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第6章  追 跡

第6章  追 跡



2024年7月9日 午前8時30分 

東京  

証券取引等監視委員会特別捜査チーム

 井上拓也は、監査室のデスクに座り、早朝から届いた新たな調査報告をじっくりと読み込んでいた。前日、東京証券取引所のトレーダーたちへの聴取を終えたことで、「ステルスパイロット」の存在が確信へと変わりつつあった。

 七夕の日に急騰し、翌日に暴落した東和グループの株価。その背後に潜むのは、一人の天才的な市場操作の実行者なのか、それとも組織的な陰謀なのか。井上は慎重に思考を巡らせていた。

「井上さん、新しい動きがありました」

山本優子が、端末を手に彼のデスクへと歩み寄る。その表情は険しく、いつも以上に緊張感が漂っている。

「どうした?」

「昨日の調査で判明した送金ルートですが、さらに深掘りしました。国内の三つの銀行から送金されていた資金の行方を追ったところ、複数のペーパーカンパニーが絡んでいることがわかりました」

「ペーパーカンパニー?」

「正確には、私たちはまだペーパーだとは断定していませんが、不自然な取引を繰り返している法人がいくつもあります。『Apex Solutions Inc.』を含む五社が同じ時期に巨額の送金を受け取り、その資金はスイスとドバイの特定の金融機関へと分散されています」

 山本は端末を操作し、ディスプレイに送金フローを映し出した。赤い矢印が入り乱れるその図は、一目で見ても異常な動きを示していた。

「これが7月7日から8日にかけての資金の流れです。特に8日の午後からは、すべての資金が同じ経路を通り、最終的にはスイスとドバイの金融機関に集約されています」

「つまり、資金洗浄の可能性があると?」

「はい。そして、さらに興味深いのは、この複数の会社の取引記録に共通する署名があることです」

井上は画面に目を凝らした。

『Y.K』

「またこのイニシャルか……」

昨日から何度も目にしたその二文字が、今度は明確な証拠となって井上の前に現れていた。

「この『Y.K』が誰なのかを特定するのが急務だな」

「ええ。ですが、もうひとつ気になる点があります。これらの会社の送金タイミングです」

「タイミング?」

「はい。すべての送金は、数時間ごとに異なるルートを通じて行われています。一定のパターンがなく、送金先も細かく分散されている。これは明らかに意図的です」

「つまり、誰かが追跡を避けるために仕組んだ、と?」

「その可能性が高いです。加えて、サイバー捜査班が動き出しました。SNSの調査を進めると、@GlobalTraderX や @DeepFinanceReports 以外にも、同じような市場煽動を行っているアカウントがいくつか見つかりました。そのIPアドレスを追跡したところ……」

山本は一瞬、言葉を詰まらせた。

「何かわかったのか?」

「IPアドレスがランダムに切り替わっています。通常のVPNではなく、高度な匿名化技術を使っています。一定時間ごとに異なる国のサーバーを経由しながら投稿を行っており、手がかりがつかめません」

「それだけの技術を使っているということは、個人ではなく組織的な可能性がある……あるいは、個人でも相当な知識と技術を持っている者の仕業か」

井上は腕を組み、天井を見上げた。

「昨日の聴取で聞いた『ステルスパイロット』……まさか、本当にそんな存在が?」

この事件の影に潜む何者か。その正体が少しずつ輪郭を帯びてきていた。



第二章 追跡と攪乱

2024年7月9日 午後10時00分 


 山田耕作は、薄暗い自室の片隅に設置されたデスクに座り、ノートパソコンに接続された三台のモニターを凝視していた。青白い光が彼の顔を照らし、モニターに映し出された膨大なログデータが次々と流れていく。そのノートパソコンの明滅するアイコンの中では、AIアシスタントのバディがネットワークを通じてデータ処理を続けていた。

「警告。SESCサイバー捜査班が現在、第三層セキュリティを突破。リダイレクトルートの83%解析済み。平均解析速度、2.7秒ごとに向上。」

 機械的な合成音声が状況を報告する。

「……思ったより早いな。」

 山田はキーボードを叩き、追加の防壁を設定しながら、汗を拭った。通常のトラフィック偽装ではもう時間稼ぎにならない。相手は国家機関のサイバー捜査班だ。高性能なAIを駆使し、変則的な通信ルートすらリアルタイムで解析してくる。

