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4.来客

 4.来客

 ジンは小走りに暗くなった家路を急いだ。

 エイキに引き止められたおかげで、いつもよりかなり帰りが遅くなってしまった。

 裏通りの勝手口を開けると、すかさず店の者が、

「ジンお坊ちゃん、お帰りなさいまし」

 と声をかけ、足を拭う布と手桶を持ってきた。

「タイ兄、ただいま。おやじはどうしてる」

 足を拭いながらジンは尋ねる。

「お客様です」

「またかぁ。今日は何か適当なものあるかな」

「軍鶏をつぶしております。あと、ユウカ様がいらっしゃって、茸とアケビを手土産に」

「いいぞ。軍鶏は鍋仕立て、茸は蒸し焼きにしよう。じゃ、ショウに手伝いに来させて」

 体の弱かった母親が、流行り風邪をこじらせて九歳の時に逝ってから、台所はジンの領分となっていた。もちろん、ジンの家である重盛屋は、家事を見る女中を雇うぐらいの余裕はあったのだが、どういうわけか雇った三人が立て続けに、酷い料理下手だった。母親の料理が旨かった分、ジンには、味が濃すぎたり煮崩れたりした物を食べさせられるのが耐えられなかったし、客人の多い父親も困り果てた。毎度毎度、料理屋から仕出しを頼むのではたまらないからだ。結局、より切実に美味を求めた息子が、父子の共通の課題解決に自ら乗り出すことになった。ジンの料理は母親譲りで勘所が良かったし、毎日の食事にあれこれ工夫するのも楽しかったから、すぐに重盛屋ではどんな客人が来る時でも、ジンの手料理でもてなすのが当たり前になった。修錬舎に通うようになった今でも、下ごしらえや準備は店の者に手伝わせながらも、最後の仕上げはジンがするものと決まっている。

 大雑把に分けられた軍鶏を丁寧に切り分け、モツをよく洗って湯通しする。甕の中に作り置いておいた自慢のタレと出汁を合わせて割り下を作る。ショウには葱や芹を刻ませる。茸は汚れを拭き取ってから蒸し焼きにする。酢橘の絞り汁と醤油を合わせて小皿に注ぐ。

「あいかわらず、見事な手際ねぇ」

 と、感嘆する声に、

「あぁ、ユウカ、まだいたんだ。茸、ありがと。ユウカも食べていくか」

 と応えて、ジンが誘った。

「うーん、そうしたいけどもう帰るとこ。なんか、テツが話があるって」

「だったら仕方ないな」

 テツはジンもよく知っているユウカの許婚で、深草流の笛と琴の名手だ。浅流舞踊を修めるユウカとテツとジンの三人は、子供の頃は一緒に野山を駆け回って遊んだ幼馴染みの間柄だった。ユウカはいまだにその幼馴染みらしい気安さで接してくるのだが、ジンの方は、そろそろ許婚のいる女性との接し方は一線を引くべきか、と思い始めている。もっとも、肝心のユウカとテツはお互いに、許婚など親の勝手で夫婦になる気などさらさらない、と言うのだが。いくらユウカが気の強い、少々型破りにでも自分を通す性格だと言っても、誓詞を交わした許婚の関係を、それほど簡単に反故にできはしまい。

「もう遅いし暗いな。ショウに送らせようか。なんか物騒みたいだぞ、最近」

 念剣が使える人間は例外なく夜目が効く。ユウカも念剣は使えるので夜道は不自由ではないが、リュウトの話を聞くと、何か物騒な気がしてしまう。

「大丈夫よ。それにいざとなれば、ジン直伝の念剣でっ」

 と、ユウカは竹筒を持った右手を鮮やかに薙いでみせた。

「なんだユウカ、まだ、そんな竹筒(たけづつ)持ち歩いてるのか。それにその男物の服も、十五にもなった娘が出歩くときに着るもんじゃないぞ」

「そんなとは何よ。ジンが作ってくれた(ねん)(とう)だから大事にしてるんでしょ。ちゃんと護身にもなるし。それからこの服は踊りの稽古着。私は男役が専門だから、普段からこの服で動くのもれっきとした修行の一環なのよ」

