18.反射
このところのジンの念剣修行の日々は実に過酷だった。
エイキは、闘技で実力のありそうな者の癖を、全て書き起こしてくれていた。ジンはそれを必死で覚え込み、道場でひとつひとつ実戦形式での稽古で確認していく。元々が自分より上位の実力者を相手に、癖を確認しながらの勝負である。癖を利用しての打ち込みが決まり続ければ怪しまれる。癖を知っていることは、御前試演の本番まで隠しておきたい。となれば稽古試合では打ち込まれるしかない。しかもあっさり打ち込まれてしまっては、癖が確認できない。何とか素の実力だけで伯仲の試合に持ち込まなければならないのだ。
組演舞の練習も厳しいものだった。エイキが抜けた穴は、今からでは他の舎生には埋められない。人数を減らして新しい型を練習する余裕もない。エイキの代理を務めたのは、カイ老師その人であった。もちろん師の動きは正確で寸分の狂いもなく、以前よりも円滑に演舞が進むところもあったのだが、対峙してみるとカイ老師の念剣の威圧感はさすがに凄まじい。そのため気後れして舎生たちの呼吸が僅かにずれる。カイ老師は呼吸を合わせてくれるような真似はしない。委細構わず斬り込む。大怪我をするような狂いこそ生じないが、念剣の刃が頬や腕をかすめて生傷が絶えないことになった。
「ジン、そんなに怪我しないでくれよ」
とコータが文句を言う。
「そんなにいつもいつも怪我してたんじゃ、僕の薬が効かないみたいだ」
「そう言うなよ。売上げには貢献してるんだから」
「一人の売上げより、世間の評判の方が大事に決まってる。商売の常識だろうが」
コータは素っ気無く言ってから、
「まぁ、ジンの親父さんには感謝しているけどな」
と付け足した。
コータの薬は重盛屋を通して売られることになり、早くも上々の売れ行きなのである。何しろ修錬舎のゲンサイ先生とエイキが推薦文をつけているのだ。
重盛屋はコータから処方を教わり、人を雇って製造にあたる。これを医者や薬屋に卸すのだ。コータはむこう一年間、重盛屋のこの商品での粗利の二割を受け取ることになっていた。このような契約の仕方は悠国ではあまり前例がない。普通なら処方を買い取るか、製品を売るかのどちらかになる。売れ行きの分からない薬の処方など、安く買い叩かれても仕方ないし、まだ少年であり修錬舎在籍中のコータには、販売するほどの量の薬を作る時間も材料を確保する仕入れ先もない。カンはコータの立場に立って新しい契約の仕方を工夫してくれたのだった。薬の名前も「高垣耕多傷薬」「高垣耕多打ち身薬」と名前を明らかにしたから、コータの元には薬問屋から、新しい薬があれば是非試したい、という使いが何人も来ていると言う。
「薬が効くからだよ。特にあの傷薬はよく売れてるみたいだ」
「あぁ、エイキ様に使った薬ね。あれが効いてくれて本当に良かったよ」
「えっ、効き目を確かめずに使ったのか」
「まさか。ヒトに使うのは初めてだっただけで、ウサギやネズミでは試してたよ」
コータは澄まし顔でとんでもないことを白状する。
「おい、本当かよ。大胆と言うか、無茶苦茶と言うか」
「いや、小さい動物で試しておくと、まず命にかかわるような毒になってないかは、絶対に分かるからね。効き目だっておよそは見当がつく。ただ、動物は効き目や薬を塗った時の感じを話してくれないだろう。だからそこから先は、成分からの想像とか、自分の皮膚に塗った感じで判断するしかないんだけど」
ジンはこの変人の生き方に、急に興味が湧いてきた。
「なぁ、コータはこれからは薬学を専攻するつもりなのか」
「冗談。僕はあんな古臭い処方を丸暗記して、後生大事に抱え込む学問なんてこれっぽっちも興味ないね。新しい薬作りは面白そうだし、金になるかと思ってやってみたけどね」
「じゃ、修錬舎を修了したらどうするんだ。内政局の役人って柄でもないだろ」
「修了はできないと思うよ。礼学だの詩歌だのなんて、僕は全然やる気がしないからね。修錬舎には面白い書物が沢山あるから何とか潜り込んだけどさ。僕は本草学全般は好きだし、鉱石も好きだし、火薬も作れるし、からくり仕掛けも得意だし、まぁ、いろいろと新しいものを見つけたり、作ったりするのが好きなんだ。だから、僕の見つけたものや作ったもの、工夫した設計なんかで役に立つものを売って、生きていたいな」
