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第三章 酔い

「やややぁ~? そこに居るのはせっかく二人で行ったのにアタシを泣かせた挙げ句居酒屋に置き去りにして帰っちゃった空センパイじゃないですかぁ、えへへ、おはようございますっ」

 翌日、バイトで出勤すると、従業員出入り口で日那さんと鉢合わせした。

 開口一番のその台詞は、他のスタッフが居たら変な噂がたっていただろう。事実だから全否定できないところがツライ。

「お……おぅ、おはよ……その割にはやけに元気だな」

「元気はアタシの取り柄ですからね~。そっちは見たところそうでもなさそうですね」

 俺としては彩夏の身代わりにしようとしていた相手であり、散々気を持たせて一方的に振ったのが日那さんだ。これは弁解のしようが無く、かといってどうしていいものか思いつかず無茶苦茶気まずかったのだが、彼女の方はケロリとした雰囲気だった。

 この神経の図太さ、見習うことにする。

「も~、ちゃんと彩夏さんと仲直りしたんですか? 大事な同盟相手でしょ」

「ああ、その点は大丈夫だ。俺達、男女の関係になったから」

「……は?」

 聞かれたからちゃんと答えたのに、元気が取り柄の後輩は目が点になっていた。

「ただの同盟関係だって言ってたじゃないですか、アレは嘘だったんですか?」

「嘘じゃないよ、だからそれ以上の関係になったと言ってるんだ」

「…………」

「どうしたみはるん? 顔が変だぞ」

 ぶん殴られた。グーで。顔を。背が小さい彼女ゆえにジャンピングアッパーで。

 あの~俺センパイだよ?

「おいこら、なにしやがるぅう?」

 抗議しようとしたら、バフッとハグされてしまった。

 そして、表情が見えないように俺の鳩尾辺りに顔を埋めて背中をバンバンと叩いてくる。

「失敗したなぁ……」

「みはるん?」

「いえ、よかったですね」

 彼女は離れないままにそう言い、続けた。

「彩夏さんは趣味が悪いですね。こんな顔面詐欺師のおじさん、どこがいいのか」

「おい」

「スマホも持って無い、ネットを避けまくりの世捨て人なのに」

「…………」

「空センパイもとんでもないですね。彩夏さん、歳いくつですか? アタシとそんなに変わらないはずですよね? 信じられないです。犯罪です。通報ものですよぅ……」

 悪態をつくその小さな身体が、震えていることに気付いた。でも、俺は見ないふりをした。

 日那美春を選ばなかった俺にできるのは、たぶんそれくらいしか無かったから。

「……返す言葉が見つからないよ」

「でしょうね、おまわりさ~ん」

「かんべんしてくれ」

「むっふっふ、かんべんして欲しければアタシの願いを叶えてもらおうか?」

「そりゃ脅迫か?」

「脅迫です」

「そりゃまいったな」

「そうでしょう、そうでしょう」

「なにすりゃいいの?」

「そうですね、今後アタシに絶対服従と言いたいところですけど……アタシはとっても謙虚ですし、ひとつだけでいいです。丁度お夜食を買ってくるのを忘れていました。だから――」

「……だから?」

「ローソンのからあげサンドを買ってこい、ダッシュで」

「今すぐ?」

「なうです」

「……了解」

 家に帰って食べなさいとか、パシリかよとか、なうってなんだよとか、そんな突っ込みは入れない。ひたすらに顔を隠そうとする後輩の頭をぐりぐりと撫で付けて離れた俺は、その日あえて遅刻した。日那さんに少しでも早く元気な顔に戻ってもらいたくて顔を合わせないようにしたのだ。上司には寝坊しましたと言って「チーフの自覚」についてお説教されたけど、それぐらいなんでもない。

