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1.念剣演舞

 晩秋の夕の冷気が道場に流れ込み、若者たちの熱気の足元をすくうように広がる。

 ジンはその空気の流れまでも感じ取ろうとするように、意識を澄み渡らせる。

 二回、深呼吸をしてから、力を込めずに息を肚にためる。

 目は閉じない。半眼のまま意識を集中する。

 左手の(ねん)(とう)に熱を感じると同時に、

 ヴィーン

 鈍い音と一瞬の力強い発光を伴って朱の(えん)(けん)。上段に。

 続いて右手の念筒が発光し、凍気を伴って蒼の水剣。下段に。

 光だけの二振りの念剣は、揺らぐことなく直立している。

 ジンは長剣ほどの長さの炎剣を頭上に掲げ、力強い踏み込みと共に振り下ろす。

 炎剣が(しな)いながら(はし)る。同時に蒼い剣が水平に空間を切り裂く。十字の光芒の前で、炎剣が斜めに振り上げられ、大きく踏み込みんで体を開いた半身の姿勢で遠間に一閃、胸元に引き付けられた水剣は、左足が引き戻される同時に頭上を守る位置に移っている。炎剣は下段。

 続いて炎剣が薙ぎ払われ、そのまま左足を軸に体が回転、右から踏み込んで上段から水剣。引いて炎剣上段、水剣下段。

 ジンのやや小柄な身体は、流れるように途切れることなく躍動し、跳躍し、回転する。

 ダン、タタン、ダダン、タン。

 踏み込みの音が重く軽く響き、朱と蒼の光の残像が渦を巻く。

 と、ふいに静まり返っていた道場の空気が揺らぎ、唐突に出現した水剣が、流れるような炎剣の軌道を阻んだ。衝撃が痺れとなって左腕に走る。間髪を入れず右袈裟に迫る炎剣を、ジンの水剣が受け止め、炎剣が闖入してきた長身の男の頭部を薙ぐ。寸前に退いた男が返す突きをジンも体を開いて躱し、そのまま回転した水剣が男の胴を襲う。

 ジンと男の動きは長剣六本分の直径の円から外れることはない。その圏内を朱と蒼の二対の光が、時に絡み合い、すれ違いながら、目で追うことも困難な速さで舞う。

 ジンの額に汗が滲むが、呼吸は乱れない。

 ついにジンの水剣が長身の男の喉下を突ける位置で静止した。男も二本の剣を上下に構えたまま微動だにしない。と、四本の光は四本の筒に収まり、ジンは大きくため息をついた。道場の中にいた二十人余りの舎生たちからも、同じようなため息が漏れた。

「やめてくださいよ、ほんとうに」

 ジンは額の汗を拭いながら、遠慮がちに抗議の声をあげた。まだ幼さの残る色白の丸顔と目じりの垂れた気弱そうな大きな目からは、先ほどの見事な念剣さばきは想像しにくい。

「いや、いい汗をかいた。相変わらず見事だな、ジンの演舞は」

 長身の男は、ジンの抗議などまるで意に介していないように、やはり額の汗を拭いながら、にやりと笑う。こちらも少年らしい初々しさを残しているとはいえ、はるかに精悍な顔立ち。なめし革のような光沢のある褐色の肌と、切れ上がった肉食獣のような鋭さを湛える細い目は、ジンと対照的だ。

「エイキ様はね。こっちは悪い汗をかきましたよ。一人型(いちにんがた)から二人型(ににんがた)になんて準備してきてないんですよ。ひとつ間違えたらと思うと…」

 念剣は念による光の剣とはいえ、竹刀と変わらぬほどの重さがあり、その切れ味はよく鍛えた刀剣に匹敵する。触れれば皮膚を裂き、肉も骨も断ち切るのだ。

「ひとつ間違えばな。だがおまえは絶対に間違えないと踏んだからこそ、こっちも安心して飛び込ませてもらったのさ。それとも、まさか俺が間違えるとでも言いたいのか」

「いえ、そんなことはないですけど…」

 ジンは口ごもる。

「うむ、ジンは見事。ほぼ完璧と言ってもよかろう。念剣の長さが一度も変わらず、炎剣もよく太刀の太さを保っておった」

 念剣の師範カイ老師が歩み寄って穏やかな声をかけ、舎生たちを振り返って、

「皆もよく覚えておきなさい。演舞はこの念剣を自在に制して、常に正しい形を保つことに始まる。それができねば、いくら動きをなぞろうと、美しい演舞にはならん」

 と言った。それからやや声を低めて、

「エイキ殿は、七段目の炎剣の振り下ろしで、剣の型が僅かに右に流れておった。ジンがとっさに合わせて受け流していなければ、胴をかすめていたかもしれんぞ」

と、たしなめた。

「はい、気づいてました」

 エイキは素直に頭を下げた後、

「まぁ、ジンが相手ですから多少のことは大丈夫と、手加減なく切り下げたので、少し悪い癖が出てしまったようです」

と笑った。老師は首を横に振った。

「エイキ殿、あまりジンをいじめるな。少々の傷を負ったところで、エイキ殿が逆恨みするような性格(たち)ではないことぐらいは、わしも認める。が、四宮(しきゅう)筆頭(ひっとう)朱家(しゅけ)の総領に手傷を負わせる羽目になったら、ジンはどうなると思う」

