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13.感触

「いずれにせよ、残りの者だけでは稽古にならん。動揺もあるだろう。本日の念剣演舞の稽古はこれまでとする。イッキ殿」

「起立、礼」

「ありがとうございました」

 舎生達は興奮と好奇心を抑えて、無言のざわめきのまま道場を次々に出て行った。ジンは座ったまま動かない。カイ老師はジンを見て何か言おうとしたが、首を振って奥の様子を見に戻った。ジンは放心状態のまま取り残された。

 道場の扉が音高く叩かれると同時にがらりと開き、七人の男たちが入ってきた。ジンはそれをぼんやりと眺める。男たちは奥から戻ってきたカイ老師に礼をする。男たちの後ろからソウマが現れた。男の一人が、言葉は丁寧に、しかし隙のない厳しさをこめて言った。

「失礼いたします。朱家本家の者です。エイキ様が稽古中に負傷されたと伺ったのですが。エイキ様のご様子と、事の次第をお聞かせ願えますか」

「朱家の方々か。わしが稽古に立ち会っておりながらの不始末、誠に申し訳ない。エイキ殿は止血して奥の間に寝ておられるが、生命に関わる傷ではない。意識もある。今、医者も呼んでおるので、後は医者の診立てを聞くよりないが。とにかく、奥に入られよ」

 朱家の男たちは老師の後に従って奥の間に消えた。続いて修錬舎付の医者であるゲンサイ先生が駆け込み、そのまま奥に入っていった。それらの人々の動きを、ジンはただ座ったままで見送った。

 どれほどの時間が過ぎたのか、ジンには分からない。

「ジン。エイキ殿が呼んでおる。こちらに来なさい」

 カイ老師に呼ばれてジンは立ち上がった。歩こうとすると、足が震えた。

「しっかりしろ、ジン。先ほども言ったが、おまえはエイキ殿の命を救ったのだ。恥じることも怯えることもない」

 ジンは首をゆっくり横に振り、それでも震える足で老師に続いて、エイキが寝ている部屋に入った。医者のゲンサイ先生とコータも居た。朱家の男たちは既に見当たらない。

「まず、ジン殿に安心して頂いた方がよいかな。エイキ殿の傷は、浅くはないが生命(いのち)に関わるものではない。もっとも出血が酷ければ危なかったかもしれんが、止血の処置も早く、コータ殿の塗り薬も実によく効いていてその心配もない。しばらくは腕を動かすことはできんだろうが、一生動かぬということもない。先ほど痛みに逆らって動かそうとしたときに、腕も指も動いておったからな。後は若い身体の回復力に任せれば、ほぼ元の通りになる。ま、傷跡はあるだろうが、気にすることもあるまい。どの道、この御仁は荒事好きで、まだ若いのに傷跡なんぞ無数だからな」

 ゲンサイ先生の言葉に、ようやくジンの顔に血の気が戻ってきた。

「すまんな」

 目を閉じたまま、静かな声でエイキが言った。

「俺の失態で、おまえに迷惑をかけた。家の連中にはよく言って聞かせたつもりだが、この身体では、どれだけ納得したか分からん。煩いので帰したが、カイ先生からももう一度、よく言い聞かせてください」

「承った」

「エイキ様」

 掠れた声でジンが言った。

「もうしわけありません」

「おまえが悪いわけじゃない。まず落ち着いて、正しく現状を認識しろ」

 エイキは言ってから、苦笑いしてつづけた。

「こんな時に説教をさせるな。世話のかかる奴だ。俺が呼んだのは、礼を言うためだと分からんのか。相手がおまえでなければ、俺は間違いなく命を落としていた。それは俺がよく分かっている。改めて、おまえの念剣の凄さには驚いた。ジン。いや、ジン殿、命を救ってくれたことに、心から礼を言わせて貰う」

「いえ、ほんとうにもうし…」

「あやまるな、と言ってるだろう。それ以上言うと、俺はここで土下座をするぞ」

「そ、そんな」

「それぐらいで勘弁してやりなさい、エイキ殿。振り下ろし、振り抜いている最中の念剣を収めるなどという無茶な念剣技を使ったのだ。ジンの精神は既に疲労しきっておる。コータ、おまえの見事な薬にも改めて礼を言わねばならんが、今日はジンを送って行ってやってくれ」

「はい」

 コータは無雑作にうなずいて立ち上がり、ジンの腕を取る。

「それでは、失礼いたします」

 コータの声にジンも頭だけ下げ、腕を引っ張られて部屋を出た。

 どのように歩いたのか、まるで覚えていない。ただコータに曳かれるままに足を運び、気づくと、家の前に辿り着いていた。

 重盛屋の店先では番頭のゴンを始め、サク、タイ、ショウ、アイまでが揃って出迎えた。

「おかえりなさいまし、ジン様。大変でしたな。コータ様、お付き添いありがとうございます。また、重盛屋から後ほど御礼に参ります」

 ゴンが深々と頭を下げる。

「いや、お礼なんて面倒なものはいらないですよ。それより、今日、切り傷の塗り薬も効き目が証明されましたからね。カンさんと一緒に、こっちも相談にのってください。じゃ、ジン、ゆっくり休めよ。僕も心の疲労に効く薬まではつくっていないからね、ハハッ」

 コータはあっけらかんと言うと、手を軽く振って帰っていった。

「先ほど、朱家からお使者がきましてな。ジン様には何の落ち度もないこと明らかゆえ、朱家に含むところ一切なし。安心してこれからも修錬に励むよう、とのお言葉を頂きました。その前にソウマ様がいらっしゃって、あらかたの様子をお話してくださいまして。ソウマ様も、ジン様に責めはないと仰ってくださったのですが、なにしろお相手が朱家の跡取りですから。もしやお咎めがあったらと、気が気ではなかったのですが…」

「うん、うん」

 ジンは機械的に頷くだけで、ゴンの言葉を聞くでもなく、そのまま門をくぐる。タイが慌てて荷物を奪うように受け取る。玄関ではカンが待っていた。

「おかえり」

「はい」

「たいへんだったようだな」

「ご迷惑をかけ、もうしわけありません」

「ん。話を訊くのは後日にしよう。今日はゆっくり休め」

「ありがとうございます」

 ジンは口の中で呟くようにそれだけ言って頭を下げ、逃げ込むように自室に入った。

 身体を畳の上に投げ出し、左手をかざす。無理な念剣の収め方をしたせいか、両腕が痺れたような感覚に包まれているが、それでもエイキの肩を切った時の感触だけは、痺れに関係なく掌にはっきり残っている。

 この手がエイキを斬ったのは二度目だ。

 ジンは初めて人を、それもエイキを、念剣で斬った時のことを、思い出さないわけにはいかなかった。




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