 遅れてホール入りした俺に日那さんは「チーフが寝坊とはけしからんですね~」と茶化しに来てくれた。眼が若干腫れぼったかったのに、本当に大したものである。

 そうして仕事終え、他のスタッフも帰った喫煙所で一服していると、

「セ~ンパイ、お腹がへりました~」

 ニコニコと愛想のいい日那さんがやってきた。どうやらお願い物の徴収に来たらしい。

 マジで図太い神経してると思う。

「からあげサンドなら無いぞ」

「はぁ?」

「代わりに、コレ」

 抗議の声を上げる後輩の手に缶ビールを手渡した。ちょっと良いクラフトビールである。

 前もって買っておき、休憩室の冷蔵庫で冷やしておいたのでキンキンに冷えている。コレを選んだ理由は、たぶん今後、日那さんとは飲みに行き難くなるから。

「お願いと違う……契約不履行です」

「そう不貞るなよ、仕事終わりの渇いた喉にはこっちの方がいいかと思ってさ」

 本音ではなく建前を告げつつ、俺も同じ物を手にする。

「へぇ……気を利かせたんですか」

「まぁな、伊達に歳は食っちゃいないよ」

「でも、いいんですか? 職場で飲酒なんて」

「仕事は終わってるし、たまにはいいだろ?」

 俺達は喫煙所で缶ビールの蓋を開ける、炭酸の抜けるいい音が鳴った。ぐびりと喉を鳴らす音が、「「くふぅ~」」と味わいの感想を告げる声までがシンクロする。

「たまりませんなぁ」

「オジさんみたいだな」

「センパイの影響ですよ、絶対」

「キミの酒好きは元からだろ~が」

 言いがかりを一蹴した俺はタバコを口にし、火を点ける。

 最近の居酒屋だと飲みながら吸えないし、宅飲みでも換気扇前から動けないから、飲み相手が居て吸えるのはちょっと新鮮だ。

「タバコって美味しいですか?」

「人生の活力かな」

「ふふ、なんですかそれ」

「みはるんより長く生きてる俺のひとつの結論」

「ふ~ん、えい」

「あ」

 俺の銜えていたタバコを唐突に取り上げた日那さんは、躊躇いなく銜え煙を吸い込んだ。

 暫し味わうみたいに眼を閉じていたのだが、

「う――ゲホッ……うえぇっほ、けほっ、けほっ……気持ち悪い、なにこれぇ」

「おいおい。なにやってんだよ、みはるん」

「何事も経験かなと思ったんですよ、アタシ作家ですから」

 青い顔でニヤッと笑う後輩に、俺は溜息を返した。

「取材かよ。まぁ大したもんだとは思うけど、それに懲りたら二度と吸わないこったな。美貌にもよくないんだぜ、コレ」

 吸いかけのタバコを彼女から取り上げると、俺は吸い込み煙を吐き出した。

「懲りたらやめる、ですか」

「ん、普通そうだろ?」

「……どうですかね」

 曖昧な返事をしながら、ビールをちびりと飲む後輩。俺が吸う様子をまじまじと見つめてくるから、視線をくすぐったく思いつつビールを煽ると、

「ねぇ、センパイ?」

「ん?」

「今、アタシと同盟を結んで欲しいって言ったら、結んでくれますか」

「…………」

 一度は言わせようとしたその誇れぬ盟約、しかし、今は即答できなくて――。

「あは、冗談です。アタシ原稿ひとりで仕上げてみますね。書けないわけじゃないですし、心許なさはありますけど、まだ処女作ですし、落選したとしても……それも経験ですし」

 彼女はそう捲し立てた。

 ただ、その眼差しはどことなく虚ろで、吐き出した言葉通りの決意をしきれていないようにも見えた。なにかを待っているような、期待しているような、そんなずるさを感じさせた。

 気を遣われたのかもしれない。冗談なんかではなかったのかもしれない。

 でも、だとしたら間違っていたし、今の俺は彼女を受け入れられなかった。

 日那さん自身が俺に言ったのだ。必要なら自分で掴み取れと。答えを相手に委ねるなと。

 そして、すでに俺には霞彩夏が居る。

 少し前の俺のような態度に対し、ずっと避けていたもっとも残酷な言葉を投げかける。

「そっか、がんばれよ」

「ッ――もちろんです、アタシ……負けませんから」

 目尻に涙を溜めて力強く宣言した日那さんは、くるりと背を向け、そして、振り返ることなく帰っていた。一人残された俺は一際大きな溜息を吐き、残ったビールを飲み干す。罪悪感で胸が痛んだけれど、自分のずるさのしっぺ返しとして甘んじるしかなかった。

