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エピローグ A ward その小説は誰がために

 壮大な内輪揉めはひとまず決着したものの、あの後、多少のごたごたはあった。

 彩夏の両親がやってきて、二度目の顔合わせを果たしたのだ――血塗れの病室で。

 全部俺の血なのだけれど、抱き合っていた彩夏も血塗れで、勘違いした母親は悲鳴を上げて卒倒し、親父さんは俺を強姦扱いして掴みかかってきた。ナイフが俺の手にぶっ刺さっている時点ですでに流血沙汰なのだが、危うくモノホンの殺人現場になるところだった。

 その場合は死体が俺で、殺人犯は親父さんだ。

 騒ぎを聞きつけた医師(またキミかと言われた)が止めてくれなかったら、本当にそうなっていたかも知れないし、なっていたらガチで洒落にならなかった。死人に口なしである。

 最終的に彩夏が事情を説明し、俺がそれとなく補足し(彩夏に刺されましたとはさすがに言えない、あくまで事故で通した)なんとか場は収まったものの、俺の悪印象が改善された様子は見えなかった。

 まぁ、娘の同棲相手の扱いなんてどこも似たようなものだろう。

 俺が歳の離れまくったおっさんであることは関係無いはずだ。たぶん。

 こっちはこっちでしっかり怪我人なので治療を受けたが、入院するほどではなかった。

 幸いにもナイフは急所を避けて突き刺さっていたらしく、完治すれば後遺症も残らないだろうと言われた。俺とて今後片手ではなにかと困ってしまうし、そんな有様になったらただでさえ病んでいる彩夏がさらに鬱になってしまうから、それは本当に良かったと思う。

 彩夏も三日後には退院し、再び俺と一緒に住むようになった。両親には実家に帰ってきなさいと強めに言われていたようだけど、断固として拒否したらしい。

 半ば勘当扱いで俺と居ることを選んでくれた彼女。

 そんな彩夏には絶対に最高の雄姿を見せたいと、俺は決意をより強めていた。

 こうして一時はどうなるかと思ったけれど、俺が殺人犯になることもなく、誰かが死んだのでもない、刑事事件に発展しない落ち着くべき着地点で終息したのだ。

 この結末は、所謂トゥルーエンドと言えるだろう。

 ただ、ひとつだけ忘れてはならない問題が残っていた。

「なぁ彩夏……受賞作たる《Season`s》はどうするんだ?」

 自宅のボロアパートに戻った彩夏に、俺はそう尋ねた。

 すでに評価されているあの作品を無かったことにするのはもったいないし、違う気がした。

 あれだって、必死で足掻いた俺達の結果なのだから。

「正直に出版社に伝えるつもりですよ、あれは龍成さんと私の合作ですって。出版する際の著作名も【火華】じゃなく《からっかす》でいいと思います。【火華】は……役目を終えましたから。作品自体も構成上完結してますので続きを描く必要もありませんから、《からっかす》もこれきりでおしまいですけどね」

 彩夏はしみじみと、しかし、微笑んでそう答えてくれたから、俺も異論は無かった。

「これからは私も霞彩夏でやっていきます。あなたが空龍成として再スタートしたように」

「……そうか」

「はい」

 彼女の瞳は希望の光に溢れており、口調も大分ハッキリとしていた。

 才能ある彩夏は成長も目覚ましいから、ひとりでも必ず素晴らしい作品を生み出すだろう。

 俺も負けてはいられない。

「彩夏」

「はい?」

「がんばろうな」

 ずっと避けていたそれは、今の俺達にもっとも適した言葉だったように思えた。

 俺はどんな顔で彼女にそう告げていたのだろうか。

 彩夏は暫し目を丸くしていたけれど、やがて意外にも彼女の方から、

「愛してます、龍成さん」

 恥じらいながらそう言って、そっと口付けられた。

            ***

 後日、俺と彩夏は受賞と互いの新たな門出を兼ねて祝うべく飲みに出かけた。

 場所は八王子駅前の割といい値段のする焼肉屋で、前もって予約しておいたのだが――。

 店について早々、俺は面食らい、引きつってしまった。

 なぜなら、店の中には顔見知りが三人も居座っていたから。

 秋雨童夢、真冬角、そして、日那美春。

 顔を合わせ、当惑する俺に、隣の彩夏は何食わぬ顔で私が呼んだのだと告げてくる。今回の一件ではお世話になりましたし迷惑もかけましたからと続けられては、俺だって反論不能で、とはいえ、どう切り出したものかと困っていると、代わりとばかりに彩夏が頭を下げて。

