第2話 最高傑作
「うげっ……苦い」
苦手と称していたブラックコーヒーを一口飲んだ白浬は、すぐにしかめっ面になった。舌を出して、うーと唸りながら、書類をてきぱきと片付けているベィトに助けを求める。
「ねーベィト……俺やっぱりブラックは嫌いだよ…」
「いい年した大人が情けない声出さないの」
だがベィトは白浬の方を振り向きもせず、そう突っぱねた。
その返事を聞いた白浬は、拗ねた表情をしてまたブラックコーヒーを口に含む。
「俺年とか分かんないし…」
「でも過ごしてきた月日ぐらいは分かるでしょ。それを数えたら、白浬は年だけでは立派な大人だよ」
「そうだけどさ…」
実年齢が不詳だからか、白浬は『大人』という単語にいまいち理解を得ていない。
周りがよく言う『大人なんだから』という言葉も一応は聞いているのだが、そのほとんどを軽く受け流してしまっている。受け流しているというよりも、彼自身が理解自体しようとしていないのかもしれないが。
大人か子供かも実際のところ分からない。子供である可能性はかなり低いだろうが、もしかするとあるかもしれない。そんな不安定な環境にいるからこそ、自分は完璧な『大人』ではないと、彼は思っているのかもしれない。
そんな白浬がブラックコーヒーと戦っていると、いきなり目の前に資料の束が差し出された。
「……何?これ」
突如差し出された資料の束に、白浬はキョトンとした顔をする。
資料を持っているのはもちろんベィトで、ベィトは少し呆れ顔をしながら口を開く。
「椚さんから。今日中に目を通しておいてって」
ベィトの口から『椚』という名が出た途端、白浬の顔は不機嫌そうに歪む。だが心底嫌だというような表情ではなく、まだ何処か冗談めいている。
白浬は溜め息を吐くと、椅子に深く凭れ掛かった。
「今日中なんて、椚くんも無茶言うなあ」
「無茶じゃないでしょ。いつも何にもしてないんだから、これだけの資料に目を通すなんて簡単なことのはずだよ」
白浬は暗に嫌だと示すがベィトは引き下がろうとはせず、白浬の机を資料でべしべしと叩く。
「何でそこまで仕事するの嫌がるかなー。この研究所の所長は引き受けたくせに」
「そりゃあ、研究させてもらえるしね。そこはNOとは言えないよ」
全く凝りていない白浬の言葉に、ベィトは溜め息を吐く。そんなベィトの様子を見ても、白浬は素知らぬ顔で言葉を紡いだ。
「それにあの政府様からのお達しだよ?断ったらスラムに飛ばされちゃうよ」
「もういっそスラムに飛ばされた方が良かったんじゃない…」
「………ベィトさん、たまにかなり酷いこと言うよね…」
――スラム。
一般には、都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことであり、都市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられないなど荒廃状態にある状況を指す。
だがこの世界は、そんな一般常識で成り立っていないことはもうご理解頂けただろう。
この世界での『スラム』とは、政府や貴族が邪魔だと思ったり、この世界が出来た時『この世界』に相応しいかどうかを判断する適性テストに受からなかった者が、流される場所。
そこは、この科学が発達しすぎ、街並みが綺麗に整備されたこの世界とは全く違う。廃れ、荒れ、カラスや虫が大量に発生する場所。きっとこの世界で生活する者が訪れると、吐き気を催すのではないかと思われる、そんな腐敗した街。それがスラムだ。
スラムにいる者は、基本三つに分類される。
先ほど言った流された人達。これがスラムの大半を占める。この人達は主に、貧民と呼ばれる。
そして貧民とは違い、自分達でこの世界を抜け出した者達もいて、その者達は反世界主義者と呼ばれる。この者達は、唯一世界に危険対象として認識されている。
最後に、神職者。科学の発達しすぎた世界では、宗教などもはや不要。政府だけが絶対なのだ。そのためスラムに流されたが、まだ神を信じる者も多数いる。その者達が反乱を起こさないため、神職者達だけはスラムに居ながら世界から大金を与えられているのだ。
このような者達が住まうのが、スラムという場所だ。
「でも仕事はしてくれないと困るよ。仕事しなかったら、それこそ政府に目付けられてスラムに流されちゃうよ?」
ベィトが心配そうに白浬を見るが、白浬はマグカップを持っていない方の手をひらひらと振る。
「大丈夫大丈夫。俺は流されたりしないよ」
「どこにそんな自信があるんだか…」
余裕の表情の白浬を見て、ベィトはさらに溜め息を吐く。
仕事をロクにしない人間が、よくもまあこんなに余裕でいられるものだ…
だがその呟きに、珍しく白浬が返答をした。
「だって、俺は最高のドールの開発者だからね」
「…………」
笑顔で発せられた返答を聞いて、ベィトは固まる。だが固まったのは一瞬で、すぐに白浬をちらりと見やった。その顔には、先程までの不安を湛えた色はなかった。
「……ふーん…」
「君のことだよ、ベィト」
一方白浬は相変わらずの笑みで、コーヒーを口に含んだ。やはり苦手なのか、時折顔をしかめながら唸り声を出していた。
ベィトはそんな白浬を見、はあと息を吐く。
「まあ確かに、僕は他のドールとは違うなって、いつも思うけどね」
白浬が生み出した『仕われる』人造人間・ドール。
ベィトはその最初の一体目であるが、ベィトが造られてからもう五年は経っている。ベィト以外のドールがその辺にごろごろしていたって、おかしくはない。
「そりゃあねえ。ドール同士の感知システム付けちゃったし、余計にかもね」
「ほんと、ありがた迷惑だよね」
「そんなあ」
ベィトの言葉が冗談だということは分かっている。だから白浬も、冗談めかした口調で返す。
ドール同士の感知システムというものは、実はドールにとってはかなり便利なものなのだ。
自分以外のドールが感知範囲の圏内に入ると、知らせてくれるようになっているのだ。知らせてくれると言っても警報の様なものではなく、人間でいう直感みたいなものだ。だが人間の直感ほど曖昧ではなく、きちんと正しい情報に基づいてその反応が下される。
だがこれはただ相手のドールの反応に気付くだけのものではなく、ある程度の距離になると相手の識別番号と名前が分かるようになっている。
それでベィトは分かってしまうのだ。自分が他のドールとは違うということが。自分が特別なのだということが。
先程白浬が述べたように、ベィトだけがドールの最高傑作。量産できない、至高のドール。そして今のところ、そのベィトと同じようなドールが生まれたという報告はなされていない。
つまり、ベィトだけが他と違うということが、自分より遅い識別番号を見た瞬間に分かってしまうのだ。
「君は俺の最高傑作なんだよ。この世に一つしかない、俺だけのドール」
恍惚な笑みを浮かべた白浬がそう言うと、ベィトも呆れたように破顔する。
「知ってるよ」
そして白浬に近付くと、その頬を愛おしそうに撫でる。白浬はピクリとも反応せず、大人しく撫でられていた。
だがしばらくすると、白浬はゆっくりと口を開いた。
「君だけが、ドールの中で唯一、感情を持っているんだからね」
まるで愛の告白のような口調で述べられたその言葉に、ベィトは心底嬉しそうに微笑んだ。