 茶を帯びた大きな瞳を見開いて、むきになって言い返す表情や口調は、本当に昔と変わらない。ただ、動きやすく短く切った袴からすんなり伸びる足や、細身ながらも柔らかい曲線を描く身体、豊かな腰周りは、もう子供のものではない。

「じゃ、あたし帰るから。ジンって本当に石頭」

 ユウカは身を翻して、走るように勝手口から出て行った。ジンは思わずその軽やかな身のこなしと、薄闇に踊る白いふくらはぎを目で追ってしまった。気づいてあわてて目を逸らし、頭を振って、料理に専念しようとすると、

「ユウカ様、きれいになられましたよね」

 ショウが無邪気に言ってくれる。

「さあね。ガキの頃から見てると、よく分からないよ。おいおい、その葱はそんなに短く切っちゃだめだ。それから十文字に切り込みを入れるのを忘れるなよ。そうじゃない、よこせよ」

 ジンは忙しく手足を動かして、頭からユウカの姿を追い払った。

 出来上がった料理と酒は、タイと一緒に二階に運ぶ。

「おう、飯が来た、飯が来た」

 父親が無邪気に高い声を上げた。後ろに番頭のゴンが控えていて、ご苦労様ですという顔で頭を下げる。ジンは大柄な赤銅色の肌の客人の前に手をついて辞儀をした。

「有り合わせでお口に合いますか分かりませんが、どうぞごゆっくりとお寛ぎ下さい」

「ハハ、こいつの料理は母親譲りでしてな。まぁ、そこそこいけます。さ、とにかくまずは一献。いや、どっちが先とか堅苦しいことは無しの無礼講ですぞ」

「カン殿のご子息ですか」

 客人は父親から酒盃を受けながら、ジンの顔を見て言った。

「私は船乗りのダイセンと申します。本日は突然にお邪魔した上、このようなご馳走まで頂戴して、誠に恐縮です」

「ジン、ダイセン殿はなぁ、御自分の船で外洋に出て、北方で交易をなさるのだ。我々のような小商いと違って豪儀なものではないか。今宵は楽しい話をたっぷり聞かせてもらわねばなりません。もちろん儲け話も、ですな」

「いえ、私共はカン殿ほど学識がありません。こうして話を聞いていただいて、ご意見を頂けるからこそ、何が儲けになるのか、何が取り締まりに引っかかるのかも分かるわけで。お父様には本当にお世話になっているのです」

「ま、と言っていただけるなら、持ちつ持たれつということにしておきましょう」

 とカンは笑う。

 ジンはもう一度手をついて丁寧に辞儀をしてから引き下がった。

 台所に舞い戻ると、取り分けておいた割り下の味を濃くして軍鶏の胸肉にさっと火を通し、葱を入れて、少し贅沢に溶き卵を流し込み、火から鍋を外す。これを丼飯の上にかけたものと、茸と豆腐の味噌汁、漬物が、ジンと店の者の夕餉だ。

「では、皆の今日の働きと天地の恵みに感謝し、陽太皇の御世を祝して、いただきます」

 ジンが家長の代理として発し、一同が礼をして食事が始まる。手代として店の切り盛りを任せられているサク、タイ、ショウ、家の雑用を手伝うまだ九歳のアイが、共に膳を囲む。カンに客がない時は、カンとゴンもこれに加わる。

 店の主や跡取りが、使用人と食卓を共にするのは珍しい方だろう。店を持たない使用人たちは姓を持たないために「頭無し」と蔑まれ、食も共にしないのが普通だ。職人と徒弟や船持ちと漁夫など、農民以外のどの職種でもそれは同じである。しかしジンは幼い頃からこの食卓に馴染んでいたため、むしろ使用人と別々の食事を摂る方が違和感があった。 

 食事だけではない。子供の頃からの住み込みのタイやショウとは、幼馴染と同じように遊び、仕事を仕込まれてきた。タイやショウはもちろん、ゴンやサクも、ジンがどんな我儘を言おうが無理難題を押し付けようが、拒むことはできない立場だったが、父も、そして亡くなった母も、決してそのようなことは許さなかった。