「いやぁ……最低だな、俺」

 自己嫌悪になりつつも、彼女よりよっぽどずるい自分がすべきこと、必要なことを考える。

「帰ろう、彩夏が待ってる」

            ***

 彩夏と一線を越えて以降、俺達の作品は怖いくらい順調に進んでいった。

 精神的なゆとりは生活そのものにも影響を与える。

 それまでに比べて彩夏はよく笑うようになり、側に居る俺も彼女に自然と向き合えた。

 執筆が順調なら時間もできる。

 そうしてできあがった時間を、俺と彩夏は二人の時間に充てることが出来た。

 もう、ただの同盟関係じゃない。男と女、恋人と言って差し支えない関係だった。

 幾度となくカラダを重ね、抱く想いを深め合う。俺は彩夏を求め、彩夏は俺を求める。それはとても幸せなことで、少なくとも俺は心が満たされていた。

 ただ、たまに、ほんの時折、ふとした瞬間に見せる彼女の悲しげな表情だけが俺は引っかかっていたけれど、彼女にどうしたと尋ねても、なんでも無いと言われるだけで――。

 彩夏が微笑んでくれるから、俺は深く追求せずにいた。

 原稿が完成したら、暫く創作は休止して旅行にでも行こうか。

 俺がそう告げると、彩夏は頷いてくれた。楽しみにしてますと、そう言ってくれた。

 だから、俺はバイトのシフトを少し増やした。決して楽じゃないけれど、彼女の笑顔を思えばまったく苦じゃ無くて、仕事を終え帰宅してからも、彼女との作品制作に集中できた。

 余談かもしれないけれど、酒の量が格段に減っていた。主に飲むのは休みの日。彩夏と一緒に部屋で飲むことが多かった。彼女は弱いからすぐに眠たそうになって、へにゃりと俺にもたれかかってくるけれど、それが、堪らなく、愛おしかった。

 

 そうして月日は流れ、目標とする《神筆大賞》の締め切り十四日前。

 

「……書けました……龍成さん」

 集中しやすいようにコンタクトではなく眼鏡をかけていた彩夏の、擦れた声が上がる。

 側で待機していた俺はワープロ画面を覗き込む。ページ数は130、最後の行には【了】の文字、それは俺達の原稿、その初稿の完成を意味していた。

「ぉぉ……ついに……やったな彩夏。よくぞ……よくぞ書き切ってくれた」

 座ったままの彼女の頭を優しく撫でながら労うと、彼女は感無量なのか眼を閉じる。ラストは勢いを殺したくないからと徹夜で仕上げていたせいで、目の下には深いクマができていた。

「さっそく全体のレビューをしてみるよ。時間もかかるだろうから彩夏は休んでいるといい」

「……はい」

 彩夏は指定席を譲るようにふらふらと立ち上がる。

 俺は椅子に腰掛けると、書き上がったばかりの原稿をプリントアウト。ずっしりと厚みのあるそれを持つと、身体の芯から震えが来た。この原稿は俺達の集大成である。今まで手にしたどの原稿よりも重く、光り輝いて見えた。

 ――絶対に受賞するんだ、俺達は、この作品で!!

 初稿の完成に至るまで何度もレビューバックを繰り返してきたから、大きな穴や矛盾は無い。

 完成度は充分すぎるほどに高く、なにより圧倒的に面白い。

 彩夏が描ききった物語は現代を舞台にした青春小説。仮タイトルは――《無色の季節》。

 ファンタジックな設定は一切盛られておらず、メインとして登場するキャラクター達は皆非凡を通り越して欠点ばかりで、並の作者であれば物語の起伏がつき難い仕様なのだが、その関係性の描き方がとにかく圧巻で、読み手の興味を否応なしに惹き付け物語世界に没入させる。

 誰にでもあの時こうしていればと思うことはあるだろう。

 自らの選択を失敗し、後悔したことだってあるはずだ。

 そんなありふれた出来事を、とことん尖った描き方で、ミステリアスなエンタメに昇華させているのが彼女の作品だった。唯一の弱点としては、尖り過ぎるがゆえに独特になりがちな文章とキャラの行動リアリティーの不足が課題だったが、執筆する彩夏自身の成長と、さらに全体をフォローする俺の手で、それらは解消されつつあった。

