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23.御前試演開始

 御前試演は、冬晴れの穏やかな陽射しの下に始まった。

 ジンは今、闘技に出る剣士のための天幕で、呼吸を整えている。既に一回戦を勝ち進み、本年の八聖を手にしていた。が、布で冷やしている右手首は赤く腫れ上がっている。

 演舞の出来は、自分でも満足のいくものだった。皇主成君をはじめ四宮八聖十六貴の当主がずらりと並ぶ前では、まだ若い舎生たちは緊張のあまり十分な演舞を披露できないことも多い。しかしジンは人前での演舞に幼い頃慣れ親しんでいたおかげで、平常心を保つことができた。「シンタ殿だ」とジンは客席から昨日の客を見つけ出す余裕さえあった。

 つまずきは、組演舞の最中に起きた。

 ジン以外は御前試演の経験者ばかりで構成された組演舞は、緊張の中でも度を失うことなく、積み重ねた稽古の成果を披露していった。演舞の最後は二人一組で水剣を激しく打ち合わせる。ジンはカイ老師と組み、激しい連打を無難にこなしていた。

 不意に老師の体勢が崩れかけた。とっさにジンは水剣を相手の鍔元に当てて擦り上げるようにしながら、相手の身体を支えた。予定にない無理な動作とカイの崩れる体勢を支える負荷に、手首が悲鳴を上げた。が、ジンはそれを無視して次の動きに移った。老師が立ち直って次の斬撃を繰り出していたからだ。撃ち込みを受け止める度に手首に激痛が走ったが、組演舞の終わりまでジンは耐え切った。

「すまぬ、ジン」

 演舞を終え、御前を引いた途端に、カイ老師が駆け寄った。

「情けない。こんな失態は初めてじゃ。腰が痺れて身体の自由が一瞬、効かなくなった」

「いえ、大事にならずに済んで良かったです」

 ジンは微笑を浮かべて答えたが、額から脂汗が流れ、手首はそこに心臓がついたように脈打っていた。

「これはいかん。この手首では闘技は無理だろう。申し訳ないことをした」

「いえ、闘技は出ますよ。ちょっと捻ったぐらいで休むわけにはいきません」

「しかし、これでは勝負になるまい」

「大丈夫です。カイ先生、念剣は実戦的な武なのでしょう。戦場で手首を捻ったからといって、敵が許してくれるわけない」

「そ、それはそうじゃが。いや、すまん。本当にすまん」

 どれほど優しく教えている時でも、達人の風格と武人の厳しさを滲ませて、修練舎生の背筋を伸ばさせるカイ老師が、泣かんばかりの顔で何度も頭を下げるので、かせってジンは冷静になった。

「こちらの未熟のせいもあります。頭を上げてください。それより、申しわけありませんが、コータを呼び出していただけませんか。あいつの薬があればきっと…」

 カイに呼ばれて、コータが駆けつけた。

「おやまぁ、ひどく捻ったね」

「痛みを止める薬はないかい」

「あるにはあるけど、工房まで取りに戻らないと。ちょっと強めに調合したいし」

「頼めるかな」

「もちろん。カイ先生のお許しがでるならね」

「コータ殿、頼む。ジンの痛みを少しでも和らげられるなら、是非やってもらいたい」

 コータはすぐに工房に向かったが、その間に念剣闘技の試合は始まってしまった。

 ジンは手首を布で縛って、試合に臨んだ。相手の撃ち込みはできるだけ受けたくない。ジンは打ち合いを避けて遠間に構え、飛び込んでくる打撃は左でいなして、再び間合いを取る。それを何度も繰り返し、苛立ってきた相手の癖と隙が一致した一瞬に、右の模擬刀が相手の左籠手をピシリと打った。瞬間の激痛で、思わず「ウウッ」と呻いてしまい、顔が歪む。どちらが勝者か分からない様子だ。手首への負担は最低限に抑えたが、長引いた勝負で体力の消耗は激しかった。

「ジン、遅くなった。こいつは効くぞ。と言っても思い切り撃ち込んだり、撃たれたりすれば、痛いのは止められないけどね」

 コータはジンの手首に湿布を巻いて、包帯で上から固定した。手首がじんじんと痺れるような熱いような激しい感覚に包まれ、それが徐々に薄らぐと同時に、痛みも穏やかに引いていった。

「ありがとう。うん、これで闘えそうだ」

 ジンは軽く模擬刀を振ってうなずいた。痛みはまだ走るが、なんとか耐えられると思った。

 次の対戦相手は昨年の次席、イッキだ。確かに実力者ではあるが、気合声の癖が直っていなければ確実に勝てる。

 イッキは威圧するような大きく荒々しい動きで両腕を振るって素振りすると、大股で進み出て先に開始線前で待ち構える。滑稽なほどの大袈裟な動作なのだが、闘志と自信を内側から発散しているので、おかしく見えない。それどころか気が烈風のように打ちつけてくるのを感じる。相対したジンに向けられた鋭い視線は、脳髄を突き通すようだ。

