第2章 歪な資本主義の犠牲者
◆第2章 歪な資本主義の犠牲者
2024年12月23日、東京
コロナウィルスの脅威からは一時的に解放され、少しづつ日常が戻りつつある東京の街を師走の冷たい風が吹き抜け、クリスマスの華やかなイルミネーションが、街並みを一層冷徹に見せている。人々は年末の忙しさに追われ、足早に行き交っているが、株式会社グリーンエナジーの社長、西田直人の心は晴れず、荒れ果てていた。
東和グループによる自社買収が決定的となったその日から、彼の人生は急激に狂い始めた。自らが手掛けた次世代型エネルギー技術「ナノ・エコバッテリー」の未来も、もはや東和グループに握られてしまった。かつて夢見た世界を変える力は、金の力によって砕け散った。
第1幕: 大資本の影
2023年春、東京。株式会社グリーンエナジーは、業界内で急成長を遂げていた中堅企業だった。環境配慮型の次世代バッテリー「ナノ・エコバッテリー」の研究開発が順調に進み、国内外の注目を浴びていた。だが、その急成長ぶりが災いとなり、東和グループの目に留まった。
東和グループ社長の吉川隆一は、グリーンエナジーの技術を自社の事業戦略に組み込み、市場支配力をさらに強固なものにする計画を立てた。その第一歩は「友好的提携」という名目だった。
「我々は貴社の成長を支援したいだけです。資金力を提供し、経営の独立性を損なわない形でサポートしたい。」
東和グループ、M&A戦略部長である谷口誠は、グリーンエナジー社の社長室に足を運び、冷静かつ丁寧な口調で提案を持ちかけた。その裏に潜む意図は、表面上では見えない。
西田直人は、東和グループの申し出を慎重に検討した。条件として提示されたのは、株式の数%を東和が保有すること。そして、東和からの社外取締役派遣であった。契約には「東和が保有する株式は5%を超えない」という上限も明記されており、西田は会社の独立性が守られると確信した。
「この提案、受け入れましょう。」
2023年3月、西田は数日の議論を経て最終的に合意することとした。だが、彼はこの時まだ気づいていなかった。これが、グリーンエナジーの終焉を迎えることになる始まりであることを。
第2幕: 背後の取引
2023年9月、東和グループが数%の株式を保有し、社外取締役を送り込んでから半年が過ぎたころ、グリーンエナジー社内には微妙な空気が漂い始めた。東和から派遣された社外取締役は、会議で発言するたびに「効率化」や「利益率向上」といった言葉を繰り返し、技術開発にこだわる田島専務との間で対立が生まれ始めた。
一方で、東和グループは表向きの契約を遵守しつつ、裏では巧妙な動きを進めていたのだ。彼らは自社関連企業や匿名ファンドを通じて、グリーンエナジーの株式を徐々に買い集めていた。さらに既存株主に対しては、徹底的な情報収集を行い、それぞれの弱みを突きつつ、高値での買い取りを提案していた。ある株主は家庭の財務状況を理由に株式譲渡を余儀なくされ、また別の株主は「東和グループと取引しないと将来的に不利益を被る」という暗黙の圧力を受けていた。
東和グループの関係者が動き回るたびに、グリーンエナジーの株式は次第に東和の手中へと収束していった。
第3幕: 危機の発覚
2024年初頭、田島専務はある日、不審な株式取引の情報を入手した。匿名ファンドが短期間で大量のグリーンエナジー株を取得しており、その資金源が東和グループである可能性が高いと指摘する情報だった。
「これは完全に裏で仕組まれている。」
田島は西田社長を訪れ、緊迫した面持ちでそう告げた。
「契約には株式保有の上限があるはずだ!」
西田は苛立ちながら反論したが、田島は冷静に説明した。「直接保有ではない。東和は関連企業や第三者を通じて買収を進めているんです。このままだと我が社は東和に喰われます。」
西田の顔が青ざめた。彼は、グリーンエナジーが乗っ取られる危険性を初めて実感した。
田島はすぐに対抗策を講じた。敵対的買収を防ぐためにホワイトナイト(友好的な第三者企業)の支援を得ようと、複数の企業や銀行と交渉を始めた。しかし、東和グループの資金力と影響力は圧倒的であり、どの企業も手を貸そうとはしなかった。
第4幕: 臨時株主総会
2024年11月、東和グループがグリーンエナジーの過半数の株式を取得したとの情報が入ると、彼らはすぐさま臨時株主総会を要求した。総会では、東和派の株主が圧倒的な多数を占めており、議題は「役員の信任投票」だった。
「私たちはこの会社を守ろうとしている!こんなやり方は認められない。」
田島専務は必死に訴えたが、会場に集まった株主たちは冷淡だった。その大半がすでに東和の支配下にあり、結果は明白だった。
