22.大政局のシンタ
「いやいやいや、流石に汗をかく。飲んでからやるには少しきつい型だったな」
演舞を終えたカンがどさりと座り込んだ。
「驚きました。念剣と言うのは何とも洗練された優美なものですな」
と客が感慨深そうに頷きながら言った。
「まぁ、こればかりが念剣でもありませんがな。静かな念剣、華やかな念剣、激しい念剣、もちろん人殺しの技としての念剣もあるわけですが…」
カンは肩で息をしながらも機嫌よさそうに言って、ジンに向かって、
「どうだ。たまにはこういう念剣もいいだろう。これもまた念剣だ」
と笑った。ジンは何度も首を縦に振った。カンが念剣の達人であったということが、今更ながらによく分かった。
ここのところの稽古で、ジンの念剣は格段に剛く疾くなっていた。闘技の予選で自分の実力が着実に上がっている感触はあったし、合わせて演舞のキレも増していると思っていた。しかし、今、カンと動きを合わせていると、自分の念剣が硬くなっていたことに気づかされる。ジンの持ち味である自在で優美な動きが消え、鋭さだけが際立っていたのだ。剛いだけの剣は脆い。カンと呼吸を合わせることで、少しづつ硬さがほぐれ、念剣を大きく広くふるえるようになっていく心地よさを、ジンは味わっていた。速くなくとも大きな伸びやかな動きの中で、炎剣は存分に撓いながらも切れ味を失わず、水剣はあらゆる角度に踊ることができるのだ。
「ありがとうございました」
ジンは師匠に稽古をつけてもらった弟子のように、深々と頭を下げて礼をした。
「うん、うん。まぁ、俺がしてやれるのはこんなところだ。しかし、もう、おまえの速さにはついていけんよ。歳だなぁ」
カンは情けなさそうに腰をさすった。
「そうだ、ジン。紹介しておこう。この方は、陽都の大政局で義職の筆頭を務めておられるシンタ殿だ。これは不肖の息子でジン。悠国修錬舎に通わせてます」
「えっ、えええっ。あっ、あの大変な失礼を」
ジンはあわてて膝をつき、頭を床につける礼をしながら、体がこわばるのを感じた。大政局の八聖筆頭と言えば太皇国でも指折りの大変な高官だ。悠国の商人宅に一人で上がり込んでいるはずの人物ではない。何のためにこんな所に来ているのだろう。
「いやぁ、こっちは名乗ってもいなかったのだし、カン殿の酒席なら、無礼講に決まっています。ジン殿か。素晴らしい念剣でした。私は仕事で各国を巡り歩いていましてね。最近はどうも世の中が物騒で、護衛なしで歩くのもなかなかままならない。かといって、護衛隊を引き連れて歩いていては、国々の本当の様子が見えてこないし、何より私が窮屈だ。こうやって旧友と会って旨い酒を飲むなんてこともなかなかできない。君のような念剣の達人がついていてくれると、ありがたいのだけれどね」
「いえ、念剣は実戦には向きませんので」
「悠国では念剣の闘技も盛んで未だに武術として育てていることは聞き及んでいますよ。いや、今すぐ君を護衛に連れて行きはしない、安心してください」
「はぁ、いえ」
「それにしても、悠国は豊かで活気がある。北方の国とは天地ほどの差だ。もっとも貧しい中で生き延びるための必死さの中には、豊かさに甘えているものとは違う、堅実で芯の通った強さというものがありますがね」
「そうでしょうな」
とカンが受けて、全く気負いの無い口調のまま
「しかし、それが頑なさに変わらんように気をつけてやりませんとな。それに、度を越した貧しさの中で鍛えられたいと思っている人間なんぞ、何処の国にもいるはずはない、と言うことも忘れてはなりませんぞ」
「これは手厳しい」
シンタも笑顔で受けて、
「もちろん豊かさは罪ではないし、そこから才能も伸びる。悠国では確か、礼家の出でシセイという面白い若者がいましたな。学識も豊かで想像力もある。いくつか書いたものを拝見したが、なかなか感心させられた」
ジンは握り締めた手に汗が滲むのを感じた。
「しかし、才能のある若者をうまく包み導く大人の知恵というものも、時には必要だと、私は悠国の方々に言いたい。でないと折角の若い芽も摘み取られてしまう」
「シセイ先生、シセイ先生を捕らえるのですか」
思わずジンは声を発していた。
