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16.至誠塾訪問

「やっぱりどう考えても、ここに外から光が入るとは思えないな」

 清掃を終えた念剣道場を見回してジンは呟いた。

 カイ老師に道場を血で穢した不始末を改めて詫び、十日間の道場清掃を願い出たのだ。反省の気持ちに嘘はないが、エイキの言う下手人探しのためにも、道場をじっくりと納

 得がいくまで調べる必要があった。

 けれどもよろい戸を一つ一つ確かめても、傷や細工の跡は認められず、埃のつき具合からみても外れていた形跡は全くない。陽の光がよろい戸を越えて入ってくる可能性は皆無だ。となれば、やはり念剣の光ぐらいしかないのだろうが、よろい戸の隙間からエイキの目を狙って光を射し込ませるなど、とても考えられない。よろい戸はジンの頭ほどの位置にある。外から台に上っても、道場の中央で繰り広げられる組演舞の動きを覗き見ることはできないし、外から念剣で目を射るとすれば、窓際で念筒を戸に差し込むようにかざし、道場内で念剣を出現させなければならない。

 しかし念剣が道場内で新たに光れば、どれほど皆の意識が組演舞にひき付けられていようと、誰も気付かないわけがない。同じ理由で、道場内で舎生の誰かが念剣で目を射る可能性も否定するしかない。念剣が出現した時点で誰が射出させたかは分かってしまう。

 道場には床に接した引き戸がいくつかあり、ごみを掃き出しやすくなっている。ここはしばしば開けっ放しになっているが、高さは膝下にも及ばない。やはり外から様子を伺ったり、念剣で目を狙ったりするのは無理だ。

 ジンは道場の中央に立ち、構えて念剣を繰り出してみる。そして素早く意識を断って念剣を消そうとする。二秒ぐらいの間ができる。念剣の発動には時間がかからないが、消す方はそうはいかない。エイキを切った時には確かに瞬時に収められたが、必死の中の偶然だ。誰にも気づかれない内に念剣を光らせて再び収めるなど、カイ先生でも無理だろう。

「何か手がかりがないと、このまま考えていてもどうしようもないな」

 ジンは諦めて道場を出た。もう夕闇が町を包み始めている。これからエイキの使いに出なければならないのだ。遅くなりすぎると、重盛家の夕餉の支度に間に合わない。ジンは足を速めて町中を通り抜けた。

 農家がぽつぽつと見えはじめる町外れに、やや大きめの古ぼけた屋敷が見える。広さはそこそこだが、手入れはあまりされていない。妙にでこぼことした形は、新たな部屋を急ごしらえに足しているせいだろう。ここがシセイ先生こと礼至誠の蟄居している家であり、至誠塾の開かれている場所だった。

 ジンは周囲に目を配りながら足早に門をくぐり、屋敷の中に滑り込んだ。至誠塾に入るところなど、やはり他人に見られたくはない。

「おそれいります。エイキ様のお使いで参りました、重盛屋のジンと申します。シセイ先生はいらっしゃいますか」

 ジンは土間に立って呼びかけた。

「せんせい、おきゃくさんだよぉ」

 何人かの子供の声が響き、続いて

「どうぞ、奥にお入り下さい」

 と、高い声が応えた。ジンが土間を上がると、すぐに小柄な若い女性がさっと寄ってきて、膝をついて頭を下げ、

「いらっしゃいませ。シセイは奥の書斎におりますが、書斎にお通しせよ、つうことで」

 と挨拶し、慌てて膝をつこうとするジンに、

「そのままで結構ですに、こちらへ」

 と案内する。礼儀の所作や立ち姿、歩き姿は美しいが、言葉には少し訛りがある。近郷の小作人たちの言葉だ。シセイ先生が振る舞いを教えたのならば見事なものだと感心しながら、ジンは後についていった。縁側伝いに伸びる廊下から、庭に面した部屋が見える。障子は開け放たれている。中ではいくつかの手作り風の行灯が揺れていて、机に向かって一心に文字を書いているのは、なんと子供たちばかりだ。一目見ただけでも貧しい小作人の子と分かるものばかり、十五人ほどが、騒ぐでも居眠りするでもなく、きちんと正座して書写に励んでいる図は、ちょっと不思議なものだった。

 突き当たりの小部屋がシセイ先生の書斎らしい。

「先生、お連れいたしました」

「遅くに失礼いたします。エイキ様の使いで参りました」

「あぁ、ジン君ですね。私はシセイと申します。エイキ君からお話はかねがね伺っていますよ」

 高くよく響く声でシセイ先生はにこやかに挨拶を返した。まだ少年の面影さえ残しているような若々しい姿に、ジンは少し戸惑う。シセイが過激な論を唱えて、国から罰せられたことは聞き知っていても、その人物の容姿については何の知識もない。何となく狷介で目つきの鋭い壮年の学者を思い描いていたのだが、目の前の青年は華奢な身体に細面で色が白く、鹿のような穏やかで優しい目をしている。

