15.エイキの頼み
それ以来、ジンが父親について念剣演舞を人前で披露することはなくなった。カンも貴族の家に挨拶に回って念剣を披露することは控えるようになった。その代わり、ジンは念剣の稽古自体は一日も欠かさなくなった。エイキとの約束を守るためだ。
エイキは年に一、二度、子供ながらカンの客として重盛屋を訪れ、ジンの念剣演舞を所望するようになった。その時だけジンは自分の念剣演舞を他人の目に晒した。修錬舎に入るまで、ジンの念剣は人前では封印され、エイキのみに捧げられていた。
自分の念剣が人を切る武器となることを、ジンは怖れ続けた。自分の中に自分で抑えられないほどの激しい殺意が眠っていること、それが念剣と結びついた時どうなるかということを、身をもって知ったからだ。あの時、エイキがいなければ、自分は間違いなく人殺しとなり、そして刑死していただろう。
念剣闘技に身が入らなかったのも、それにのめりこむ事が、ジンの念剣に秘められた殺意を解き放つのではないかと怖れていたからだ。
けれども、結局自分の念剣は、再びエイキを切り裂く巡り合わせとなった。そして、またこの部屋で縮こまっているしかない。
その時、引き戸が開けられ、カンが呼んだ。
「ジン、客だ」
「誰です」
ジンは煩わしそうに尋ねた。今の自分に客の応対などできないことぐらい、分かりそうなものだと思う。
「朱家のお使いの方だよ」
ジンは跳ね起き、慌てて玄関に走った。目つきの鋭い男が一人、土間に佇んでいる。
「エイキ様の私的な使いで参りました。できるだけ早く、ぜひ会いたいと。今からでも来ていただけますか」
「分かりました。着替えてすぐに参ります。上がってお待ち下さい」
ジンは奥に戻って手早く着替えた。ジンが姿を現すと、男は無言で背を向け、前に立って歩き始めた。ジンも黙って従った。陽はもう沈んで、初冬の冷たい風が薄闇の中でざわめいている。男も念剣使いらしく、暗い道を足早にひたひたと歩いていく。いつ切られるか分からない、分かっても避けられる気がしない、と緊張を強いられながらの道程は、ひどく長く感じられた。
やがて朱家の屋敷に着くと、男は通用門を通り抜け、納屋のような建物にジンを招き入れた。納屋と言っても朱家の庭にあるもの、立派な蔵作りではあるが、朱家の跡取りの居室とは思えない。エイキが修錬舎に上がる時、舎生が贅沢な貴族の生活を貪っていては、勉学に励む気持ちが萎えると言い張り、ここに自室を定めたのだ。
「ジン、いや、ジン殿と言わなくてはいかんか。今日は迷惑をかけたな」
エイキは床の上で上半身を起こして迎えた。案内してきた男が無言で後ろに消え、ジンは思わず安堵のため息をついた。
「お体の方は」
「あぁ、大したことはない。しかし全く、危うく殺されるところだった」
「もうしわけあり、」
「言っておくが、おまえにではないぞ」
「えっ、それはどういう…」
「おい、俺が本当にあんな無様な失敗をすると思うか」
とエイキがにらみつけてくる。
「命がけの稽古だということぐらい、俺だってわきまえている。あんな気の抜けた間違いをするものか。おまえの念剣を凶器にして、俺を殺そうとした奴がいるのさ」
「そんな…だ、誰です、それは」
ジンが咳き込むように尋ねる。が、エイキは呆れたような顔で見返した。
「それが分かれば苦労はない。とっくに朱家の連中が引っ張ってきている」
「だったら、なぜ」
「あの時、組演舞の稽古の最中に、一瞬、強い光が目に飛び込んできた。不意を衝かれて、俺は身動きを狂わせた」
ジンの脳裏にその瞬間が蘇る。驚いたような短い声、歪んだ表情、のけぞる様な動作。それらを感じ取れたからこそ、辛うじて念剣の動きを抑えることができたのだ。
「でも、でもあの道場に、光なんて入るはずは…」
ジンの呟きにエイキは頷く。
「ないな。外から光が入り込む念剣道場などあり得ない」
念剣道場の窓は、全てよろい戸になっていて、間接的な光しか入らない。念剣の使い手は暗がりを気にしない上、念剣自体が光の剣なのだから不便はない。むしろ念剣の動きを見定めるには、やや暗めのほうが適しているのだ。
「だからこそ偶然ではあり得ない。誰かが何らかの方法で、俺の目に光を射し込んだ」
「でも、だったら念剣道場内でしか…。それならすぐに分かる筈です」
光が入らないだけではなく、あの目まぐるしい組演舞の最中に、エイキの目を狙うとなれば、間近で見ていたものにしか不可能だ。しかし道場内でそんな強い光を発すれば、舎生はともかく達人であるカイ老師が見逃すはずがない。
「そうだ。方法が分からない。だが確かに一瞬、光に目が眩んだのだ。あれは、そう念剣の光に似ていたように思う」
ジンにはますます信じられない。組演舞の最中に念剣を出していたのは、組演舞の演者しかいない。そして演者は衆人環視の真っただ中に晒されているし、決まった動作以外の動きをすればたちまち演舞が崩れてしまうことは、エイキが身をもって実証した通りだ。