「バディ、緊急対応だ。ファイアウォール第六層を起動し、ダミーノードへ転送。」

「了。実行開始。ダミーノード構築完了まで残り4.3秒。捜査班の追跡速度が向上中。突破予測時間、9分14秒。」

「くそ……本気で潰しにきたな。」

 一方、霞が関の証券取引等監視委員会(SESC)監査部では、井上拓也が複数のサイバー捜査員を指揮し、巨大なモニターの前で状況を確認していた。

「現在、三重のリダイレクトルートを突破しました。サーバー識別中……解析完了まであと6分。」

「急げ、次の障壁を突破しろ。」

 井上の指示のもと、捜査員たちが高速でコードを打ち込み続ける。彼らの目の前の画面には、無数の暗号化された通信パケットが流れ、それを逐一解析するAIの動きが映し出されていた。

「相手はただのVPN利用者ではないですね。高度なリレーサーバーと動的IP切り替えシステムを使用しています。」

「つまり、組織的な技術を持っている……もしくは、極めて優秀な個人だ。」

 井上は画面に映る複雑なネットワーク構造を睨みながら呟いた。

「ですが、今度はこちらにAIの支援があります。突破は時間の問題です。」

「一気に畳みかけろ。奴を炙り出す。」


 その頃、山田の元に新たな警告が届いた。

「警告。解析スピードがさらに加速。SESC捜査班のAIは行動予測アルゴリズムを使用と予想。偽装トラフィックのパターン解析を開始。現状防御は5分48秒以内に検知される可能性、95.6%。」

「ヤバいな……。バディ、全ルートのオーバーホールだ。通信プロトコル自体を変更しろ。」

「了解。新プロトコルへの移行開始。60%完了……80%完了……移行完了。」

 バディの処理により、山田のネットワーク環境は根本的に書き換えられた。だが、すぐさま新たな警告が飛ぶ。

「警告。追跡継続中。SESCの解析エンジンが新プロトコルを認識。対抗策の実行速度向上。突破まで残り4分32秒。」

「マジかよ……化け物か。」


 山田は歯を食いしばり、最後の手を打つ決断をした。

「バディ、最終手段だ。シャドーサーバーを全消去。ログも完全に抹消しろ。」

「了。シャドーサーバーの全データ削除を開始。60秒後に不可逆処理完了。」

「それまで耐えきれれば……。」

 霞が関の監査部では、井上がカウントダウンを睨んでいた。

「あと1分でログが全消去される……! どうにか食い止めろ!」

「全解析エンジンをフル稼働! なんとしても奴を特定しろ!」

 追う者と逃げる者、極限の攻防戦が続く中、最後の秒針が刻まれていった……。



第3章 デコイ


「警告。SESCサイバー捜査班が、資金ルートの特定に成功。仮想通貨ウォレットの一つがトレースされ、法的手続きに基づく凍結準備が進行中。」

バディの無機質な合成音声が静寂を切り裂いた。

 山田は一瞬、手元の画面を凝視する。その冷静な眼差しの奥で、幾重にも張り巡らせた防御網の一角が崩されかけている現実を理解する。

「残り時間は?」

「最短で37分、最長で65分。ただし、捜査班の技術レベルを考慮すると、50分を超える可能性38%。すでに凍結命令が内部手続きに入った可能性あり。」

「こっちの移動完了予定は?」

「あと19分。追加で7分のバッファを見込む。ただし、敵の侵入速度が予測を超えた場合、資金の一部がロックされる危険性72.5%」

 山田は小さく息を吐いた。現時点での被害を最小限に抑えるには、相手をさらに撹乱するしかない。

「井上たちは、何を掴んでいる?」

「監視ログを解析中。SESCはキーワード『Y.K』を中心に、資金移動の全体像を追跡中。すでに5つのペーパーカンパニーが照合され、残り3つにも照準を合わせている模様。」

「ならば、囮を用意しよう。」

山田は即座に決断した。自らが築き上げたペーパーカンパニーのうち、一つを犠牲にし、捜査班をそちらへ誘導する。

「デコイサーバーを起動しろ。ターゲットは『Orion Partners Inc.』、アメリカ経由での送金記録を故意に不完全な形で流す。喰いつかせろ。」

「了。デコイサーバー負荷耐久時間は30分。敵がデコイにアクセスした場合、その間に資金移動を完了する確率72.4%」

 バディの指示により、Orion Partners Inc.のサーバーが稼働を開始。わずか数秒で、仮想通貨の送金履歴を改変したデータを流し始める。

一方、証券取引等監視委員会の特別捜査チームのサイバー捜査班では、井上拓也がモニターを睨んでいた。

「新たな送金ルートが浮上しました。Orion Partners Inc.を経由した仮想通貨移動。これは……」

「Y.Kと関連があるか?」

「照合中ですが、可能性は極めて高いです。この会社の過去の送金履歴に、特定の符号パターンが一致しました。」

井上は決断を下す。

「Orion Partners Inc.のウォレットを凍結しろ。ただし、別ルートがないか同時に洗え。」

指示が飛び、数秒後には仮想通貨取引所への連絡が開始される。

しかし、その直後??