 だが、それで満足してはいけないのだ。作品強度はまだ上がる。もっともっと面白くできるはずだと、俺は持てる技術と知識をフル活用して原稿を読み解きペンを走らせた。

 心が激しく躍っていた、コレならいけるという確信さえあった。

 そうして最後のページを読み解き、持っていたペンを置くと、自然と拳を握り締めていて。

 ふと去来する感情があった。なぜだか涙が零れ、読み終えた原稿に染みを作っていく。

「アレ……なんだこれ……クソ……どうしたってんだ俺は……」

 意味がわからず必死に拭い、ふと見上げると、俺の描いた数多の夢の残骸が眼に飛び込み、耳にささやきのような声が流れ込んでくる。

 それでいいのか、と。空龍成は、本当にそれでいいのか、と。

 おそらく幻聴でしかないその声は、一番触れられたくない神経を逆撫でる。

 ――うるせぇ、黙れよ……ここまで、ここまで来てっ、そんなの今更だろうがッ。

 壁に貼り付けられたそれらを引き剥がし、引き裂き、丸め捨てていく。ひとつ、ふたつ、みっつと、こんなもの、こんなくだらないモノッ、もう、どうだっていいと、すべての過去作の評価シートを床にぶちまけ終えた俺は、ハッとなって振り返る。

 彩夏はソファーで横になったまま静かな寝息をたてていた。徹夜明けで良かった、こんな醜態、ここまで頑張り抜いた彼女には絶対に見せたくなかったから。

 安堵した俺はベッドにあった毛布を彼女にかけてやろうとするも、

「っ、彩夏……」

 その目元に、涙の滴が浮かんでいることに気付いてしまう。

 彼女は、本当は起きていて、俺の醜態を見ていたのだろうか。

 それとも、何か悪い夢でも見ているのだろうか。

 そのどちらであっても、彼女にとっては決して気分のいいものではないだろう。

 疲れ切っている彩夏を起こしてまで真実の確認などできるはずがなくて、俺は胸のざわめきを感じてしまう。今日は、せっかく集大成を書き上げた喜ばしい日なのに。

「ごめんな」

 俺は彩夏の目元をそっと指先で拭うと、額に優しく触れるだけのキスをする。

 目覚めたら、いつも以上に優しく接しようと、心に決めて。

            ***

 翌朝、起きてきた彼女は驚くほどいつも通りだった。

 散らかした部屋は俺が前もって片づけたが、壁に何も貼られていないことにはどうしたって気付いたはずで、なのに彼女はその件に触れては来なかった。

 俺もあえて触れず、それよりもできる限り優しく接することを心がけた。締め切りまではまだ猶予があったし、俺も彩夏もバイトが休みだったから、その日は完全にオフにした。

 したいことはあるかと尋ねたら首を振られてしまったので、仕方なく俺が気になっていた恋愛映画を見に行って、ジャンル的にも彼女も楽しめるだろうと思っていたのだけれど、純粋に楽しむはずがクセでつい分析してしまって、終わって食事する時に「あのシーンは俺ならこうするのに」とか熱く語ってしまったりした。

