2.エイキの誘い
「それにしても」
エイキはフンっと腹筋の力で上体を起こすと、ジンを見て笑いかけた。
「ジン、おまえの演舞は本当に見事だ。御前試演では二連覇を狙ってたんだがな」
「そんな。御前試演は演舞だけじゃなくて、闘技の試合もありますから」
念剣には、真の念剣で型を演じる演舞と、二本の模擬刀を使って打ち合い剣技を競う闘技がある。模擬刀は炎剣がわりのしなう長刀と、水剣にあたる短めの直刀を使う。但しこの二刀剣法は実戦にはあまり向かず、一本の刀剣を使う通常の剣法闘技のほうがはるかに実用的だ。二刀を使う念剣闘技は、念剣を型だけの儀礼的ものとはせず、辛うじて武術として成立させるためのもの、と考えられていた。
「まぁな。総合はたぶん俺だ。去年は両方完全制覇だったんだがな。だがおまえも闘技で二席に入れば、演舞の方が評点は高いぞ」
第一席は自分という前提で話している。この自信が過信でないところが凄い。
「二席なんて、とんでもない。せいぜい頑張っても八聖に入るのが関の山でしょう」
ジンの闘技の成績は、中の上あたりである。
「そりゃ、おまえが本気で闘技をやってないからだ。あれだけの演舞ができて、闘技がそこそこなんてあり得ん」
「エイキ様のような天才には分からないんですよ」
「何回か言ったことだが」
エイキは立ち上がって、厳しい視線で見下ろした。
「エイキ様はやめろ。修錬舎の舎生は四宮八聖の身分を問わない。それが俺が修錬舎で学ぶことに決めた最大の理由だ。次に様づけで呼んだら、容赦なく張り倒すぞ」
「仰ることは分かってますけどね」
ジンはぼそぼそと言い訳する。
「他の方々からの風当たりは全部、こっちにくるんですから。それなら、他の方にも様づけで呼ばせないようにして頂かないと」
「馬鹿のことなど気にする必要はない。おまえは俺が認めた存在なんだ。朱家の総領ではなく、朱英騎という男がな。周りが気になるなら、二人で話すときだけでも、様は外せ」
「はい」
ジンはうなずくしかない。
「それから、闘技に関して言えば、念剣でも剣法でも俺は決して天才じゃないぞ。天賦の才だけなら、舎生の中にも俺より上の奴はいくらもいる。太刀筋を見極める目、反射的な身のこなし、意のままに太刀を操る力。そういうものはある程度は持って生まれたものだ。そういう点では、ジン、間違いなくおまえのほうが上だろうよ」
「でも、エイキ様、じゃなくエイキさんは、道場内の模擬闘でも、昨年の御前試演でも無敗じゃないですか」
「だから、それこそ修錬というやつだろうが。俺は朝は念剣、就眠前は長剣を五百本は振る。欠かさず毎日だ。後は観察だな。馬鹿どもは、いつも稽古の最中に無警戒に癖を曝け出して、しかも自分の癖に気づいてもいない。だから俺は、稽古のうちからできそうな奴の癖を見抜いておく。踏み込むときの足の動き、決めにくるときの肩の動き、攻められた時の返し技の選び方、あるいは撃ち込むときの表情。誰でも何かの癖を持っているもんだ。例えばおまえは、闘技では返し技での籠手斬りと胴払いを多用し、突きは滅多に使わない。踏み込みがやや浅い分、撃ち込みで僅かに上体が前に伸びる。しかもその直前に背筋が少し反る。ああいう無意味な動作は実に見分けやすい」
確かにジンにも覚えがある。
「おまえの場合はそれが演舞ではいっさい出ない、というのが奇妙なところだ。普通、闘技の癖は、演舞にも多少は影響しているもんだ。ところがおまえの演舞には、ほとんど癖らしいものが見当たらん。と言うことは、だ」
エイキはまた厳しい視線を向ける。
「おまえはまだ、撃ち込みをためらっている。それが闘技の癖に結びついているということだ。これではいくら演舞に習熟していても、闘技で上位に入れないのは当たり前だ」
「はい…」
「念剣は舞踏ではない。たとえ演舞でも、あくまで武の精神が貫かれている。それをあそこまで見事に再現できるのに、闘技で武の心構えができていない。それこそ天才だ」
「はぁ」
「才能が心構えの不足を補って、あそこまでの演舞をさせているということさ」
ジンはもう返事をする気にもなれず、ただ頭を下げた。
演舞の稽古なら人一倍やっているつもりだが、エイキの指摘も正しい。そもそもジンは、自分の性格は武には不向きと決めている上に、自分の思い描く将来にも関係がない、と考えていた。が、それを口に出して言えば、エイキに心得違いを責め立てられるのは、火を見るより明らかだ。
「なんだ、しょぼくれるな。別におまえに説教するために残らせたわけじゃない。おまえの演舞はすごかったと、つまりはそういうことだ」
「はぁ、はい」
これで「褒めたのだ、喜べ」と言われても無理があり過ぎる。
「で、これからが本当の用事だが、おまえ、至誠塾を知ってるか」
「んっ、あの、…そうですね、まぁ噂ていどには」
あまりにも唐突な話題に、ジンは少し詰まりながら答えた。
至誠塾は、修錬舎のような国の学校ではない。八聖の礼家を継ぎながら、危険思想の持ち主として蟄居の身に追いやられ、家督を弟に譲った礼至誠が開いている私塾だ。正確には私塾ですらない。ただ、性別年齢を問わず近隣のものたちに読み書きを教えると同時に、希望するものには政経兵学から時事までの持論を講義する。それも蟄居の身だからおおっぴらにできるわけではない。蟄居部屋とその続きの間に入るだけの人数を相手に、あくまで私的に、茶話会と称して雑談しているという形を保ち、礼家の家柄もあって黙認されているらしい。雑談の中身はとことん過激で、四宮八聖の制度そのものを批判する内容さえあるという、どこかきな臭い集まりである。もっとも、あくまでも噂に過ぎないが。