 特に父のカンは、普段は陽気で明るく酒と客が何より好きで、笑顔が地顔に思えるほど笑みを絶やさず人に怒気を見せることなど滅多にない人柄だったが、ジンが人を見下す物言いや態度をとった時だけは、ひどく厳しかった。「それは卑怯」とカンは幼い頃からジンに言った。「卑怯」が、父の中では最も忌むべき振舞いを意味しているらしいことは、幼いジンにも感じ取ることができた。言葉の意味がもう少し分かる頃には、それを「卑怯」とする父の考え方にも納得し、自分でも無意識にも卑怯になるまいと心がけた。

 それでも身分の差は歴然としてあり、年齢が上がると共により明確になっていくのは避けられない。いくらジンが二つ年上のタイを「タイ兄」と親しみを込めて呼ぼうと、タイの方は「ジンお坊ちゃま」とか「ジン様」としか応えてくれない。それはひどく寂しいことだった。

 だからこそジンは、家業を継いで大きくすることが、自分の役割だと思い続けてきた。

 商いが大きくなり売上げが増えれば、暖簾分けを内政の栄局商務役に申し出ることができる。暖簾分けは兄弟など親類関係で行われることが多いが、使用人に暖簾を分けることも認められており、新たな店の主は姓を受けることができる。つまり、重盛屋支店主人であり、重を頭にした二字姓の持ち主として、ジンやカンと対等な身分になれるわけだ。ゴンはもう年齢的に無理だし、サクはジンの店の番頭を継ぐことになろうが、タイには暖簾分けして店を持たせてやりたかった。やや愛想には欠けるが、誠実で商売の勘もいいタイは、立派に支店の主人が務まるだろう。そしてタイを兄と慕うショウをつけてやれば、ショウもタイの店を支える立派な番頭になるだろうし、少しそそっかしいが、人懐っこく客あしらいの上手いショウを、タイも粗末に扱うはずはない。

 但し暖簾分けが許されるには、かなりの大店であることが条件になる。ジンが商人の子弟の多くが通う産学舎ではなく、難関と言われる試問を突破してまで修錬舎に通ったのも、これまでの商いの延長だけではない、新たな利を掴む機会や関係を得るためだった。

 後片付けをユキに任せて、明日の受講の準備に悠国礼法書を読んでいると、二階から鼓の音と軽やかな拍子を刻む足音が響いてきた。カンが念剣の演舞を始めたのだ。鼓と合わせるこの演舞は、祝い事などで演じられることが多い。カンは悠国の外から来た客人には、たいていこの演舞を見せてもてなした。修錬舎で教えられるものに比べると武の臭いが薄く、より舞踊に近い。カンはカイ老師の後継者と言われるほどの念剣の達人であったと人から聞いたことがある。実際、かつては貴人の新年の祝いや婚礼の宴に招かれて演舞を披露することも度々あり、ジンも幼い頃は一緒に連れて行かれて、子供ながら前座を務めたりもした。今は、こうして客人のための余興にしか演舞をすることはなく、ジンもその場に呼ばれることはない。ジンが念剣の演舞を得意とするのも、幼い頃から父に仕込まれたせいだった。

 カイ老師は、鼓に合わせる演舞は邪道であると言う。そして残念そうに付け加える。カンも昔は武の本流の念剣使いであったのに、と。それでもジンは父の念剣、強い踏み込みや斬り下げをあまり使わず、二筋の光の渦を自在に軽やかに舞わせる念剣が好きだった。

 ジンは念筒を握り、二振りの念剣を興した。二本の光が凛と立つ。今日は特別な何かが起きたわけでもないのに、何かざわめいた、心の乱れる一日だった。念剣の輝きを見つめると、それが鎮まって、平常な心を取り戻せる気がする。しばらく見つめた後、光を筒に収め、礼法書の前に戻った。

 やがて、ゆっくりと優しく睡魔が誘い、ジンは机の前で眠りに落ちた。様子を見に来たタイが、綿入れを肩からかけてくれたことも気づかなかった。



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