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8.闘技

 続いての講義である念剣闘技は、カイ老師が所用で外出し、舎生のみでの自主稽古となった。エイキはどうやら公用に出たらしく、珍しくリュウトも欠席している。

 先の講義での退席劇が響いているのか、誰もがジンには話しかけ辛そうだ。

 仕方なく、ジンは一人で竹で作られた模擬刀の素振りを繰り返した。もともと闘技は得意ではなく、試合形式の稽古は嫌いだったから、相手がいなくてもかまわないと言えばかまわない。それも舎生たちのさまざまな思惑を含んだ視線に晒されていなければの話だが。

 道場の中央に陣取っているのはイッキ。十六貴護東家の直系の跡取りであるだけでなく、成績もそこそこ優秀で、念剣の腕も演舞闘技ともにエイキに次ぐ実力者だ。

「トォッ、ハッ、ヤァーッ」

 響き渡るような気合をかけながら、取り巻きを次々に打ち据えては、

「御前試演前にたるんでるのか。本気でやれ、本気でっ」

 と気炎を上げている。

 と、その視線が道場の隅で黙々と素振りしているジンに向かった。

「おい、ジン。相手がいないのか。だったら俺が稽古をつけてやろう」

 ジンは唇を噛んだ。恐れていた事態になりつつある。

「いえ、お相手できるほどの腕ではございませんし」

 できるだけ丁寧な口調で頭を下げる。イッキは日頃から、エイキに敵わない苛立ちを、ジンにぶつけてくる傾向がある。エイキには及ばぬまでも修錬舎の二番手なのだから、エイキさえ一目おいてやれば、朱家にも認められた、と彼の自尊心も満足できただろう。ところがエイキは、当初は媚びるように近づいてきた若き護東家の貴族を、全く相手にしなかった。そのくせ今年から修錬舎に入ったジンには何かと世話を焼き、かまう風を隠さない。イッキが「平民のくせに生意気」と、ジンを眼の敵にするのも無理はなかった。

「おい、くだらない謙遜をするな。あれだけの演舞だ、闘技もずいぶんと上達しただろう。ほほう、そうか。それとも御前試演まで俺に腕を隠して置こうという魂胆か」

「そんなことは決して」

「だったら、さっさとしろ、重盛仁」

 周囲がびくりとした。身分が明らかになる姓名は、公式の書類に署名するとき以外には普通は用いない。姓名で呼ぶことは、上から下に対してでも失礼とされている。

 が、ジンは今更、イッキの侮蔑的な態度に腹を立てる気にはならなかった。エイキの身分差を無理に無視しようとするような振る舞いに比べれば、いっそ分かりやすいぐらいの身分意識である。ただ、もうこれ以上はどのみち断りきれそうにないと判断して、縄で編んだ防具を身につけ、道場の中央に進み出た。闘技の試合稽古では、頭部と上半身を守るための防具を一応はつける。縄で編んだだけのそれでは、模擬刀の強い衝撃を十分に防いでくれるとは言い難いが。

「よし、ジン、いくぞ」

 イッキはいきなり、

「トォッ」

 と、右上段から斬り下ろしてくる。その気合だけでジンは気押されてしまう。なんとか左をすり合わせつつ、ジンは防御に専念した。打ち込まずに合わせるだけなら、ある程度は耐えられる。左右からの果断な連続技に上腕や肩に何度か模擬刀が当たったが、まともに打ち込まれることだけは辛うじて防いだ。

「なんだなんだ、おいおい、打ち込んで来い。稽古にならんだろう。おまえは亀か」

 苛立ち混じりの声を挙げながら、イッキは容赦なく攻め立てる。ジンはそれを暴風に耐えるように防ぐ。刃をすり合わせるように接近して、イッキは囁きかけてきた。

「ジン、流罪人の子は使う念剣も卑しいな」

 ジンは強く押し返して間合いを離し、イッキを睨んだ。あからさまな挑発だった。それが分かる程度に冷静だったし、腹の底からの怒りも感じなかった。が、受け流すこともできない侮辱だった。母への侮辱は人として受け流していいものではないから。

「ハッ」

 ジンは初めて気合らしきものを漏らしながら、左から面上を襲うと見せて、飛び込みながら右手を薙いだ。イッキの左手首に痛撃が確かに決まった。

「やった」

 周囲からも思わず声が漏れ、ジンは振り向きながら残心を取る。が、イッキは、

「浅いっ」

 と怒鳴りざま、右で喉元近くを突き上げた。勝負あったと力を抜きかけていたジンは、なんとか首を傾けてよろめくように身を躱したが、その傾いた脳天をイッキの力任せの左が叩き潰した。衝撃で意識が霞み、ジンは膝をついた。

「小賢しい手を使いやがって。立て」

 イッキの怒声に、ジンはよろめきながら立ち上がり、なんとか二刀を構える。

「オラオラ、トォ、オラ、タァーッ」

 まだ朦朧としているジンは、次々に襲うイッキの撃ち込みを捌くことができない。胴を打たれ、肩を袈裟懸けに斬られ、上腕を打たれて模擬刀を取り落としたところで、思い切り右面を叩かれて倒れる。

