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プロローグ

プロローグ




2018年2月5日、ニューヨーク証券取引所――世界の金融の中心地であるこの場所が、歴史的な混乱に見舞われた日だった。後に「ボルマゲドン」と呼ばれるこの事件は、市場の常識を覆し、投資家たちに深い爪痕を残した。


 取引開始直後、ダウ工業株30種平均が突然500ドルを超える下落を記録した。次いでS&P500、ナスダック総合指数も追随し、市場全体が恐慌状態に陥った。わずか数時間のうちに市場から数千億ドルが蒸発し、状況は一気に制御不能へと向かう。


「異常だ、こんなの普通じゃない!」

フロアに響き渡る叫び声。各デスクには焦燥感に満ちた表情のトレーダーたちが押し寄せていた。端末画面には赤い数字が躍り、取引停止を意味するアラート音が鳴り響く。


「自動取引システムの暴走か?」

「いや、どこかで大口の資金が動いてる。これ、誰かの仕掛けだ!」


 その混乱の中、一人だけ異様なほど冷静な人物がいた。山田耕作――アジア人のトレーダーで、ニューヨーク証券取引所に籍を置いてから2年のキャリアを持つ男だ。他のトレーダーたちが叫び声を上げ、必死に損失回避の策を探る中で、彼は端末を冷静に操作し続けていた。


「山田、どう思う?」

金髪のトレーダー、マイケルが声をかけた。山田は一瞬だけ目を上げ、短く答えた。

「市場は崩れるよ。それが今起きていることだ。」


山田の簡潔な言葉に、マイケルは反論しようとしたが、次の瞬間、さらに大きな売り注文が市場を襲った。取引額は尋常ではなく、明らかに個人投資家の動きではない。


「おい、これ、何が起きてるんだ?」

別のトレーダーが絶叫した。彼の画面には、次々と止まらない暴落の波が映し出されていた。市場全体が恐慌状態に陥る中、山田だけは次の展開を予測しているかのように冷静に指を動かし、取引を続けていた。その振る舞いは、あまりにも異質だった。



 その日、山田が担当した取引の中には、不自然なほど精密なタイミングで損失を回避するものがいくつもあった。他のトレーダーたちが損失を重ねる中、彼は最低限の損害で切り抜け、一部では利益を得る場面すらあった。


「なあ、山田。お前、もしかして何か知ってるのか?」

マイケルが怪訝そうに尋ねる。山田は短く、「まさか、知るわけがない」と答えた。それ以上の会話はなかったが、その無表情な顔には、何かを見透かしているような冷たさがあった。


 市場の動きが異常であることは誰の目にも明らかだった。しかし、その背後にいる人物や意図については誰も確信を持てなかった。あるトレーダーは「誰かが善意の第三者を利用して、市場全体を動かしている」と言い、別のトレーダーは「システムの暴走に過ぎない」と否定した。だが、マイケルは確信していた。


「これ、ただの偶然じゃない。誰かが計画的に仕掛けた罠だ。」


ジョンがその言葉に食いついた。「罠?でも、どうやって?」


 マイケルはフロアを見渡し、低い声で説明を始めた。

「善意の第三者を利用するんだ。例えば、ある機関投資家にだけ先行情報を流す。そいつらは悪意なく動くが、その動きが市場に波を起こす。次に、その波に便乗して仕掛けを仕上げる。」


「まるでゲームだな。」ジョンが嘲笑交じりに言うと、山田がふと口を開いた。


「ゲームさ。」


その一言に、ジョンもマイケルも思わず言葉を失った。



■歪んだ市場の本質


 山田耕作――彼がウォール街に来たのは23歳の時だった。アジア人として、ニューヨーク証券取引所でのキャリアを積むことは容易ではなかった。能力があっても正当に評価されることは少なく、顧客に信頼を得ても社内では「外様」として扱われることが多かった。

しかし、山田には卓越した分析力と、先を読む直感があった。彼は数々の成功を重ね、大口顧客を次々と獲得した。その結果、トレーダー仲間からは「あいつは未来が見えている」と噂されるほどだった。だが、それでも山田が抱いたのは、成績では報われない現実と、市場が抱える歪みだった。


「市場は平等ではない。弱者は切り捨てられ、強者だけが生き残る。それが、資本主義の現実だ。」


 山田がそう考えるようになったのは、自分自身の経験からだった。差別や偏見、そして大資本に優遇される不平等な市場の構造。それに気づいた山田は、次第に市場そのものに疑問を抱くようになった。彼にとって、資本主義とは「弱肉強食」の世界に過ぎず、その歪みを正す者がいなければ、いつかこの仕組みそのものが崩壊するのではないかと考えていた。


 その日の暴落によって、多くの投資家が巨額の損失を被った。個人投資家たちは退場を余儀なくされ、いくつかのヘッジファンドは破綻。だが、一方でこの混乱の中で莫大な利益を手にした者がいたことも判明している。


「数百億ドルの資金が市場から消えた。それがどこに行ったのか、誰も知らない。」


 SEC(証券取引委員会)が調査を始めたが、善意の第三者を利用した複雑な取引スキームにより、犯人を特定することは困難だった。その中で浮上したのが、「ステルスパイロット」という都市伝説だった。


「市場を操る影の存在――誰も正体を知らないが、今回の事件はそいつの仕業だ。」


だが、そのステルスパイロットと呼ばれる存在が本当に実在するのか、そしてその正体が山田耕作であるのか――それを知る者は誰もいなかった。


 事件の数日後、山田耕作はニューヨーク証券取引所を退職した。その理由について、彼は一切語らなかった。ただ、一つ確かなことは、彼がこの市場の裏にある歪みを知り尽くしていたこと。そして、その後の彼の行方を知る者はいなかった。



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