其の拾
物柔らかな空気が滞留するようになってしばらく。季節は晩春を迎え、次の初夏に向かおうとしていた。私は相変わらずサラリーマンをこなしながら沖田君や土方君たちと時に美味を食しながら歓談していた。ある日の夕刻、ガレットを紅茶で食べながら、私は土方君の物言いたげな視線に気づいた。美味しいからあげないぞ? 必死に私は自分のガレットを死守する気迫を籠めて土方君を睨んだ。ちょっと呆れた顔をされた。
その深夜、翌日が休みということもあり、書斎で沖田君や土方君の研究をしていると、ふと気配を感じた。そこには憂愁の面差しで立つ土方君が。
「ぎゃあ、出たぁ!」
「変わんねえなあ、いや、変わったのか?」
独りぶつぶつ言う彼に、私はまだドキドキしている胸を押さえて苦情を言った。
「いみじくも新撰組副長ともあろう者が、幽霊の真似で民間人を驚かすのは良くない」
「幽霊なんだが」
「あ、そっか」
ポンと手を打つ。そして近くの丸椅子をガガガと動かした。
「まあ、座ってよ。私に重要な話があるようだね」
「ああ……。総司のことなんだが」
「蒼?」
「いや、死んでるほうだ」
妙な言い方だが話は通じる。
「沖田君がどうかしたのかい?」
「もうすぐ消えるぞ」
私は一瞬、言われたことが理解出来なかった。だって沖田君は既に一度、私の目の前で消えたのだから。
「生まれ変わりの猶予期間があってな。本来なら三歳までの筈だが、あいつは妙に長い。まあ、色々特殊な奴ではあるしな」
「消えて、次はいつ出てくるんだい」
嫌な予感を覚えながら訊く私を、土方君が哀れむ目で見た。
「未来永劫、消える。蒼として完全な生まれ変わりを遂げる。じゃなきゃこれ以上は総司が蒼を食っちまう」
「……いつ消えるんだい?」
「明日」
「嘘だ!」
「嘘じゃねえよ。これをあんたに話す役割を斎藤と押し付け合ったんだ。松の葉の相撲で負けたから俺が貧乏くじを引くことになったが」
松の葉っぱを組み合わせて強く引き、先に千切れたほうが負けというあれか。
「それにしたって。それにしたって急じゃないか」
「ぎりぎりまであんたに言うのを躊躇っていた。俺も、斎藤も」
ぎりぎり過ぎるよ……。
苦い役目を終えた土方君が消えたあと、私は蒼の寝顔を見に行った。女の子のような顔が、今は健やかな寝息をたてている。私はしばらく蒼の顔を撫でたあと、急にがくりとくずおれた。
そうか。また逢えるということは、再び喪うということでもあるのか。三歳までは神の内と言う。沖田君はそれでも長い時間を大層、粘ってくれたのだ。
翌日は急遽、バーベキューをすることになった。妻には沖田君の話をしてある。涙ぐんで、仕方ないことなのねと彼女は言った。
雲一つない空は青と薄緑が混じっている。肉の焼ける香ばしい匂いが否応なしに食欲をそそる。土方君と斎藤君にバーベキューの手順など期待するべくもないので、結果として私と妻が忙しく立ち働くことになる。沖田君もふわふわと出てきて、蒼と輪郭がだぶっている。……もう彼に逢えない、という事実が例えようもなく辛い。そう思いながらも食欲は正直で肉やソーセージ、玉葱やピーマンなどをもしゃもしゃ食べる。ビールも呑む。呑まずにいられるか。
…………呑まずに、いられるか。
やがて恐れていた宴の終わりがくる。
沖田君が私に向けてにっこり微笑んだ。ああ、君も解っているのだね。
今日を以てして、沖田総司という人格は砂塵の如く消える。
さらり、さらりといつかを彷彿とさせるように、沖田君の輪郭が透明に近づいて行く。
「総司!」
妻が沖田君に駆け寄る。ほとんど形を留めない彼を抱き締める。嘗て、自らの……だった沖田君を。沖田君は微苦笑して妻を緩く抱き返す。
そして消えた。
後には何も残らなかった。永劫に、さよならだ。沖田君。
私は君の生まれ変わりである蒼を、妻と一緒に大切に育てていくよ。
泣き出す妻を、私は抱き締めた。壊れ物のように、そっと。
「最後を譲ってくれてありがとう」
「良いさ」
涙声の妻に答える。土方君と斎藤君も、沈痛な表情だ。一人、誰より渦中にあった蒼だけが、きょとんとした顔をしている。
さようなら、沖田君。昔日の我が同胞。弟のように思った君よ。今日からは君の分も、蒼に愛情を注ぐと約束する。
この日記を愛すべき天才剣士に捧ぐ。
了
今までお付き合いいただきありがとうございました。
沖田君は消えますが、蒼の中で生き続けます。