 でも、そんな俺に彼女はうんうんと頷いて、やっぱり微笑んでくれて――。

 その夜は、何度も、彼女を抱いた。

 抱いている間、幾度となく彩夏は哀しげに泣いていた。

 理由を俺が尋ねても、やはりなぜかは答えてくれなくて。

 行為を中断しようとすると、それはそれで嫌がって、俺は涙する彩夏を抱き続けた。

 発情し快楽に浸る夢現の狭間で、彩夏が女としての色取りを変える度、俺は支配感に酔う。

 彩夏に重なり、内側で果てる度、俺は達成感に満たされた。

 彼女はそんな俺を、潤み歪む瞳で見つめ続けた。

 彼女もそれを望むならと、俺は行為を繰り返し、そして、夜が明けていく。

 カーテンの隙間から朝日が差し込んでくる。

 俺に跨がる彼女の濡れきった肢体が、陽に照らされて光輝を纏っていく。

 そうして乱れる彩夏は切なくなるほど美しく、やがて達したのか俺の上に身を委ねた。

「……りゅうせいさん、きもちいいですか?」

 荒れた呼気をそのままに、彩夏が言う。

「……ああ、彩夏は気持ち良くないのか?」

 俺が尋ね返すと、彼女は俺の胸元に強く吸い付き、その舌先でちろりと舐め上げる。

 白銀の如き煌めきをもった唾液の糸をゆるやかに滴らせた彩夏は、その後こう告げた。

「……きもちいいです……こわいくらいに……だから、もっと……ください」

「っ――あや、か?」

 どこか危うい泣き顔で、瞳の深淵は誘うようにこっちを見てくる。

「たりないんです……たりないんです――だめ……ですか?」

 瞬間、俺達の結び目に、どろりとした感触が溢れて広がった。

「だめじゃないさ、キミが望むなら」

 拒否などできなかった。しようとも思わなかった。

 壊れたように喘ぐ彩夏はなんだか現実味が薄れていて、俺も思考のネジが外れたように激しく俺自身を打ち付けた。彩夏が満足したのかはわからない。優しさを忘れた俺が自分を取り戻した頃には、俺の右腕を枕にして彼女は瞼を閉じていたから。頬には、涙を伝わせながら。

 俺はどうすればいいのかわからぬまま、彼女を抱き締めるしかなかった。

            ***

 レビューを踏まえて改稿を終え、完成した原稿になったのは締め切り九日前だった。

 俺はこの状態で絶対に受賞できる自信があったが、

「もう少し他の人の意見も聞いてみようと思うんです」

 主な制作に携わった彩夏は違ったらしい。まだレベルアップできるかもしれないなら、時間の許すギリギリまで足掻きたいと強く反論してきた。

「気持ちはわかるけど彩夏、悪い前例があったのを忘れていないか?」

 俺が心配したのは改稿による劣化である。

 学生時代の苦い経験を、彼女とて忘れられるはずがないのだけれど。

「意見をもらうぶんにはいいと思うんです。まだ、九日あります。読んでもらって、その意見が作品のためになるかどうかを、私達がしっかり判断すれば」

「その判断が容易じゃないから言ってるんだ。昔だって、あの時はそれでいいと思って納得した上で取り入れたのに失敗したじゃないか」

「でも、昔と今じゃ私達だって違うはずです、私は成長していませんか龍成さん?」

「…………」

 言い返せなかった。

 彩夏は、成長している。格段に。作品制作の技術面でも、そして、人間的にも。

 でも、俺は、空龍成はどうだろうか?

「大丈夫です。最後のチェックは龍成さんにお願いしますから、それなら、たとえ駄目だったとしても……私は納得できますから……やれるだけやってみませんか?」

 彩夏が俺の手を取ってそう言った。

 彼女がこうまで覚悟を決めているのに、俺を信じているのに、反対などできず。

「わかった、でも意見をもらうにしても誰に――っ」

 アテとして真っ先に脳裏に浮かんだのは日那さんだった。

 ただ、『がんばれよ』と言ってしまったあの日以降、仕事先では先輩後輩として振る舞えてはいるものの作品制作の話題は極力避けていて、気まずさはどうしたって払拭できなくて。

 そんな後輩に頼むのは気が引けてしまい、つい被りを振っていると――。

「龍成さんは……《同志会》の皆さんの連絡先、忘れちゃいましたか?」

 彩夏が遠慮がちに微笑んでそう言った。俺が彼等と疎遠であることに、彼女なりの思いがあるらしかったが、俺としては気まずさが先立ち、濁すように答える。

「っ……いや、覚えてはいるけど……アイツら、書いてんのかな? 小説」

「作品制作自体はしてるみたいです……ちょっとずつ……みたいですけど」

「ん? ああ、そういや彩夏は連絡取ってるんだったよな、個別で」

「……はい」

「ちょっとずつ、ね」

 俺はかつての仲間の顔を思い出す。切磋琢磨し、傷付け合った連中の様々な顔を。

 時間の経った今であれば、俺は再びアイツらに笑って接することができるだろうか。

 思考の迷路を抜け、出た結論は――否だった。我ながら格好悪いのは理解しているのだが、これは歳を重ねているからこそのプライドの問題で、向こうからならともかく自分から歩み寄るには優先度が現状の彼等には足りなかった。

