5.四宮の理
晩秋にしては暖かな陽射しが机上に揺れている。
木の影が細かに震えて、それでなくても眠い目を惑わすようだ。
「そもそも四宮八聖十六貴は、陽太皇国起源より定められておる」
政体原理の講師であるジュンサイ先生の、柔らかい深みを帯びたよく響く声は、頭の中をふわふわと揺さぶって、より心地よい夢の世界へと導こうとする。
義学の政体原理は、四宮八聖制度の根本となる神話から治世の仕組みに至る道筋を学ぶ。ただでさえ古臭くて、ジンの知りたい現在の治世の仕組みからはほど遠い上に、年一回の大試問を間近に控えてのおさらいは、寝不足の身には子守唄にしか聞こえない。
「天上より降り立った陽大神は、国を造るにあたって四色の神々を伴われていた。それが朱神、蒼神、碧神、白神。朱神は火を司り、蒼神は水を、碧神は息吹を司った。白神はこれらの神々とは違い、自ら司る力は無く力を打ち消す神であった。地には様々な誤った力が渦巻いておったし、先の三神の力はあまりに大いなるため、その力が時に破壊に傾くこともあった。白神の力はそれらの誤った力を無いものにすることができた。陽大神は空にあって恵みの力を注ぎ、四色の神々は各々の力を奮って国造りを進められていたが、その頃の地はまだ穢れに満ち、天神の住まう所ではなかった。そこで四神は高い柱を立てて地を隔て、その上に自らの休み処である宮を造った。これが四宮の呼び名の起こりである」
ここまでなら、太皇国の者なら子供でも朧気には知っている。国中の至るところに四宮の祭柱があり、その由来として札が掲げられているからだ。それでも初めてこの講義を受けた時は、ジンも新鮮な驚きで身体が震えるような気がしたものだ。祭柱の札も祭礼の時の祭詞も、意味ありげで不可思議な修飾用語や暗喩で断片ばかりが語られ、このように平明に整理されて語られることはなかったからだ。
「さて、四宮の神気に地が呼応して、様々な地霊が生まれた。それらは善きもの悪しきものが入り乱れていたが、その中から四神は八霊を選んで聖め名を授け、地神とした。これが八聖である。すなわち、朱神の下に勇と義、蒼神の下に智と護、碧神の下に栄と交、白神の下に礼と遊が従い、四神の国造りを援けると共に、地の民を育てる役割を担った。さらに八聖は四神に願い出て、八聖を援けるものを地の民から選ぶ許しを得た。これらは八聖の神気を吹き込まれるとは言え、もとは地の民である。陽大神と四神が造りたもうた天意の秩序を乱すおそれがある。そこで八聖の補佐は二人と定めて、秩序均衡を守るため相対する名をもって互いを縛り、補い合うものとした。これが左・右・高・低・長・短・東・西・南・北・軽・重・上・下・深・浅の十六貴である」
平明であるということは、実は神話の面白さが脱色されているということでもある。神代の昔の話を、奇跡も冒険も戦いも無しに、整然と事実として語られても、神ならぬ身には実感がない。
「国造りが終わると、四神は天上に帰ることとなり、八聖も神として天上に上がることが許された。そこで四神八聖は、地の民とは別に、新たな人形に神気を吹き込むことによって、自らの跡を造られ、宮の主とした。ただ、陽大神のみは神気ではなく御自身の命を吹き込まれて、地上に留まられることとした。身体は地上の人と同じく齢を重ねて朽ち果てるが、その身体が滅する時には、神としての命が新たに定められた御子に宿る。陽太皇が始祖であり、尚、今も陽太皇であられるのは、その故である。こうして陽太皇と四宮八聖の跡は、造られた国、陽太皇国を永く統べることとなった。この時には二十八の皇国はまだなく、国の全てを陽太皇御自らが治められていた。御親政による四宮八聖体制である。しかし民が増えるにつれて、人の身に宿られた陽太皇には、国を治める仕事があまりに重いものとなられた。また四宮八聖の跡も人としての命を受けたため、次第に子孫が増えて、我こそが正当なる四宮八聖の跡なりと名乗り争うようになって、国は大いに乱れた」