 考えたくもない、とジンは心中で呟いた。間違いなく修錬舎は追放、父親の営む重盛屋(しげもりや)も廃業に追い込まれ、一族郎党、使用人に至るまで路頭に迷うかもしれない。それどころか万一、命にかかわることにでもなれば、朱家に雇われた暗殺者たちは、半ば公然と自分を狙うだろう。

 しかしエイキはいかにも不本意といった表情で、

「カイ先生、それは筋違いと言うものです。修錬舎に学ぶ者は全て平等。四宮八聖と言えどもただの舎生。特に念剣においては何らの特例も認めないと仰ったのはカイ先生でしょう。私もそれは肝に銘じています。いかなる事故があろうと、その責めを不当に負わせる卑劣漢には成り下がりませんし、ウチの馬鹿共に勝手な真似もさせません。特別扱いはご無用に願います」

と言い切った。

「フム、よい心がけだ」

 カイ老師は皺深い顔に苦笑いを浮かべた。

「よろしい。それならば、特別扱いはすまい。エイキ殿は演舞修錬中に許可なく危険な行為に及んだ罰として、道場の床掃除を一人で行いなさい。言うまでもないが、これも修錬の一環だからな。手抜きは許さんぞ」

「承りました」

 エイキは直立し、深々と頭を下げた。

「よろしい。他の者は解散。今日のジンの演舞は模範演技に値する。各自、自らの演舞と引き比べて研鑽を積むように」

「起立っ」

 修礼科目首席のソウマが号令をかける。舎生たちは一斉に起立して姿勢を正した。

「礼っ」

「ありがとうございました」

 道場を後にする仲間に混じって、ジンも出口に向かった。と、

「ジン、話がある。少し待ってろ」

 エイキの声が飛んだ。ジンは肩をすくめて振り返った。

「ごくろうさんだね」

 同情とも揶揄ともつかない淡々とした口調でソウマが言いながら、軽く肩を叩いた。

「へ、腰ぎんちゃくが」

 と、こちらは分かりやすく敵意に満ちた文句を吐き捨てたのは、十六貴護東家のイッキだ。

「一緒に待とうか」

 少し心配そうな友人のリュウトに、

「いいよ、どうせいつものお説教だろう。別にさっきの演舞ことで文句を言われるわけじゃないだろうし、大丈夫さ。リュウトも忙しいのに、お偉いさんにいちいち付き合っても疲れるだけだろう。こっちは不本意ながら馴れっこだからね。適当にやり過ごすよ」

 と小声で答えて、ジンは道場に戻った。

「床掃除が終わるまで、『適当にやり過ごして』ろよ」

 箒を片手にしたエイキが、聞こえていたぞ、という顔で睨む。ジンは額に手を当てて首をすくめた。地獄耳はいつものことだ。

「おい、やり過ごしてろと言っただろう。余計なことをするな」

 雑巾を絞って、四つん這いになったジンに、エイキが少し怒気を含んだ声で言う。

「掃除が終わらなきゃ話も始められないでしょう。私だって忙しいんです。修義の法科の復習をやらなきゃいけないんですから」

「あんなもんは、口頭試問前に八聖法を丸覚えすりゃ済むだろう」

「エイキ様はそうでしょうとも。それができないから、復習しなきゃいけないんです」

 エイキは履修している全ての科目で首席か次席を占めており、朱家の総領という身分を除いても特別な存在、悠国修錬舎史上でも指折りの英才なのである。

 ジンはエイキとはできるだけ視線を合わさず、ひたすら床板に雑巾で直線を描く作業に没頭した。法科の勉強をするつもりだったのは嘘ではないが、口実でもある。四宮筆頭朱家の長子が四つん這いで床掃除をしている脇で、突っ立ったまま見下ろしているわけにはいかない。本来なら床掃除の代わりを申し出て、エイキ様にはお待ち頂くのが浮世の常識と言うものだ。が、この非常識な若い貴族は、決してその申し出を受け付けないどころか、その提案を口にしただけで激怒するだろうことも、経験上よく分かっている。となれば、せめて姿勢を低くして床でも拭くよりしかたがない。

 全ての窓がよろい戸で光を遮られているため、道場は薄暗く、まだ若者たちの熱気や体臭が残っている。二人は黙々と床を這い、拭き続けた。雑巾からは埃の臭いが立ち上がり、吹き出てくる汗が目にしみる。隅々まで丁寧に磨き上げた床の中央で、エイキは寝転がって大きく伸びをした。床板が黒々と光り、蘇ったような木の香りが鼻をくすぐる。開け放った入り口から冷たい風が抜けるのが心地よい。ジンは正座してエイキの話を待った。



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