「礼、始めっ」

 の声と同時に、躍り上がるようにイッキが飛び出した。

「オリャッ」

 長剣が左大上段から襲ってくる。

(いつもの気合と違うッ)

 辛うじて右で受けると、すかさずハァッという気合と共に右から払われる。とっさに後ろに跳び下がり、右に弧を描きながら逃げる。イッキの顔に勝ち誇ったような笑みが走る。

 やはり癖は修正されていた。あるいは、と用心して構えていなければ、最初の一撃でやられていただろう。気合いと撃ち込みはほぼ同時なので、声の癖を覚えて技を読むということは、ほぼ反射的なものになるのだ。演舞の時はいつも通りの気合いであることを確かめていたのに。渾身の上段を受けた右手首は、また痛みを増している。

 ジンは必死で逃げながら隙を伺うが、イッキは疲れを知らぬかのような連続の撃ち込みで圧力をかけてくる。徐々に隅に追い詰められる。自ら場外に出れば一本と取られる。ジンは姿勢を低くして受け切る構えをとった。

「フンッ」

 イッキの身体ごと突っ込んでくるような激しい当たりで、構えが崩される。同時に脇腹に痛撃が走った。そのまま仰向けに転がる。

「場外」

 審判を務めるカイ老師の声が響く。助かった、とジンは息をつく。

「相変わらず、逃げてばかりの卑劣な剣だな」

 イッキが低い声で吐き捨てる。ジンは無言で起き上がり、開始線に戻る。

「始めッ」

 声と同時に、ジンの身体が放たれた矢のように突っ込んだ。喉元への突き。

「ケェーッ」

 怒りのこもった声と同時に払われる。体を入れ替えて振り向きざま、防御を無視した左上段からの振り下ろし。イッキはのけぞるようにしてかわす。ジンは崩れた体勢をそのまま預けるように間を詰める。イッキは右手一本で押し返し、会心の左を放とうとした瞬間、

 パァン、と痛む右手が痺れるような一撃が、イッキの左籠手を捉えていた。

 気合に隠れたもう一つの大きな癖。得意の左上段で決めようとするとき、僅かに踵で拍子をとるように踊らせる癖は直っていなかったのだ。ジンは左上段で決めたくなるような流れを作りながらも踵から目を離さず、一瞬の機会を捉えたのだった。

「一本」

 審判の声に、反射的に

「浅いッ」

 と鬼の形相で叫んだイッキは、我に返って、

「し、失礼しました」

 片膝をつき、深々と頭を下げた。

 試合で審判に逆らうことは決して許されない。まして御前で判定に不服を申し立てるなど、もっての他である。イッキの顔は蒼白になっていた。敗北に失態の上塗りで、先ほどまでの居丈高な態度は微塵も無い。

「勝負あり」

 老師は何事も無かったかのように、右手を上げて勝者ジンを指した。下がったイッキは項垂れてよろよろと控えに戻っていく。ジンはそれを見送りながら、大きく大きく息をついた。御前試演でなければ、そのまま大の字になって寝転がりたい。興奮が冷めてくると、手首の痛みが前にも増して耐え難い。が、まだもう一試合が残されている。天幕に戻ると、

「凄いぞ、凄いじゃないか、ジン。その傷で本当によく勝てたな。驚いた」

 コータは珍しく興奮しているようだったが。

「おい、痛むよ、これ」

 ジンが文句を言うと、

「当たり前だよ、あれだけ打ち合えば。僕の薬が無ければ今頃は失神してるよ」

 といつもの口調で言い返してきた。

「次はソウマ様だな」

「やはりソウマ様か」

 前日にソウマから言われていた。

「ジン君、至誠塾のために頑張ってくれるみたいだね。それについては心から感謝する。ただし、試合で当たることになれば手加減はしない。まさか神聖な御前試演で八百長を働くわけにはいかないからね。互いに全力を尽くし、純粋に武を競おう」

 それはいかにもソウマらしい言葉ではあったが、それだけに当たりたくない相手だった。もともと癖の少ないソウマは、エイキがみつけていた僅かな足運びの癖も、もうしっかり修正されている。あまり激しい打ち込みはないものの、整然と理に適った剣を使うソウマに、ジンは稽古で勝てたためしがない。

「一応、貼り替えておこう。少しはマシかもしれない」

 コータが右手首の湿布を新しいものに替えてくれる。商売がかかっているせいか、やけに甲斐甲斐しい。今回の勝負は、至誠塾にテツの旅、おまけにコータの商売と、実にいろいろなものが懸かっている。しかも全て金絡みだ。これではとうてい、純粋な武を競うとは言えない。しかし商人の子であるジンには、その方が相応しいかもしれない。

 立ち上がって目を閉じる。

 勝っても負けても、これが最後だ。いや、勝たなければならない。必ず勝つ。

 ジンは天幕を出て試合場に歩み出た。



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