「ジン、なんだ、お客様に向かって。それに、シセイとかいう学者を知っておるのか。まさかおまえ、近頃噂の至誠塾なんぞという、物騒なところに出入りしているのではないだろうな」
カンはたしなめたが、その声はどちらかというと面白がっているようだった。
「出入りはしていません。教えも受けていません。人に頼まれて使いをしただけです。でもシセイ先生にはお会いしました。立派な方だと思いました。何より優しい方です。貧しい子供たちに学問を教えています。大罪を犯すような危険な方とは思えませんでした」
「ジン殿。人物人柄が優れているからと言って、それが罪を犯さない保証にはなりません。その信念が間違った方向を向いていれば、罪を犯すこともある。あるいは、悲しいことだが、ある面では正しいことを言っていても、正しいことを為したつもりでも、今の政に合わないものであれば、罪とされる場合もありうる。それが政の難しいところなのだが」
「正しいことを罪とするなら、それを裁いた側が間違っているのではないですか」
「いや、必ずしもそうは言えません。正しいことは一つではないからです。たとえば学問の中で得られた真実が、今の国の根本を覆すとしたら、施政者にとってその真実は不正義でもある。国が覆れば多くの人が不幸になるからです」
「では、どうしてもシセイ先生を」
「安心しろ、ジン。シンタ殿はシセイ先生を捕らえにきたわけではないさ。そんなことをしに来て、重盛屋の門を平気で潜れるほど恥知らずな男ではないよ、このお人は」
カンが笑顔で言う。
「カン殿、そういう言い方が、若い人たちをいたずらに刺激すると言うのです。ジン殿。ちょっと意地の悪い言い方をしたが、私が義職筆頭にある限り、前途ある有望な若者を無闇に弾圧するような真似はさせません。シセイ殿にしても、注意すべき点はあるにせよ、罰するような対象とは考えていない。まず、その点は信じて欲しいのですよ」
シンタの真剣な顔に、ジンは居ずまいを正してから首を縦に振った。
「ただし大政局の中には、危険な芽は早く摘むべきだと言う声、国のたがを締め直すためにも厳罰主義で臨むべしという声が多くなってきているのも、また事実です。支局でもかなり各国に干渉する傾向が強くなっている。私は今は筆頭ですが、後ろ盾などは無いも同然、私を飛ばすことなどたやすい。そう簡単に飛ぶつもりはありませんが。ですから、今のうちにそのような大勢を理解し自重してもらいたい、貴重な識見と能力をこの先に生かすために考えて行動して欲しい。そのために、こうして動き回っているつもりです」
おそらくそのような行為そのものが、シンタを要職から外す口実に繋がるだろうことを、彼は十分に承知していた。ジンもそれを理解した。
「子供の分際で出過ぎた口をききました。申し訳ありません」
ジンが頭を床につけて謝るのを、シンタは手を取って止めた。
「おやめなさい。あなたは子供ではない。あなたは若いが、既に自覚をもって動ける一人前の人間です。それに、今日のあなたの言葉に過ちはありませんよ。失礼もない。意見が違うことを失礼だと思うようになれば、私もおしまいです」
カンは、まだ面白がっているような顔で、
「いやいや、すぐに謝ってしまうあたりが、まだまだ子供ということだ。さぁジン、俺はシンタ殿ともう少し寛いだ、酒の旨くなる話がしたい。おまえはもう下がっていなさい」
とやりとりを打ち切った。ジンが一礼をして襖を閉めた途端に、カンの高い笑い声が響いてきた。どうもあのとぼけた父親の掌の上で踊らされっぱなしのようで、それが口惜しくもあり、嬉しくもあった。
おそらくシンタという官僚とカンは、かなり昔からの知人なのだ。そしてその過去には、一度も話には出てこなかったが、母親も関係しているだろう。シンタのジンを見る目に、誰かの面影を探るような視線があることに、ジンは気づいていた。だからと言って、過去の話をシンタに聞いてみるつもりはない。知るべき時には父が教えてくれる。それを改めて確信できた気がした。
ジンは庭に出て、また模擬刀を振った。様々な思いを鎮めるために、あるいは刻み込むために、一晩でも素振りをしつづけたいと思った。
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