「警告。Orion Partners Inc.の口座が凍結されました。ですが、主要資金はすでに移動済み。」

バディの報告に、山田は満足げに微笑む。

「時間稼ぎは成功か。」

「はい。しかし、井上たちは依然として『Y.K』の正体を追っています。さらに進行する可能性あり。」

「ならば、次の囮を仕掛ける。」

山田は、新たな計画をバディへ指示する。

サイバー戦の攻防は、まだ終わらない。



第4章:消えた証拠


井上拓也は、捜査会議室のスクリーンに映し出された複雑な資金の流れを睨みつけていた。サイバー捜査班は、膨大なログを解析し、いくつものダミー口座を経由した資金の行方を突き止めると、ある一つのペーパーカンパニーに行き着いた。


「送金先のペーパーカンパニーを特定しました。オフショア法人、所在地はモーリシャスの『Orion Partners Inc. 』。表向きは国際貿易コンサルティング会社ですが、実態は資金運用のペーパーカンパニーです。」


サイバー捜査班のオペレーターが報告する。井上は即座に対応を指示した。

「すぐに金融機関へ口座の凍結要請を出せ! 送金履歴のバックアップも確保しろ!」


 だが時を同じくして、山田の部屋ではバディが警告を発していた。

「アクセス異常検知。対象IP:金融庁。アクセスパターンから判断して、送金履歴の取得を試行中。防御プロトコルを起動。」

山田は冷静に指示を出した。

「バディ、ディレイをかけろ。履歴消去プログラムを最優先に。」

「了。指令受領。データパージ進行中。現在進行率:42%... 67%... 93%...」


 サイバー捜査班は、金融機関のサーバーにある送金履歴を押さえようと試みたが、一瞬遅かった。ログの大部分が消去され、残った断片的なデータは何の証拠にもならないものだった。

「チッ、間に合わなかったか…!」

井上は歯噛みした。だが、まだ希望はある。ペーパーカンパニーの登記情報さえ押さえれば、運営主体を特定できるかもしれない。


「Orion Partners Inc.の登記情報を取得しろ。会社の設立者、取締役、関係者を洗うんだ!」


 しかし、その試みもまた、バディによって阻止されていた。

「登記抹消プロセス進行中。モーリシャス法人管理局への申請完了。抹消手続きは42時間以内に実行予定。法的記録へのアクセス不可となる見込み。」


「クソッ!」

 井上の拳がデスクを叩いた。その瞬間、サイバー捜査班の一人が画面を見て声を上げた。

「別のペーパーカンパニー『NovaLink Trade Ltd.』を発見! こっちも送金ルートの一部になっている!」

だが、画面に映し出されたのは、すでに解体済みの法人情報だった。NovaLink Trade Ltd.は、数時間前に解散登記が完了し、法人データベースから抹消されていた。

「奴ら、完全に先手を打ってやがる…」

井上はモニターを睨みつけながら、深いため息をついた。これだけの手際の良さ、そして完全な証拠隠滅。市場操作を行ったのが組織的な犯行であることは明白だった。


「『Y.K』…お前が黒幕なのか?」


 井上は、小さく呟いた。もはや状況証拠しか残っていない。しかし、ここまでの証拠がない以上、立件は困難であった。

他に辿り着く手段はないのか?自問自答する井上に、昨日の中村の声がよぎる。

『ステルスパイロットとしか思えない』

これしかない。井上は藁をもつかむ思いだった。

「…米国証券取引委員会(SEC)に『ボルマゲドン事件』の資料請求を出す。」

井上の決断が下された。その名前を追えば、何かが見えてくるかもしれない。


 捜査班のメンバーは顔を見合わせた。七夕の悪夢の犯人を突き止めるための捜査が、過去の市場操作事件へと繋がろうとしていた。


 しかし、その後も捜査は難航した。


 金融当局の協力を得ても、モーリシャス側は形式的な返答しかせず、実態の解明には至らなかった。米国証券取引委員会(SEC)も慎重な態度を崩さず、ボルマゲドン事件の詳細開示には時間がかかるという返答だった。


「証拠がなければ、何もできない……。」


井上の苛立ちは募るばかりだった。捜査班も疲労の色を隠せない。


そして3カ月後


「捜査の進展がない以上、これ以上の調査継続は困難と判断される。」


 特別捜査チームは正式に解散が決定した。資金の流れも、SNSの投稿も、「善意の第三者」の範疇に収まり、証拠は何一つ残されていなかった。


捜査班の面々は肩を落とし、井上も黙って報告書を閉じる。


「こんな形で終わるのか……。」


彼は悔しさを噛みしめた。


だが、彼の中で疑念が消えることはなかった。


「ステルスパイロット……必ず正体を暴いてみせる。」




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