミダゾラムを1mg投与します」

 救急隊員の言葉と共に、ぶしゅ、という無痛注射の音とともに、良平の意識は暗転した。


 そして、気が付くと、良平は病院にいた。


 まるでミイラ男のように、全身を包帯で覆われていた。

 医者の話では、全身のいたるところに火傷を負っており、特に指や手は重度なため、皮膚の移植手術が必要になるそうだ。


 集中治療室から一般病棟に移った頃、見舞いがやってきた。

「大変だったねぇ」

 半年ぶりに顔を合わせた上司は、親切めかした表情で何があったのかを語ってくれた。


 曰く、劣化していた施設の予備電源用バッテリーが発火。爆発的に起きた火災によって、施設は全焼。現場に居合わせた地元漁師が巻き込まれて死亡した、と。


(嘘だ)

 話を聞きながら、良平はその言葉を腹の中で呟く。


「いやこれから事故調査が入るので大変だよ。当然我が社にも責任はあるけど、君の管理にも問題があったと思うわけで……いやいや、責任を問おうってわけじゃないさ。それでも人が一人亡くなっているからねえ。保障の話もあるし、事情聴取には協力して……」

「あの」

 上司の弁明とも糾弾ともつきかねる繰り言を遮り、良平は尋ねた。


「イカは、どうなりましたか」


『事故の話より、イカの心配かよ』

 そういわんばかりの鼻白んだ様子で、上司は吐き捨てる。

「全部焼けたよ」


 その夜、天井を睨みながら、良平は眠れなかった。

 自分が見た物はなんだったのか。あの軍人のような男たちは。そして、あの発光イカは。


「……こんばんは神崎さん」

 気が付くと、部屋の片隅に一人の男が居るのに気付いた。


「消灯後にすいませんね」


 その声に覚えがあった。

 あの、TV局のふりをした男たちの一人だ。


「……なんなんだよ、一体」

「すいません、我々の名前や立場は名乗れません。ただ、これ以上首を突っ込まれたくないので、できる範囲で説明に参りました」


 男は、取り出した黒い表紙の手帳をめくりながら、。

「えーと、うちのお医者さんの話だと、両手の一部はやむなく焼きましたが、これ以上変質はしていないようです。手術が終われば、日常生活に支障はないだろうとも。よかったですね、神崎さん」


「……変質?」

 良平は包帯にまかれた腕を見る。


「アレに接触すると、変質するんです。ご友人の、浩二さんを見たでしょう? 放っておけば、あなたもああなってたってことです」

 良平は、溶け崩れる浩二の姿を思い出し、背筋を凍らす。同時に、一つの疑問が浮かぶ。


「アレって何だ……? あの、イカたちを光らせてたのも、その、アレなんだろう?」

 おそらくは、今回の原因。あのイカ達を、浩二を狂わせたもの。


 それは、何なのか。


 男は頭をかきながら、答える。

「説明しづらいんですが……『色』ですよ。今回は発光という形でしたが、イカの色素胞……というんですかね? そこに潜伏していたのが、次々に周囲へ広がっていったようです」


「な、何を言っているのか……よく分からない」

「『(The Colour)』…伝統的に、そう呼称していますが、まあ、ガス状の生命体のようなものです。いや、我々が定義する生命とかけ離れた存在のようですが……ともかく、時々現れるんです。19世紀末のアメリカや、第二次大戦末期のドイツ……ただ今回のような他の生き物を媒介にして出現したケースは初めてでして。案外、『深海の連中(Deep Ones)』が、何かしているのかもしれませんが、そのあたりは、これから調査ですな。まあ、拡散を防げて、良かったです」

 良平には、男が何を言っているのか、殆ど分からない。男も、良平に語って聞かせるより、ただ自分の考えをまとめるために、独り言を言っているようだ。


 だが、あれが度々現れるものであることと、この男たちはそれが広がるのを防いでいることは、なんとなく理解できた。


「さて……ここまで、私がお話しした意味、分かりますよね?」

 ぞっとするような暗い男の瞳を見つめながら、良平は理解した。

「……誰にも言わない。言う気もない」

 言ったところで信じてもらえる話ではない。あれを見ていない人々に、理解してもらえるわけがない。


 男は、にっこりと笑いながら、手帳を懐にしまう。

「ご理解いただけて幸いです。こちらも、余計な仕事をしなくて済む。ああ、そのお礼に一つ。今回の件は不幸な事故として処置されるでしょう。あなたは無責となりますから、ご安心を。ま、おたくの会社とバッテリー製造業者には、少々泥を被ってもらうことになりますが」


 そして、男は音もたてずに部屋を出て言った。


 誰も居なくなった部屋で、良平は吐き捨てた。

「……安心なんて」


 暗い天井を見つめながら、水底で発光するイカ達の姿を幻視する。

 人を惑わし、世界を狂わすモノが存在しているというのに、何をどう安心すればいいというのか。

 良平は、もう二度とあのイカたちを、心安らかに見ることはできないだろう。


 枕に顔をうずめ、良平は静かに嗚咽した。


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