「なるほど。しかし、それは四宮八聖の職のどこに属するんだろう」
陽太皇国の国民は全て、四宮八聖十六位の中に位置づけられた職を持ち、その定めに従った税を納める。職人でも商人でも学者でもないような生き方は間違いなのだ。
「どっちでもいいんだよ、そんなこと。十六位のどれかに体裁を整えろっていうなら、必要なら向こうが勝手に押し付けてくれるんじゃないかな。でないと、税が取れないから」
「それでいいのかい」
「関係ないからね。そんな決められた名乗りよりさ、僕の作るものが面白かったり役に立つことが分かれば、僕の名前が職になるし身分になるよ」
コータはかなり傲慢にも聞こえる文句をさらりと言ってのけた。こいつはテツと一緒だな、とジンは思った。自分の道だけを追い求めている内に、四宮八聖の理も則も踏み越えてしまっている。そしてそれを踏み越えていることなど、まるで気にしていないのだ。けれどもジンは自分の中でも、不朽であるべき四宮八聖への敬意が、ひどく軽くなっていることに気づいていた。
「まぁ、大した自信だけど、そんなこと本当にできるのかな」
「さぁね。でもその第一歩の為に今日ジンが来てるんだろ。さ、ここが僕の工房だ」
ジンは重盛屋の仕事の手伝いとして、コータの自慢の品々の中に他に売り物になりそうなものがあるかを品定めするため、コータの工房を訪れたのだった。工房と言ってもただの古い土蔵を工夫したもの。広さはかなりあるものの、汚れ放題で軒には蜘蛛の巣が張っている。四方は壁に囲まれて、僅かについている窓は板で塞がれている。
「薬や植物には、陽の光を直接当てると駄目になるものが多いのさ。ま、入ってくれ」
コータの後に続いて入ってみると、入り口から階段を下りるようになっていて、中は意外に明るい。足元は暗いが、頭の上にかなりの光が入って、壁を照らしているのだ。
「この光はどこから…」
「あぁ、鏡だよ。通風用の格子窓が、ちょうど外の地面より少し上のあたりに幾つも開いているだろう。あそこの前に色々な角度で鏡を置いて、どの時間でも光が入るようにしたんだ。これなら下から上に光が射すから、戸棚や机に置いた薬に直接光が当たることはないんだ。何せ昼間から行灯を点けっぱなしでいるほど裕福じゃないからな」
ジンはコータの説明が終わるのも待たず慌てて飛び出し、外の鏡を確かめた。西側の通風孔の前にも、確かに五枚の鏡が角度をつけて置かれている。夕刻に近い低い太陽の光が、鏡に反射して土蔵の中の壁を照らしている。
「こ、これなら外から中の人間に、光を当てることができるんじゃないのか…」
ジンは中を覗きながら念剣を輝出させる。蒼の念剣の青白い強い光が壁を撃つ。
「できる。やはりエイキ様の思い過ごしじゃないんだ」
道場の下の引き戸か、よろい戸の角度に合うところに鏡を置いて念剣を発すれば、外から光の狙撃を行うことは可能だ。おそらくエイキが仁王立ちでジンの打ち込みを受け止める刹那を狙って、反射させた光を当てたのだろう。組演舞では特に静止位置は正確で、道場の床に印まで書き込んで稽古する。念剣の稽古に出ていたものなら、光を当てる位置を特定することは容易だ。後は道場外からどうやって、エイキがその場に立つ瞬間を察知するかだけだ。
「おい、そんなに驚くような工夫か」
コータが後ろからのんびり声をかけた。ジンはぎくりとして振り返った。この採光の工夫を実践しているコータこそ、エイキを狙った下手人ではないのか。
「中に入れよ。ん、どうした、怖い顔をして」
いや、違うだろう、とジンは思い直す。ジンとエイキが親しいことは、コータにも分かっている。ジンがエイキの口から光の罠が仕掛けられたことを聞いている可能性は高い。下手人なら、この採光の仕組みを見せようと思うまい。それに間違いなくコータはあの場で道場内に居た。道場内に居たものは下手人ではない。
ジンが堅い表情のまま、
「すまない。急用ができた。工房の中は必ず見に来る。ただ、今日は勘弁してくれ」
と言うと、コータは肩をすくめた。
「急ぐわけじゃないからいいけど、何だかひどく怖い顔してるぞ。厄介事なら巻き込まないでくれよ。こっちも忙しんだから」
「分かったよ」
ジンはあまりにコータらしい現金な言い草に、おもわず苦笑いしてしまった。