「連絡……してみないんですか?」

 彩夏の問いに、俺は首を横に振る。

「疎遠の俺からの直電より、連絡し合ってる彩夏からの方がアイツらもいいだろ。そっちは任せるから、俺は別のアテを当たってみるさ。ほら、前に言ってた職場の後輩。これだけの作品を読むってのはソイツの勉強にもなりそうだしな」

「……わかりました」

 彩夏は、なんだか寂しそうだったけれど、優先すべきは原稿だと理解しているのだろう。自分のスマホで彼等に連絡のメッセージを打ち出した。

 俺も自分のできることをやるべく、部屋の固定電話を使用する。少し気まずい後輩への連絡であっても、《同志会》の彼等よりはマシだったから。

 受賞作を生み出すことは俺達の最大目標である。

 状況が状況であり、原稿のレベルアップはその可能性があるなら、たしかにやった方がいい。

 そう自分に言い聞かせながらも、気は重かった。

            ***

 日を跨ぐ深夜。

 仕事が終わり大抵のスタッフが帰宅する時間を見計らって、俺はバイト先に顔を出した。

 休憩室で、ひとり夜食のからあげサンドを食べようとしていた日那さんを見つける。

「帰って食べればいいのに、ま、俺は助かったけどさ」

「あれ? センパイ今日はお休みじゃ?」

「ああ、ちょっとキミに用事があってさ。電話したんだけど、繋がらなかったから」

「あ、ホントだ……すみません、今日はお店が忙しかったんで、休憩まともに取れなくて」

 着信に気付けなかったことを、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

「気にしなくていいよ、そうじゃないかなとは思ってたから」

 嘘を吐いた。本当は避けられているんじゃないかとも思っていた。

 なのに、こうしてここまで来る俺の性格も、中々に図太くなってきたのかもしれない。日を改めるべきかとも思ったけれど、意見を吸い上げ改稿するとしたらそれほど時間に猶予は無かったからというのもある。

 でも、一番の理由は、たぶん、失いたくなかったのだ。繰り返したくなかったのだ。

《同志会》のように――日那美春という、作家としての仲間を。

 人間的に成長したかったのだ。彩夏のように、俺も。いい歳したオジさんの足掻きである。

「でも、こうして来てもらえて丁度良かったです。最近シフトも被りが少なかったし、中々ゆっくり話す機会が無かったから――直接言いたい報告もあったし……」

「報告? 仕事でヘマでもやらかしたのか?」

「そうじゃないですよ……いえ、やらかしたのかも……」

「?」

「だから、結構へこんでるんです。実は割と自信あったんですよ。なのに……」

 一方的に、途切れ途切れ言う日那さんは、持っていたからあげサンドをこれでもかとほおばった。リスみたいな顔で、必死にもぐもぐして、でも飲み込みきれなくて喉に詰まったようで胸をどんどんと叩き出す。

「おいおい、なにやってんだよ」と、俺は差し入れで持ってきたお茶を慌てて差し出す。

 受け取った彼女は苦しそうに一気飲み。喉元を過ぎてひとまず落ち着いたのか大きな溜息が零れ、その後、やせ我慢が見え見えの笑顔でこう言った。

 

「一次で落選でした、私の処女作」

 

「…………」

「あ~あ、やっぱり甘くないですね……そんなに大きな新人賞じゃなかったしいけるんじゃないかな~って思ってたんですけど……たはは、現実の厳しさが……身に染みましたぁ……」

「……みはるん」

「センパイの言ってた、作品劣化と疑心暗鬼のこと、ちょっとだけわかりました。あ、でもでも、だからって後悔はしてないです。センパイに指摘されて改稿してきたのは、全部納得してますから。次回作ではもっとがんばる所存であります」