 さらに今回の一件のすべての経緯、結末にいたるまでを彼女は隠すこと無くつまびらかに語ったのだ。誰の影響か知らないし、随分と図太くなったものだが、これではさすがに俺とてなにもしないわけにはいかなかった。

 特に俺の場合、秋雨くんと真冬くんに非情に申し訳ないことをしたし、日那さんにいたっては手酷く傷付けてしまったから、誠心誠意の謝罪は免れなかった。

 彩夏は私が原因だと言い張ったが、実害的に俺の方が絶対に悪いから。

 秋雨くんと真冬くんは、彩夏から呼び出されるまで俺達が受賞していたことすら知らなかったようだった。作品タイトルとペンネームが投稿前とそもそも違ったのだから、それも無理はないのかもしれない。

 俺達二人の謝罪交じりの語り。しかし途中からほとんど彩夏の独壇場で、豊かすぎる表現力を持ってのそれを聴いていた三人は、固唾を呑んだように黙らされていて。

 やがて語りが終わると、秋雨くんが唸りながらこう言った。

「いやいやいや、受賞したのも当然ながらすごいんですけど、それ以上にこれフィクションじゃないんでしょ? ぱねぇっすよ」

「事実は小説より奇なり、か。まさにその通りなのかもな」

 真冬くんが感嘆としつつそう続いた。

 二人とも犯人扱いされパソコンを覗かれていたことよりも興味をそそられている辺り、作家として良い意味で狂ってきていると思った。

「下手な物語より刺激的でおもしろいですもんね」

 日那さんはなんだか悔しげだった。

 彼女の場合はどうも彩夏に対して言っているようだった。まぁ無理も無いだろう。今の語りを創作の物語とするなら、彩夏が選ばれた構成はイコールで自分が負けヒロインなのだから。

 俺がなんとなく皆の様子を窺っていると、日那さんにじろ~りと睨まれた。こわい。

「皆さんにネタを提供できたのなら、ご迷惑をかけた私としても少し気が晴れます」

 彩夏は沈痛な面持ちで、しかし、口元は微かに笑みを浮かべてそう言った。それは言い方こそ嫌味になってしまうかもしれないが、この場における完全なる勝者の佇まいだった。

 そうして、その日は意図していなかった新たなる《同志会》の集いになったのだ。

 彩夏が主催することによって参加できた日那さんも、目的を同じくする秋雨くんや真冬くんといった仲間ができてひとまずは嬉しそうだったが、諍いを持つ俺としては正直なところ内心ハラハラさせられていた。