「役員解任決議案は可決されました。」
議長の声が響く中、西田と田島は、経営陣としての立場を失った。東和グループの意のままに選ばれた新たな役員たちが壇上に立ち、冷たい笑みを浮かべながら挨拶を始めた。
会議が終わり、会場を後にする西田と田島。田島は拳を握りしめ、声を震わせながらつぶやいた。
「これが、奴らのやり方か……。金で全てを奪う。」
西田は無言で歩き続けた。その目には深い失意と、消えない怒りが宿っていた。
第5幕: 追い詰められた者たち
グリーンエナジーを追われた西田と田島。彼らの手元に残ったのは、わずかな私物と、過去の栄光の記憶だけだった。
納得のいかない西田は弁護士を頼って、この横暴な買収劇を翻すべく告訴を検討していたが、相談する弁護士からは会社の株式取得に関して違法な取り引きの証拠がないとして誰一人取り合ってはくれなかった。
いつの間にか世の中では、クリスマスの気分が高まっているようで、気分最悪な西田とは逆に、カラフルなライトが彩るクリスマスツリーやクリスマスリースが街を飾っていた。 西田は一人、深夜の自宅書斎で寂しくウィスキーをストレートで煽っていた。ボトルも半分、空こうとしているのに全然、酔いが回ってこない。敗北感と侘しさ、寂しさが入り混じった複雑な感情で酔えない自分がいた。デスクの上のノートパソコンのモニターの明かりが更に寂しさを強めていた。
ふと、本当に何の気なしに開いたインターネットのトップページ。そのリンク欄に西田の気を引くものが目に入った。「掃き溜めネット」。それは誰でも自由に、心の中のうっぷんを書き込み、声なき声を吐き出せる匿名掲示板であった。
会社も技術も、すべてを奪われた西田にとって、この掲示板で憂さを晴らせるかもしれない。と思うより早く、手が動き、そのサイトにアクセスしていた。
掲示板にはすでに沢山の愚痴や心の叫びが書き込まれていた。やはり、コロナと不況への不満や政府の経済対策への不満が多い。
ここなら自分の気持ちを全て吐き出せると思った西田は、書き込みを開始した。
「某企業に全てを奪われた。金のない俺たちに奴らは札束で頬を叩いたんだ。未来を救うはずの技術も何もかも奪われた。」
「掃き溜めネット」に愚痴を綴る手は震えていた。彼は一気に投稿文を書き上げた後、ひとつ大きく呼吸をしてから投稿ボタンを押した。即座に「掃き溜めネット」に書き込まれ多くの人が閲覧できるようになる。
だが、そのとき、彼の知らぬところで、彼の投稿はAIのWeb巡回の検索に捉えられ、一人の男がその投稿を見つけていたことを知らなかった。
第6幕: 謎の存在からの接触
「東和グループ企業買収に関すると思われる投稿を発見」
バディが報告する。
「どれだ?」
山田も即座に反応して、「掃き溜めネット」の西田の投稿を確認する。
「うん、それっぽいな。バディ、逆探知だ。住所と名前を割り出せ。」
バディは、即座に行動を開始。「掃き溜めネット」に書き込まれた投稿のアカウントからIPアドレスを割り出し、接続したプロバイダを特定。接続された時間帯のログ情報を検索しさらに逆探知。ターゲットが接続契約しているプロバイダーのWebサーバーにアクセスし、その時間に「掃き溜めネット」に接続していたユーザーを特定する。
そして辿り着いた先は、西田直人であった。
「ビンゴ!」
山田はバディを駆使して、西田直人という人物を特定した。さらにバディが補足情報として、西田直人の情報を掘り下げ、グリーンエナジーが奪われた技術ナノ・エコバッテリーに関する情報が提供される。現在、その技術は事実上、東和グループのものになっていること。ナノ•エコバッテリーの技術は現代のエネルギー産業の構造を変えるかもしれない画期的な技術であること。そして、それらを東和グループに奪われた西田の心境。
「掃き溜めネット」に書き込まれた内容とバディからもたらされた情報で、全てを理解した山田は早速行動に移る。
「バディ、西田直人のパソコンにアクセス。前面カメラをハッキング。さらにボイスチャットを繋げ。そして俺の言葉にフィルターをかけろ。お前の音声データでいい。」
バディを利用して、西田のパソコンにアクセスした山田は、無防備な形で彼の個人情報を引き出し、さらにボイスチャット用のアプリをバックドアで仕込んだ。そのアプリは、西田が普段使っているパソコンのデスクトップに静かに表示される。
「ボイスチャットに招待されています。」のメッセージと『OK』のボタンだけ表示されている。「キャンセル」のボタンはない。
自身のパソコンのデスクトップ画面中央に突如、ポップアップされたダイアログ。