「まだまだ、これからだぞ。立てっ。構えろ」

 イッキは許さない。ギラギラした獲物をいたぶる獣の目でジンを睨み、足を踏み鳴らして威嚇する。口元は笑っているようだ。立ち上がったジンの構えも揃わないうちに、今度は喉元を突き飛ばす。ジンは仰向けに倒れる。

「まだだ、まだまだ」

「よぉ、イッキ。調子が良さそうだな」

 やれやれ、今頃ご登場ですか、とその声をジンは腹立たしく聞きながらも、これ以上は打たれなくてすむことに安堵した。

「ジンの方はどうした。具合でも悪いのか」

 上から訊かれる。

「エイキ様、っ痛。誰のせいでこんな目に合ったと思うんです」

「様と言ったら張り倒す。ま、代わりにイッキが張り倒しておいてくれたようだがな」

 エイキはイッキに軽く顎をしゃくって、

「じゃ、ちょっと俺の相手もしてくれ」

 イッキは後ずさりした。

「いえ、私は稽古はもう十分に」

「おい、そんな寂しいことを言うな。俺も御前試演までに少しは腕を磨いておきたい。それとも護東は朱に含むところがあるのか」

 姓名でこそ呼ばないまでも、露骨な権威の押し付けだが、これは断れない。

「いえ、では防具を」

「俺はいらんよ。まだ肩が馴染んでいないからな。重い防具は邪魔だ」

 イッキの目が、また獲物を狙う獣の輝きを取り戻した。

「よろしいのですか。手加減など器用なことはできませんよ」

「遠慮なく来い」

 エイキは無雑作に構えた。イッキも構えを取るやすかさず、

「トォ」

 と、激しく打ち込んでいく。速攻を仕掛けるイッキの右からの斬り下げを、エイキは僅かに身体を開くだけで躱す。続く払いも一歩退くだけ。イッキが間合いを取ろうと下がると、ツツっとすり足で素早く前に進んで間合いを外させず、上段からの一撃も軽く身を退くだけで躱す。焦ったイッキは目を血走らせ、喉の奥から咆哮を上げて突っ込んだ。渾身の突きを身体をくるりと回してやり過ごすと、振り向こうとしたイッキの右脇を

「甘いぞ」

 ぴしりと打ち据える。

「参りました」

「まだ、いけるだろう」

 エイキは左の模擬刀をイッキの顔に突きつけるようにして言う。イッキはそれを撥ね上げるなり、気合とともに飛び込むが、今度は低く潜ったエイキの掬い上げで、再び右脇を打ち据えられ、痛みに模擬刀を取り落として膝をつく。

「もう一本」

 容赦なく厳しい声をかけるエイキに、

「もう、よろしいでしょう」

 と止めたのは、隅で仰向けになって休まされていたジンだった。

「ジン、これは稽古だ。余計な口出しをするな」

「いえ、これ以上の稽古は無駄でしょう、エイキ殿」

 穏やかに静止したのは、ソウマ。十六貴礼上家の次男だ。

「なんだソウマ。ジンの時はもっと荒っぽい稽古だったようだぞ」

「ええ。あの時はジン君の闘技が一皮剥けるような気がして、私も止める潮時を間違えました。が、今はこれ以上しても、エイキ殿にもイッキ殿にも得るものが無さそうです」

 エイキはつまらそうな顔で、

「それもそうか」

 と呟いて構えを解き、

「ジンも少しは自分の甘さが分かっただろう」

 と付け足す。稽古の最初から見ていたな、と思うが、エイキもそれ以上はジンを責め立てるつもりは無さそうだった、

「お、おーい、ジン、大丈夫かぁ」

 ほっとして横になったジンの傍に、コータがやってきてしゃがみこんだ。

「あぁ、これはずいぶん腫れたなぁ」

「ん、ありがとう」

 ジンは、普段はあまり口をきき合うことのないコータが、こんな時に近寄ってくれたことが、少し意外だった。

「これを塗ってみるか」

 コータは懐から小さな広口瓶を取り出した。

「いいのか。あとで、目をつけられるぞ」

 ジンは、こちらを睨んでいるイッキと取り巻きたちに視線をやって言った。

「いいんだよ。あの人たちは僕なんか眼中にないからね。それにこれは実験だし」

 怪訝そうな顔をしてたジンは、すぐに顔色を変えた。

「なんだ、この臭い」

「僕が調合した。腫れを抑えて痛みを麻痺させるはずなんだけど」

「はずって」

「だから、実験。大丈夫、塗って死ぬような毒は入ってないから」

「そんな、やめろ、おい」

 慌てて逃げようとするが、身体が傷んで疲れきっているところに、肥満気味のコータの体重で押さえ込まれて逃げられない。

「傷もあるから、ちょっと沁みるよ」

「いっ、痛い、痛い、うわっ、やめて」

 暴れようとするジンにおかまいなしに、コータは傷口に油薬を塗りつける。

「ここと、ここも」

 痛みと痺れでジンの意識が霞んでいく。

「じゃ、あとで、効き目を教えてね」

 コータはぐったりして動かなくなったジンを置き去りにして、のそのそと戻っていった。



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