 だが、こうした危うい刺激も新たな物語を生む素材になるのだから決して無駄では無いのかもしれない。作家たるもの、何事も貪欲に、である。

 ただ、この日の主役は誰がどう見ても霞彩夏だった。

 天才はあらゆる意味で間違いなく俺達と差を付けていた。

 誰もが負けられないと、そう思ったはずだ。そして、きっと俺達はそれでいい。

 倫理や常識は大切だけど、それに捕らわれていては新しいものは生み出せないから。

 飲んで、食べて、騒いで、笑って、怒って、口論して、納得して、発見して、意見して、衝突して、驚いて、感心して、対抗して、悩んで、その間も時間は過ぎていく。

 時間は誰しも平等だから、今日も一日が終わっていく。

「やっぱいいっすね、こういうの。またやりましょうね」

「今いいの書いてるんで、書き上がったら見せますね」

「おっけ~、俺もプロット書けたら二人に連絡するわ」

 現地解散の帰り際。店の外で表面上諍いが打ち解けた秋雨くんと真冬くんを見送る。

 と、遅れて出てきた日那さんが俺に耳元で囁いた。

「霞さんに飽きたら言ってくださいね、アタシいつでもウェルカムなんで」

「おい」

「あはは、でわでわ~」

 颯爽と走り去る困った後輩だが、彼女なりに考えさせられたのだろうなと、俺は思った。

 ん? そう言えば――。

「同盟解消したってこと、言い忘れてたな」

「私はあえてそうしたんですけどね」

 遅れて出てきた彩夏が俺の呟きを拾った。

「なんで?」

「それを本気で言ってるなら、龍成さんはもう少し考えた方がいいです」

 彩夏は明らかに拗ねた様子で、先に歩き出してしまう。

 なるほど、前に日那さんに言われていたっけ。やはり俺は女心の機微に鈍いらしい。

 同盟解消を知れば俺の意思はともかく、日那さんは攻勢を強めるだろうから、それが彩夏的には嫌なのだ。いわゆるヤキモチってヤツである。

 俺は走って追いかけ彼女に並ぶと、不機嫌に振れていたその手を自分の手に重ね合わせた。

 彩夏はこっちを見上げ、照れているのかすぐに視線を外してしまうも、指は絡めてくる。

 俺としてもつかまえた心地良い温もりはもう手放したくなくて、そのまま自分の上着のポケットに潜り込ませた。

「くすぐったいです」

 彩夏が小さく笑った。感情を自然と表に出せている辺り、本当に彼女は変わったと思う。

 口癖のような「ごめんなさい」も、すっかり聴かなくなった。

「そう言えば昔、こんなシーンを龍成さんは作品内でも書いてましたね」

「ん? ああ、よく覚えてるな。あのエピローグか」

 不意に彩夏に話題を振られ、その内容を思い返す。

 俺と彩夏が出会った日、彼女に読んでもらった落選済みの作品。

 霞彩夏が、変わるきっかけになった作品。

 それには、たしかに主人公とヒロインの二人が冬の夜街を並んで歩くシーンがあった。

 困難を乗り越えた彼等も、最後には今の俺達のようにじゃれ合って手を繋いでいたのだ。

 上着のポケットに手を潜り込ませる所までシンクロしていたから、つい笑ってしまう。

「どうかしましたか?」

 彩夏が小首を傾げた。今や俺にとって一番大事な人であり、ライバルでもある霞彩夏を良い意味で変えられたのなら、俺としても誇らしい。

 人との関わりは少なからず傷付け合うことでもあって、深く知ろうとすればするほど、その度合いも大きくなる。俺はこれまで色んな人を傷付けたし、それは一番大事な人である彩夏も例外じゃなくて、むしろだからこそきっと、これからも沢山傷付けてしまうと思う。

 そうすることで彼女はまた変わっていくのだろう。良くも悪くも変わってしまうのだろう。

 だけど、彼女を、霞彩夏を変えるのは、空龍成でありたい。

 俺はそんなわがままを夢想しながら、彼女にこう告げていた。

「いや、今回受賞した俺達の《Season`s》も、誰かに影響を与えるのかなと思ってさ」

「……どうですかね、龍成さんはそうなった方がいいですか?」

「そりゃ、な。だって俺達は作家なんだぜ?」

 自分が書いた小説で誰かの心を動かす。影響を与え変化させる。

 それは作家として何にも代えがたい最高の誉れだろう。

「そうでしたね、私達は作家でした」

「まだ、駆け出しのひよっこだけどな」

「ふふ、でもスタートには立ちました」

「ああ、こっからだ」

「はい」

 俺は繋いでいた手に、ぎゅっと力を込める。

 彼女も、ぎゅっと握り返してくる。

 空龍成はまだ霞彩夏には及ばない。でも、必ず追いつき、追い越してみせる。

 そして、それは誰かの変化を促す作品を生み出すこととイコールでもあり――。

 大事な女に、格好付けることともイコールだった。

 俺には欲しいものがあった。欲しくて、欲しくて堪らないものがあった。

 それはまだまだ手に入らないけれど、諦めるつもりは微塵も無い。

 空龍成、三十八歳、自分に誇れるようになった俺はここから現実に逆襲する。

「ちなみに龍成さんは、次の作品を考えていますか?」

「ん~……まだ全然練ってないけど、ざっくりと書きたい主人公は決まってるかな」

「うわ。またずいぶん早いですね、どんなのです?」

 空龍成としての新作に、彼女は興味津々らしい。

 羨望さえ混じる熱い眼差しを受けて、俺は閃いたばかりのネタを披露する。

「四十路前の若作りしたオジさんが奮闘する話かな」

                                        (了)

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