「俺は、今、至誠塾に通っているのさ」
「えっ」
ジンは息を呑んだ。黙認されているとは言え、危険思想で追われた人物の私塾。朱家の跡継ぎが通っていい場所ではない。ましてエイキは舎生というだけではなく、既に公務にも就いている身だ。
「そう驚くな。わけありだ。俺だって立場ぐらいはわきまえている」
気楽そうに言ってみせるエイキの人の悪そうな笑顔にも、笑顔で応えることができない。胃の中に石でも飲み込んだような気分だ。
わけあり、ということはおそらく公務に関係するということだろう。公務と言えば、エイキは皇主太子付である、と思い出して、ますます言葉がない。
皇主太子の命で危険思想の私塾に通う。
何のために。
処刑理由でも探すための偵察か、謀反の企てでもありそうなのか。それとも皇主太子様自身が危険思想に染まられているのか。
いずれにしても断じてジンが係わり合いになりたい話題ではない。
「ふっ、だからそんなに緊張するな」
とエイキはにやにやしながらジンの額を小突く。。
「もっとも内密は内密なんだがな。皇主太子殿下はシセイ先生を気遣っていらっしゃるだけだ。年寄どもから見れば、考えに少々行き過ぎたところはあるらしいが、元々は他国まで響いた秀才で、人物も識見も一流。不遇のうちに埋もれさせるにはあまりにもったいない、と仰られてな。我が君は度量が広いうえに、臣下に仁愛の情を持って接せられる方なのだ」
不遜なまでの自信と自尊に反骨をつきまぜて人格を練ってきたようなエイキが、皇主太子の話となると言葉遣いも改まり、敬意と情愛を隠さないのは、いつものことながらおかしくなるほどだ。
「が、それはともかくとして、シセイ先生、あれはかなり面白い人物だな。人が良過ぎるのが難だが、まぁ、傑物と言っていい」
エイキにしては破格の評価だった。彼の人物評価は常に「あいつは何々はできる」とか「あいつの何々は少しはましだ」といった、限定した能力への承認にとどまるし、それすらも多くはない。
「初顔合わせの時に俺は訊いてみたのさ。あんたは四宮八聖制度はまだ使えると思ってるのかい、それともぶっ潰した方がいいのかいってね」
これは質問というより挑発だろう。
「するとシセイ先生は、四宮八聖を建国神話から切り離して、純粋に制度としての成り立ちと仕組みと狙いを明らかにした上で、その問題点を実に明確に述べられた。俺は目から鱗が落ちるってのは、こういうことかと思ったよ。しかもその態度が凄い。激するでもなければ、あたりをはばかるのでもない。淡々と平静に理路整然と。言ってることは飛びっきり危ない、首が飛んでもおかしくないような話だ。それを、時候の挨拶でもしているかのように穏やかに話しやがる」
エイキは思い出したように首を振った。
「まぁ、俺も四宮八聖制度なんて黴の生えた制度は、ぶっ壊すべきだとは前々から思ってたけどな。それを確信することができた」
「エイキさん、声が大きい」
ジンは震え上がって声が裏返る。
四宮八聖制度転覆の意思有りなどと、万に一つでも大政局に知れるようなことになれば、文字通りの破滅だ。大政局とはジンたちの悠国を含む二十八皇国の列国政府実務機関で、四宮八聖制度による陽太皇国統治の大元締めである。いくら悠国四宮筆頭の朱家の身分であっても、到底かばいきれない。
「そうびくびくするな。大政局のイヌも、悠国の修錬舎内までいちいち嗅ぎ回っちゃいないさ。それよりどうだ。おまえも至誠塾に顔を出してみないか」
とんでもない、無茶な誘いだった。が、ほんの一瞬、心が揺れた。
何事にも「分をわきまえる」を心がけているジンにしても、十七歳の少年としての真っ当な好奇心はあるし、修練舎で学問を修めている身でもある。神聖なものとされてはいるが、日頃から疑問に思わないこともない四宮八聖制度の在り方について、新しい見方を聞いてみたい。それにシセイ先生という、八聖の身分を投げ捨てた風変わりな人物への興味もある。エイキほど人物評価の厳しい人がこれほど賞賛する人物なのだ。
それでも、
「遠慮しておきます」
朱家のような家の庇護も期待できない一商人の子の身で、蟄居中の罪人の違法私塾に出入りするのは、あまりに危険の度が過ぎた。ジンにもジンなりに担っているささやかな使命がある。ようやく修錬舎まで辿り着いた道を踏み外すような、軽率な真似はしたくない。
「そうか、やっぱりな」
エイキは予想していたようにあっさりとうなずいた。
「おまえはまずは断るだろうとは思っていたが、とりあえず一度は誘っておきたかった。もし、気が変わってシセイ先生に会ってみたいと思うことがあれば、いつでも俺に言え。俺以外にも修錬舎の舎生が何人か顔を出してるぞ」
エイキは踵を返して道場の出口に向かった。用事は終わったらしい。
いつにない淡白な態度にジンは拍子抜けした。ふだんなら、俺の言葉をもっと信じろだの、人生を変える機会を見過ごすのは愚かだ、だのと脅迫じみた言葉が並ぶところだ。エイキもそろそろ臆病なジンにかまうことに、飽きてきたのかもしれない。そんなエイキの態度にかすかに寂しさを感じているらしい自分を思って、ジンは苦笑した。