 日那さんはまだ一作目、そして初投稿だ。彼女ならさらなるレベルアップは難しくないし、あの作品自体にだってまだまだ伸び代があったのは間違いない。

 挫けずモチベーションを保つことこそが、今の日那美春には必要なのだろう。

「そっか、残念だったけどその意気は大切だよ。がんばりな」

「はい」

 眩しいやる気を見せる彼女に、再び残酷な言葉を吐いてしまったのには俺なりの理由があった。彩夏とは異なれど圧倒的な速筆という才能があり、前向きで貪欲、なにより俺の持たない若さがある。そんな日那美春であれば、すぐには無理でも受賞という結果は不可能では無い。

 俺の手を借りずとも、否、俺がいない方が掴み取れると、本当に、そう思ったから。

「そんなみはるんに、今日はお願いがあってきたんだ」

「あ、そうでしたね、すみません。アタシ、つい自分のことばっかりになっちゃって……」

「いや、いいんだ。俺もキミのことが気になっていたから」

 俺は後輩の頭を撫で付けようとしたが、当の本人にすっと距離を取られた。

「…………で、要件とは」

「ん、ああ、実は俺と彩夏の作品の初稿が完成してさ。みはるんの意見が欲しいんだ。投稿する締め切りの問題もあるから、できるだけ急ぎで」

 あれ? と思ったもののすぐに笑いかけてきてくれたから、ひとまず持参物を手渡す。

「――――」

 茶封筒に収めた原稿を手にした彼女は、暫し無表情だった。

「みはるん?」

「っ、えへへ、わかりました。そうですか、できあがったんですねぇ、ついに」

「色々あったけどソイツは俺達の集大成なんだ。面白さは保証するし、俺はコレが受賞作になると確信してる。みはるんの今後にとっても必ずプラスになるはずだから、是非読んでおいてもらいたい。もちろん、気になったところがあったら遠慮無く指摘してくれ」

「すごい自信ですね、それは楽しみです」

「ああ、楽しんでもらえると思う」

「…………早速帰って読んでみますね」

 日那さんは茶封筒を大切そうに胸に抱えると、会釈をして去ろうとする。

「あ、駅まで一緒に行こうか?」

「いえ、ちょっと寄るところもあるんで」

「ふ~ん、そっか」

 なんとなくよそよそしい彼女の背を、俺は見送った。


 それから九日後の朝、原稿は無事完成する。

 日那美春、秋雨童夢、真冬角の意見を吟味し、俺が整えた霞彩夏の原稿が。

 タイトルは――《Season`s》。仮タイトルの《無色の季節》からこの造語に改めたのは、彩夏の強い主張に加えこの作品に関わった人間の名前の文字が奇しくも作品内容に合っていたから。投稿作者名はもちろん、俺と彩夏しか知らない合同ペンネーム《からっかす》。

 投稿媒体を紙にするか、それともネットにするかで正直迷いがあったが、今後淘汰がより加速する紙よりニーズの増すネットに重きを置く出版業界の世情もあり、結局、俺では出来ない彩夏が居ることで可能なネット投稿にした。普段まったく使用していない彩夏個人の所有物であるパソコンで、因縁の《神筆大賞》特設サイトにアクセスしたのである。

 投稿の瞬間をしっかりと見ておきたくもあったけれど、やはりネットに繋いだ画面を注視すると吐きそうになってしまった。別に、誰に見られている訳でもないのに。会社員時代のように拒否反応で気分が悪くなりどうしようもなく、最終的に必要事項の入力諸々を彩夏に任せっきりにしてしまったのは申し訳ない限りだが――。

 それでも、これでやれることはすべて終わり、後は結果を待つだけ。

 彩夏と相談したのだが、元々俺がそうしていたように選考の経過状況はあえて調べないことにした。投稿者にとって一喜一憂の選考期間だが、作品が本当に評価されたならば連絡は向こうからくる。この言い分に彩夏は複雑な表情をしつつも納得してくれたのだが、もしかしたら俺の厄介な体質を気遣ってくれたのかもしれない。

 気遣わしさはもちろんあった。

 けど、俺達はひとりじゃない。一緒に過ごすことでそれらは幾分和らいだのだ。

 そうして俺達が描いた物語のように、春が過ぎ、夏を超え、秋を終えて――。


 やがて、その日はやってくる。

 俺、空龍成にとっての――最大にして最悪のターニングポイントが……。

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