それはいつの頃だろう、とジンは思う。が、それを問うことは二重に禁じられている。
ジュンサイというこの講師は、政体原理の初回講義で、その柔らかな声のまま驚くべき
宣言をしたのだ。
一つ、この講義中には一切の問いは許されない。
一つ、講義内容を書き留めてはならない。
一つ、語られる内容の時代年代を推し量ってはならない。
「なぜ、そんなこと…」
と思わず声を上げた一人の舎生にジュンサイは柔和な笑顔のまま近づいて、いきなりその頬を拳で殴り飛ばした。口の中が切れて血を噴き、しばらくは姿勢を正すこともできないほどの容赦ない一撃だった。そして、
「哀れで愚かな犠牲者のために、一言だけ応えよう。国体への不敬を憚るからである。この学を進めることができるものは、皇主御筆の認可状を持った数名に限られている。諸君らは私の講義を聞き、正確に覚え、胸の中にだけ留めることが許されている」
と、相変わらず柔らかな声音で言った。
けれどもその声に、選ばれた者であることへの驕りと、弱者に君臨する喜び、暴力を奮う快感が滲んでいるのを、ジンは聞き逃さなかった。ジンはジュンサイを心底嫌悪したが、同時に、決して逆らったり目をつけられたりしてはならない、とその時肝に銘じたのだ。
「国の乱れが余りに大きくなり、地は疲弊し、夥しい血が流れるに至って、陽太皇は天上の四神を呼び集めた。四神は四宮八聖による統治の在り方の正しさを改めて説き、その上で陽太皇に国分けを勧めた。分けた国々の中で四宮八聖十六貴による統治を行い、列国の上に陽太皇が君臨する、という形式である。国の数は四宮八聖十六貴を合わせた二十八とし、陽太皇の血筋から二十八人を選んで、神なる陽太皇の神気を吹き込み皇主とした。四神は天眼をもって、混乱した四宮八聖の跡たち中から血筋と行いの正しい二十八組を探し出して皇主の下に置いた。二十八国には四宮八聖十六貴に因んだ国名が冠された。但し、四宮八聖十六貴は、天神、地神、地の民、と明らかな出自の違いがあるが、二十八国にはそのような差異はない。国の大小はあれども格は変わらない。そこで四宮八聖に因みつつも、音だけ同じで字は違えることによって、国の間に差異が持ち込まれることを防いだ」
これはほぼ現在の陽太皇国のあり方、輪郭を示している。しかし一方では、既にこの原理に反していることも多い。例えば四宮八聖に当たる十二ヶ国と十六貴の国々は、国力だけでなく発言力にも大きな差異が生じている。現に四宮八聖皇主会議という制度が、大皇国の事実上の決定機関になっており、全ての国の皇主がそろう二十八皇主会議は、定例の儀式と化している。また陽大皇国の連邦行政機関である列皇国大政局の長は大陰と呼ばれ、絶大な権力を握ることになるが、これは四宮国皇族からしか選ばれないのが通例になっている。もちろん、この矛盾を問い質すことなど、絶対にあり得ないのだが。
ジュンサイの講義は更に八聖が具体的にどのような行政区分として組み合わされるに至ったのかを、故事から説き明かしていく。が、その声はジンの耳から頭に響くだけで、意味を残すことなく素通りしていくようだった。ただでさえ眠くなる午後一番の時間に、この講義を持ってきているジュンサイの意図は明白だった。睡魔に負けたものを容赦なく鞭で打ち、屋外に叩き出すためだ。今までに十三名の舎生がその罠に陥ちている。
「ジン、その範囲は何だ」
ジュンサイの声に、眠気が吹っ飛び、背筋にどっと汗が流れた。立ち上がりながら、通り抜けていった言葉を呼び戻そうと焦る。横のリュウトの口が縦に動いているのが見える。
「 こ、ご、護の範囲は国防、治安、防犯、…救命、築城、…収税、です」
「宜しい。座れ」
幸い眠り込んではいなかったので、何とか言葉を手繰り寄せることができたようだ。リュウトの口の動きにも助けられた。しかし、ジュンサイの不満足そうな一瞥は、獲物を仕留め損なった狩人のようだ。これで目をつけられてはたまらない。だから政体原理の前日に睡眠不足は御法度だったのに。




