中
翌日の午後、試験場に来客があった。
村の人々は、海岸側から試験棟の方へと勝手に入ってくるのだが、客は律儀に玄関で呼び鈴を押してきた。
良平は、ドアモニター越しに客の様子をうかがう。
「どちら様ですか?」
「TVアテルイから来ました」
そこにいた二人の男は、地方ローカルTV局名を名乗る。
「なんでも、珍しい海産物が捕獲されたとお聞きしまして」
昨日、浩二から発光イカを預かった後で、漁協から連絡があった。さっそくTV局の情報提供を募るWebページに、写真とコメントをアップしておいた、と。
それを見た取材に来たのだろう。そう思いながらも、良平はモニターに映る男たちに違和感を覚えた。
良平は以前にもTV局からの取材を受けたことがある。海洋研究の最前線とかなんとかって名日で、この試験場の取材に来たのだ。インタビューやら何やらで、平常業務を半日ばかり滞らせたその取材は、結局夕方5時台のニュースで1分ほど紹介されただけで終わった。
しかし、ドアの向こう、モニターに映った男たちは、その時に良平が見た連中とは明らかに違う雰囲気を纏っている。
あの時のTVマンたちのような、どこかだらしなく弛緩した空気がなく、むしろ張りつめている気がする。まるで、警察だ。
というか、揃いのサングラスをかけた地味なスーツ姿の二人組なんて、性質の悪いコスプレみたいではないか。
「あの、名刺とかお持ちですか?」
「いえ、生憎と」
そういえば、漁協が情報提供したと言っていたのは、国営放送TV局だったはず。何故、民放のTVアテルイが……?
もう、怪しさしかない。
「すいません、今は忙しいので。施設内での取材は、本社の許可が必要となります。すいませんが、本社広報に確認して下さい」
良平はそう応じながら、警備会社への緊急連絡手順を頭の中で反芻する。
「そうですか。では、改めます」
男二人は、あっさりと帰っていた。
良平は若干拍子抜けしつつ、大水槽のある研究室内へと向かう。
「なんか、TV局を名乗った変な連中が来たぞ」
室内にいる、浩二にそう声をかけた。
「……へえ」
浩二は短く答えながら、じっと発光イカの入った水槽を凝視する。朝一番にやってきて以降、浩二はずっとこんな具合だった。
「お前、今日の漁はいいのか?」
「……ああ」
良平が問いかけても、浩二は生返事をするばかりだ。
どこか病的にも思える浩二の執着っぷりに、若干背筋が寒くなるのを感じる。
その怖気を振り払い、良平は通常業務に取り掛かる。
まず大水槽内の養殖イカ達の様子をチェックしようとして……驚愕した。
「!?」
大水槽の中にいるイカたちが、群れ泳ぎながら、僅かに発光していたのだ。
体表が赤紫色に光り、水槽内が淡い光に満たされている。
「な、なんだこれ……」
昨日まで、そんな気配はなかったのに。良平が育ててきたイカたちも、発光している。
震えそうになる手足を抑えながら、キャットウォーク上から一匹をタモで捕える。その場で〆ると、断末魔めいた動きで腕足を震わせ、イカの体が痙撃した。
そのイカを、デスク上に持っていき、手早く表皮を採取して、顕微鏡で観察する。
通常、頭足類の体表は細胞内に色素胞と呼ばれるものを持ち、その中の色素を出し入れすることで色を変化させることができる。自分の肉体のテクスチャーを変えることで、擬態や仲間同士のコミュニケーションに利用している。
あの発光イカは、色素胞の中に何か特別な発光物質を有しているのではないか。
良平は、そう推測していた。
だが、昨日まで普通だった他のイカたちにも波及したということは……
(原因となる発光物質は個体固有のものでなく、例えば色素胞に感染する微生物やウイルスなのでは……?)
倍率を上げても、分からない。電子顕微鏡が必要だ。
「え……?」
観察試料自体が、発光し、明滅している。
それどころか、イカに触れた良平の指も、淡く光を放ち始めていた。
漠然とした不安が、恐怖に変わり始める。
がしゃん、という大きな音が響き、良平ははっと顔を上げた。
既に、大水槽のすべてのイカたちが発光していた。
もはや大水槽自体が発光しているかのようだ
そんな光の海となった大水槽の上、キャットウォークに浩二が立っている。
「あ、おい……?」
水面からあふれる光に下から照らされて、いびつな陰影に彩られた浩二の顔は、笑っていた。
「な、なにやってる!? 降りろ!」
恐怖に押しつぶされそうになるのを堪え、なんとか声を絞り出すが、言葉は上滑りしていくようだ。
笑う浩二は、良平を見る。その顔が、ぐにゃりと歪んだ。表情だけでなく、その造形自体が、歪んでいた。
赤紫に発光しながら、耳と鼻……未端の軟質部が溶け崩れていく。
ただの錯覚、見間違いだと思いたくても、良平の目の前で浩二は赤紫色の光を放ちながら溶けただれていく。
そして、恍惚の表情で、浩二は両手を大きく広げ、水槽へと飛び込んだ。