「どうしました」

「いえ、あの、エイキ様からこれを届けるようにと言い付かりまして」

「ありがとうございます」

 ジンの渡した包みをシセイは恭しく受け取った後、今度は実に無雑作に開き始めた。

「あ、席を外しましょうか」

「いえ、別に秘密にするようなことでもありません。ただのお金ですよ」

 ジンもそうではないかと見当はつけていた。

「ここに通っている子供たち、あの子たちは昼間は畑仕事をしなければなりませんから、私のところに来るのは夜に限られます。そうなると、灯りがなければ読み書きもできませんし、筆や墨も用意してやらなければなりません。何かと物入りなのです。その話をしたら、エイキ君はそういうことなら援助をさせて欲しいと申し出てくれましてね。私も蟄居の身では、自分の才覚で金を工面するというわけにもいかず、有難く好意を受けることにしております」

「すると、あの子供たちからは謝礼は受け取られていないのですか」

「ハハ、謝礼を納めて子供に学問をさせる余裕は、このあたりの小作農にはありません」

 シセイは軽く笑いながら諭すように言った。

「むしろ、役にも立たない読み書きなどを教えて、子供たちを働かせる時間を無駄に潰すと、恨まれているふしもありました。もっとも子供が賢くなってきて、読み書きなどを目の前でしてみせますと、やはり親も嬉しいようで、最近は野菜などを少し届けていただいたりすることもありますが」

 シセイは本当に明るく楽しげに話す。無償で貧農の子弟に読み書きを教えるこの好青年と、「危険思想の持ち主」というシセイに下された評価は、あまりにかけ離れていた。

「どうして子供たちを教えようと思われたのですか」

「どうして、というほどのことでもありません。私は学問の他には、人に分け与えられるものは持っていませんし、ここの子供たちは学問に触れる機会が与えられていません。となれば、私がそれを与えるのは当たり前のことでしょう」

 彼はそこでまたちょっと微笑んで、

「それに楽しいのですよ、子供たちの力が目覚めていくのを見るのは。人の成長を見ることは、私にとって勇気にもなりますし、学ぶところも多いのです。もちろん皆が皆、学問が得意になるというわけには参りません。ですが、たとえばセン君は、読み書きの進みは早くないのですが、ここの仲間を規律正しくまとめてくれます。人を統率する才能が生来備わっているようで、私も感心させられます。アヤナ君は稀な詩心を持っています。人が見過ごすような当たり前の事象を、五感全てで感じ取って言葉にしようとするのです。これは誰にも真似ができません。他にも算術と駆け引きにすぐれ、商いの道に進めば大成するだろうと楽しみな子、気骨と勇気を持つ勇敢な兵士になりそうな者など、多士済済ですよ。学問というものは、ただ知識を得られるだけでなく、そのような人の中に眠っていた力を目覚めさせることに繋がるものなのです」

「でも」

 ジンは少し躊躇いながら言った。

「そうだとしても、結局はここの子供たちは小作農の仕事につくことになるのでしょう」

 農民が農以外の職につくことは極めて難しい。内政局の許可を得る必要があるし、三代に渡って租税に滞りがないことが、証明されなければならない。農は揺るがせにできない国の基だからで、故に農民だけは全て同一の姓を持つ。悠国であれば「悠」。ここの子供たちも皆、悠氏、悠国皇主の直系とみなされるのである。

「この子たちが自らの力に相応しい職を選べないとすれば、それは間違いなのです。そして間違いの責は、子供たちにではなく、この国に、悠国及び陽太皇国にあるのですよ。国は民を活かしむる良き器でなければなりませんから」

 ジンは背筋がひやりとした。シセイは気負わずさらりと言ったが、そこに込められているのは明らかな体制批判なのだ。やはりここら辺りが潮時だと思っているはずなのに、口からこぼれたのは、

「先生は四宮八聖に異議があると伺いました」

 という、挑発とも取れる言葉だった。

 これではエイキと何も変わらないではないかと、自分でも呆れてしまうが、飛び出した言葉は戻ってこない。

「そうですね。四宮八聖という仕組みは、今のままでは弊害の方が大きいと、私は思っています」

 シセイは相変わらず淡々と語る。

「しかし四宮八聖は仕組みなどではなく、この国の成り立ち、礎なのではありませんか」

「違いますね。四宮八聖が今のような政の形として整ったのは、およそ三百年ほど前のことに過ぎません」

「そんな…」

「私の学問の基本は、過去にあったことを調べて、何が本当にあったことで、何が虚偽であるかを明らかにすること。そして起きた事柄を正しい順序に並べ、その事象が持つ意味を考察することにあります。これを史学と呼びます」

 これは修錬舎では教えられない学問だ。あえて言えば政体原理はそれに近いかもしれないが…、とジンはそんなことを考え、それを振り払うように額を激しく手で拭った。

 入塾しにきたわけではない。エイキの使いはとうに済んでいる。ジンの気持ちの揺れを察したように、シセイは、

「まぁ、学問談義はまた機会があればゆっくりいたしましょう。世間では至誠塾などと呼ばれていますが、この通り塾は子供が通う場所。後は若い人たちが好きな時に集まって自由に議論を楽しむだけです。束脩を頂くわけでもなし、気軽に遊びに来てください」

 と、話を打ち切った。

 ジンはほっとしたような惜しいような複雑な気持ちで頷いた。



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