オイシーダケ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん……もう外から虫の声が聞こえてくるようになったか。本格的な夜長にはまだ早い気もするけど、彼らもまたせっかちなのかな。
虫たちなどは、その声を多く繁殖に役立てるという。ときに仲間や外敵へ警戒を促したりはするけれど、どのようなやりとりをしているかは、おおよそ想像の範疇だ。
過去の記録、経験。これらから多数派に合致する内容に、僕たちは予想しがちだろう。
けれど中にはオンリーワンの、特殊な性質を持つものも存在する。出くわしたらラッキーだったか、あるいはアンラッキーだったか。普段の自分の心がけに問いてみるより、ないだろうね。
僕の聞いた、奇妙な虫の音に関する話があるんだけど、耳に入れてみないかい?
セミの鳴き声といって、君が思い浮かべるのはどんなもの?
ジージーとか、ツクツクボーシとか、オーシーオーシーとかだろうか。
けれど、僕たちの地元だとひとつ注意しておきたい鳴き声があるんだ。
「オイシーダケ、ホイホイホイ」というもの。
……うん、そう。オイシーダケ、ホイホイホイ。はじめて聞いたら笑っちゃうでしょ?
けれど、この鳴き声をするセミがいるときはとある不思議なことが、起こるかもしれない前触れなのだという。
伝わっている話のひとつは、こうだ。
むかし、嵐の直後に苗をもつ野菜がほぼダメになるほどの被害が出てしまったらしいんだ。地面をまるごと掘り起こすような、強烈な風をともなうものだったとか。
それらを確かめる前の晩、雨風をしきりに気にする人々の耳に、あのセミの声が届いたんだ。「オイシーダケ、ホイホイホイ」というものがね。
天井や壁板を揺らす風雨を超えて、耳へ飛び込んでくるものだ。相当の音量なのだろう。
このような荒天で、どうしてここまで声が響くのか。相当に数がいるのかと、いぶかしむ人も多かったとか。
ぽっくり逝ってしまった作物の処理が終わった、昼過ぎのこと。
飯を食べようと、一休みをしていた人たちは、またあの声を聞いた。
「オイシーダケ、ホイホイホイ。オイシーダケ、ホイホイホイ……」
田畑から外れる、林の一角。その奥から集中的に声が届いているようだった。
さらによく聞いてみると、セミの立てるものとは別の質を持つ音も混じっている。
人の声帯。明らかに、人間ののどから意識的に発している濁りが感じられたんだ。
確かめようと林へ足を向ける者もいたが、その足音を耳ざとく聞きつけてか、ぴたりと声はやんでしまい、そばにいる限りはまた立とうとすることはなかったとか。
――明らかに、つがいを求める意味で発しているのではない。
そう感じつつ林をいったんはめぐるも、それらしいセミや人の姿は見えず。聞き間違いだったのかと、首をかしげながら人々は作業へ戻っていった。
被害の規模は甚大で、その日のうちにすべての処置をやり直すことはできないまま、日が暮れてしまったんだ。
ところが次の日。
目覚めた人々が田畑へ出てみると、昨日の仕事ができない分までが終わっているではないか。
最初、自分たちの記憶が誤ったのかと思ったらしい。本当は仕事を終えていたのに、まだやるものだと思い込んでいたのだと。
そうではないと確信していて信心深いものは、神様が情けをかけて手伝ってくださったと思ったらしいが、おそらくそれも違う。
昨日、子供に手伝わせたときに、誤って折れてしまった茎や、壊れてしまった用水路の一部まで完全に直っているんだ。
新しい修繕のあともなく、まるでダメになる前のものが元へ戻ったかのようだったとか。
この不可思議な現象に、ますます皆は首をかしげるものの、さらに一日が経つと不思議なことを証言する若者が現れた。
村の中でも、外れの方に位置する家に住む彼は、夜中に木を切り倒されるような音を近くで聞いたらしい。
不審に思って家の外へ出たところ、物陰にひそんでいたと思しき影に、後ろから取り押さえられてしまったそうなんだ。
口を手で塞がれるとともに、のど元へ当てられる硬くて冷たい、金物の感触。「刃」と認識したときには、一気に身体が縮こまるのを感じた。
ヘタに抵抗すれば命はない。引きずられるまま家から遠ざけられ、林の中へ。
それはあのセミの声がした林だったけれども、その時はそこまで気が回らない。
自分をさらう当人は歩き慣れていないと見えた。樹の根っこに足を取られ、いら立ち紛れに振るった刃が枝葉を落とし、また自分ののど元へ戻される。
おそらく、ここに自分の死体を隠すのだろうと、若者が察したところで。
「オイシーダケ、ホイホイホイ」
「オイシーダケ、ホイホイホイ」
不意に例の声が響き渡り、林全体が揺れたかのように思えた。
自分を引っ張る力が消える。当てられていた刃が消える。口をおさえていた手も。
自分を襲った者は、影も形もなくなっていた。どこへ走り去っていった気配もないままに。
声の止まないうちに家へ戻った若者だが、その途中で確かに切り落とされていた枝葉が、元通りになっているのを、チラリと見たらしいのさ。
あれは、単に不足をつぎ足したり、直したりするものじゃない。
あの人に似たものが混じる鳴き声が響くその時に、一帯の状況を戻すのではないかと若者は思ったらしいのさ。そこにある物や命さえ、お構いなくね。




