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大陸には四つの国が領土を確立し、それぞれの文化を発展させていた。北の国 ノーヴァ、南の国 サルベスト、東の国 イスタジア、西の国 ウェルトン。これらはそれぞれが互いに牽制し合うことによって均衡を保ってきたが、大陸歴18××年、四つの国と異なる性質によって台頭する勢力が誕生したことにより、均衡は崩れ、大戦と呼べる争いが続く。
「――その大戦を人々は魔術大戦と呼び、長く言い伝えられている……なんて、いきなりどうした、こんな所で歴史のお勉強とは。明日はテストか何かなのかなー、イグノル」
「茶々を入れるな。自堕落な生活が長すぎて使い物にならなくなっていては困るから直々にこの私が」
「ハイハイお気遣い痛み入るね。勿体つけずに早く本題に入ったらどうなんだ」
面倒そうに手を振って男が次を促す。イグノルと呼ばれた方の男は気を取り直すように咳ばらいをし、話を続けた。
「ウェルトンが魔術の発展を極めたのはその際だ。正式な魔術式の構築、それを啓蒙する教育機関の設立に魔術師協会。大戦が行われた五年の間ですべてが加速的に動いた。相手を含めてな」
一息入れるため、イグノルは部屋の中央にその存在を主張する大テーブルに置かれていたマグカップを取った。
二人が居るのはウェルトンとサルベストとの国境地帯に生殖する森に建つ小屋で、男の家でもある。部屋の中は雑然としていて大半を分厚い辞書のような本が占めていた。
「人型魔力増幅装置、だったか。悪趣味なもんつくりやがる」
大戦時、一度に多くを抹殺する出力の魔術を放ち続ける為、魔術の力の根源たる魔力を持続的に生み出し増強するための魔法生命体がつくられた。人型を模したそれに感情は無く、知識のみを与えられた人形は命令を遂行するまで止まらない。
「装置は十年前に全部破壊した。それは俺もラベッカも確認した。嘘は無い」
「疑うつもりはない。お前たちが国を欺くなどある筈がないのだから。そうではなく、近頃妙な話を協会内で聞いてな。そのうちお前にまで話が回ることがあるかもしれない」
イグノルはマグをテーブルに戻し、椅子に掛けていた外套を羽織った。
「もう行くのか」
「こんな辺地に長居しては精神に毒だ。…邪魔をした」
聞きなれたとばかりに男はイグノルの悪態を手で払う。
それを目の端で見ていたイグノルだったが、やがて閉まる扉の音が室内に短く響いた。
一気に静まり返った室内で、男は自分のマグを取って口をつけた――途端、ピクリと片方の眉を上げ左右非対称な顔を顰めさせた。
「……砂糖入れ忘れた」
情けない呟きがぽつんとこだました。
寒冷の地。それがいつ現れたのか、誰が名付けたのか知る者はいない。しかし今もなお、地図上に存在する島。
この島の出現から二日、ウェルトンの半分が火の海に抱かれ、 多くの民が焼かれた。
ウェルトン上空を走る光を、誰かが天の使者だと言った。光が降り立った瞬間、人の形をした影を見た者があったからだ。
煌々と燃える人影が一歩を踏む度に土が焼ける。呼吸をする度に炎が膨らんで、火の粉がはぜた。炎の使者は天に還らず、最後は皆、地上で散った。
パチン パチン パチ――
「――ぃン。火花散る夕暮れの地平線…僕はまだ其処に居る」
語り終わって少年は口をつぐんだ。そして茂る木の葉の隙間から空を見上げ、大きな鳥が鳴き声をあげながら頭上を通過したのを見送った。
――もう何日が過ぎた。
木箱の中で波に揺られていた間、ずっと眠っていたのか時間の感覚が曖昧であった所為で太陽が何回顔を出したのか、月が何度太陽を追いかけたのか知れない。
ただ分かる事と言えば、この土地は暑い。昼も夜も暑い。
碌な物を腹に収めていないはずなのに、進む足は重くて怠くて、これ以上進めないのではと思うのだけれど、とにかくひたすら歩いた。
「僕は何でか…此処に居る」
不意にこぼれ出た言葉が渇いた喉をさらにひりつかせて咽そうになって、えづくふうに身体を折った。
だめだ……目がかすむ。頬もなんだか震えが止まらなくて、ひくひくと痙攣する。
二、三歩前のめりに歩いたところで少年は力尽きた。膝から崩れ、口の中に土まじりの砂の味がした。
瞼が完全に閉じきる前、何か大きな物が自分の正面に立つのを感じた。それはしきりに身体を揺らして少年に訴えかけているようだったが、満足に音を拾えない耳にその声が届くことはなかった。