通知を目にした西田は、ようやく酔いがまわってきた頭で、一瞬戸惑うが、他に選択肢がないかのように「OK」をクリックしてしまう。その瞬間、画面が暗転し、機械音声が響き渡る。
「西田さん。あなたは歪な資本主義の犠牲者だ。」
西田は目を見開く。信じられない思いで画面を見つめると、声は続けた。
「あなたの技術は世界を変える力を持っている。それを奪い取ったのは、無慈悲な資本家たちだ。」
声の主は、年齢や性別が一切わからない。だか、機械音声に過ぎないその言葉に、西田は混乱しながらも、どこかでその真実を感じ取っていた。
声の主はそんな西田を無視するように言った。
「その技術は取り戻すことが可能。だがそれには、あなたの協力が必要だ。」
西田は震える手で声を発した。
「お前はいったい何者だ?」
「あなたの敵ではない。ただ協力を要請する。」声は冷徹に告げ、そして続けた。
「あなたのこの技術は、正しく公平に使われるべきだ。」
「しかし…」西田は言葉に詰まりながらも答える。「もう、技術は東和グループのものだ。俺にはもう何も残っていない。会社も技術も奪われてしまった。」
そう,吐き捨てるように語る西田。少し間があいた後、機械の合成音声岳言う。
「悪貨は良貨を駆逐する。この言葉は知っているか?」
「グレシャムの法則か?」
「そうだ。16世紀のイギリスの財政家グレシャムの言葉だ。」
「それがどうしたと言うんだ?」
「悪貨は良貨を駆逐する。もともと金本位制の経済学の法則のひとつだが、貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通するという法則だ。」
機械の音声は、淡々と解説を続ける。
「現代資本主義の市場原理は、まさにこれだ。金は単純に金儲けのために使われる。金持ちは物質的なものを手に入れるために金を流通させるのではなく、金そのものを得るために金を使う。一握りの金持ちに金が集まる歪な光景だ。」
何を言っている? 利益の追及自体は悪いことではないのでは?
そんな西田の疑問を無視するかのように機械の音声は続ける。
「そんな歪な資本主義構造の犠牲者なんだ、あなたは。」
「だから?なんだ?」
今更、何を!との思いで西田は問う。
「ナノ•エコバッテリーの技術を東和グループから解放する。」
「そんなこと、出来るはずが…」
「私ならできる。そのためにナノ・エコバッテリーの情報を提供してほしい。」
「何…だと?」
唐突なその要求に西田は驚きと共に怒りが込み上げる。
「ふざけるな!どこの誰かも分からないヤツに俺たちの生涯をかけた夢をわたせるか?」
「このままだと、その技術は一部の金持ちのための金儲けのツールと成り果てるだけだ。マーケットには悪貨が溢れている。皆、金儲けのための金だ。私はそれを駆逐する。…. だから、あなたの技術が悪貨の手先となる前に私が取り戻してやろう。」
「取り戻す?どうやって?」
ほんの少し間が空いて、声の主は抑揚もなく静かに告げる。
「あなたには何も教えない。知らせない。あなたが何も知らないことが、あなたを守ることになる。」
「どういうことだ?」
訳も分からず西田は声を荒げて問うが、声の主は
「そのうちに分かる。今は情報の提供を要請する。」
なかば自暴自棄になっていた西田には、もう提供できる資料もデータもない。
「俺にはもう、何も残っていない。あるのは‥‥昔の夢を綴った個人的なノートだけだ。」
そう言って、書棚の一画に目をやる西田。その先に古い大学ノートの背表紙が覗いていた。
「こんな古い初期のものは、今や何の役にも立たないぞ。」
その言葉に声の主は答える。
「役に立つか立たないか。その判断は私が行う。」
「こんなものはくれてやる。好きに使え!」そう、言い放ち、西田は顔を両手で覆った。
「では、そのノートのスキャンデータを頂く。ノートの全ページをこのノートパソコンの前面カメラに向けてくれ。」
西田は、指示された通り古く手垢のついた自身の夢を設計した「カーボン・ナノ・エコロジー・バッテリー設計案」と書かれた大学ノートを1ページづつ、カメラの前に差し出した。
全てのページのスキャンが終わった時、機械音声が告げる。
「あなたとの接触は、これが最初で最後になるだろう。」
「計画実行は来年の夏までには行う。この出会いはあなたにとって福音となりクリスマスプレゼントになる。他のことは全て忘れても今日の日は覚えておけ。」
そう言うと唐突に通信が切れ、同時にボイスチャット用アプリは跡形もなく消え去った。西田はしばらくその場に立ち尽くし、目を閉じて深く息をついた。自分が今、何を信じればよいのか、分からない。
だが、一つだけ確信があった。この出会いが、何か大きな変化の兆しであることを。