「そこでだ。ジンにいくつか頼みがある。まず、下手人を捜して欲しい」
「それは…、まるで見当もつかないのに、どうやって。難しいでしょう」
「今回の件はジンの過失ではないと、朱家は公に認めた。と、言うことは俺の過失と言うことだ。朱家の跡取りは、普段から大言壮語で世に知られている。そいつが念剣の稽古でふらついて、庶民の念剣に切られた。口ほどにもない奴だ。俺の評判は地に堕ちたな」
「そんなことは…」
「ま、評判なんぞどうでもいいが、誰が俺を狙っているのかも分からなければ、俺としても枕を高くして眠れん。それに俺だけを狙ったとは限らんぞ。おまえも、かもしれん」
「まさか」
「俺が生命を落としていれば、おまえも咎めなしでは済まなかった。いや公的には無罪でも、朱家の制裁を止められる奴などいない。それも相手の計算の内かもしれんぞ。というわけで、おまえと俺の身の安泰、ついでに俺の名誉もかかってくる下手人探し、ぜひ頼まれてくれ。なんならこの場で土下座でもしてやろうか」
エイキは底意地悪い笑顔で脅してくる。
「お、およし下さい。えっと分かりました。できる限りのことはしてみますから」
「そうか。頼みごとの一つは何とか聞き入れてもらえたようだな。ついでに、もう一つ。こっちは簡単だから、即答してもらいたいんだが」
「はぁ」
「念剣闘技の御前試演、こいつの一席を頼む」
「無理です」
「よし即答したな。が、返事が違うぞ」
ジンは今度は遠慮なく首を横に振った。
「無理なものは無理ですから。だいたいどうしてそんなこと、頼みたいんですか」
エイキの答えは意表を衝いた。
「うむ、少しカネが要るんだ」
「はぁ、あの、それが…」
「賭けをすることにした。俺の御前試演の一席。それだけじゃ、まぁ、下馬評どおりだからな。全てを『面一本』で取ると。これでのってくる奴らもそこそこに増えて、後は試合だけというところで心算が崩れた。この賭けを復活させるには、俺の代わりが必要だ。お前なら全て面撃ちの条件が無くても賭けは成立する。後はおまえが勝てばいい」
「馬鹿なことを。負ければ大損じゃないですか」
「だから勝てと言っている。あぁ、違うな、頼んでいる」
「だから無理です。闘技は不得手なんです」
「おまえほどの腕で、得手も不得手もあるか。今日もその達人の技量で俺の命を救った」
「念剣と模擬刀じゃ違いますよ」
「違わないな。おまえが闘技に挑む覚悟さえできれば、おまえの闘技の腕はすぐに上がる。だったら俺のために覚悟をしてくれ」
「そんな。それに少しばかり腕が上がれば勝てると、決まったわけでもないし…」
「それが決まっているのさ。俺がおまえに教える。そこそこできる連中の癖を全て」
思い出した。エイキは、稽古から相手の癖を見抜いている、と言っていた。
「それでも、イッキ様のように明らかに実力が上の相手では」
「おまえ本気で言ってるのか。撃ち込みの重さだけは、まぁ俺以上かもしれんがな。あの騒々しい掛け声が奴の弱点さ。ハァッなら左上段、トォなら右上段、ヤァなら巻き上げで。型のときでも掛け声は丸っきり同じだ。これじゃ俺以外にも気付いてる奴はいると思うぞ。どう足掻いても奴には、一席は無理さ」
ジンは唖然とした。そこまで単純な癖に自分で気付けないイッキと、見過ごしていた自分の両方が、果てしなく間抜けに思える。
「ジン、俺は演舞で見てよく分かっている。おまえの太刀の速さは、俺を含めて間違いなく舎生で一番だ。両手の構えに無理が無いから対応も早い。と言うことは、相手の動きを待って動ける。癖の予備知識があれば後の先を狙えるわけだ。これで勝てなければ、俺に意趣があってわざと負けたとしか取れない」
「意趣なんて」
「無いよな。無いはずだ。だから勝ってくれ」
ジンはがっくりと肩を落としてため息をついた。
「そして、最後の頼みだが」
「まだ、あるんですか」
貴人に失礼という遠慮も忘れて、ジンが悲鳴を上げる。
「これが最後だ。ちょっとあの戸棚の下の引き出しを開けて、中の包みを出してくれ」
引き出しに入っていた包みは、菓子箱ぐらいの大きさでずしりと重い。
「それを至誠塾に届けてくれ」
「中身は何です」
「知らない方がいいと思うぞ、命が惜しければな」
「ど、どういうことです」
ジンの腰が後ろに逃げかかったのを見て、エイキは面白くもなさそうに言った。
「冗談だ。が、まぁ、持って行く先が先だからな。朱家の使用人を使うわけにもいかん。もちろんこれも頼みだから、なんならこの場で」
「分かりましたよ」
ジンはもう一度ため息をついた。とにかく絶対に自分の言い分は通し、思うままに人を動かすことにためらいがない。怪我をしていてもエイキはエイキだと思いながら、ジンは全面降伏するしかなかった。




