変装
今回も楽しんでくれると嬉しいです。
祭りに行くーーそう決めてからのアシュレーは、早かった。
風邪を装い、今日ある全ての授業を断り、部屋にアリア以外、誰も近づかないように侍女たちに命じた。
ーー風が感染るといけないから、父親も絶対部屋に入れてはいけない、とも。
まあ、あの父親の事だーー娘が風邪を引いた程度では、尋ねて来まい。
そうして、ある程度の根回しを終えたアシュレー。
後は、服を着替えて、バレないように、外出するだけなのだがーー。
「ーー正門も西門も、無理……」
ポツリと呟き、頭を抱えるアシュレー。その表情は、酷く曇っている。
この公爵邸の敷地は、周囲を高い塀に囲まれており、外出する為には、正面か西にある門を通らねばならない。
だが、当然ながら、両方の門には門番がおり、人々の出入りを見張っている。
此処の警備は、かなり厳しい。正体をバレずに、門を潜る事など絶望的だ。
「はぁ……」
部屋の中で一人、小さくため息を吐き、アシュレーは長い睫毛を伏せる。
ーー祭りに行きたくても、敷地から出られないのであれば、意味が無い。
諦念と共に、無力感が押し寄せる。そうして、椅子に深く体を沈めた時だったーーコンコンと扉をノックされたのは。
ーー顔を見なくても分かる、アリアだ。
つい先ほどから、アリアはアシュレーの頼みで、公爵邸を出払っていた。
服や靴を用意して貰っていたのだ。ドレスしか持っていないアシュレーの為に、民が普段から着ているような服を……そして、靴を。
「アリア、入って。」
顔を上げ、扉を見つめる。そんなアシュレーの言葉と共に、扉をノックした人物ーーアリアは部屋に入って来た。
手に二つの袋を持って。
「アシュレー様。只今、戻りました。」
穏やかな表情で一礼し、アリアが言う。そんな彼女に、アシュレーは先程までの険しい表情を打ち消して、穏やかな表情を向けた。
「ご苦労様、アリア。」
労いの言葉に、アリアはふわりと微笑む。そして、アシュレーに近づくと、片方の袋を手渡した。
「ご希望通りの物を、ご用意致しました。」
その言葉に、アシュレーは咲き初めの花のように、笑った。
「ーーありがとう、アリア。」
ギュッと、貰った袋越しに服・靴を抱きしめ、目を閉じる。
アシュレーには、この服と靴が、自由の象徴のように思えて仕方がなかった。
曇っていた心が、段々と晴れていく。そんなアシュレーに、アリアは微笑みながら、更に言葉を続けた。
「アシュレー様、更にこんな物も、ご用意してみました。」
「えっ?」
驚きの声を上げながら、パチリと目を開けて、顔を上げる。
そんなアシュレーに、アリアは残った袋の方から、中身を取り出すと、アシュレーの眼前に掲げた。
「……!」
驚きで、目を瞠る。それは、毛の塊ーー鬘だった。
黒い毛で作られており、一目で上質な物だと分かる。
「こ、これは……」
固まり、戸惑うアシュレー。そんな彼女に、アリアは鬘を手渡すと、微笑み、口を開いた。
「アシュレー様の容姿はとても目立ちますからね……街へ行くには、少しでも変装した方が良いと思いまして……これを、買ってみたんです。」
金髪碧眼ーー確かに、アシュレーの纏う色彩は華やかで、人目を引く。
現に彼女は、その色彩と天使さえも羨む美貌から、ローデンヴァージャの宝石とまで呼ばれた。
だが、しかし、アシュレーには自分の容姿が秀でているという認識は無かった。
ーーまぁ、金髪が派手で目立つ、という認識くらいは持っていたが。
「鬘……」
ポツリと呟き、まじまじと凝視する。そして、数十秒後、アシュレーは、アリアに手伝って貰うと、思い切って、鬘を被った。
初めての感想は、違和感がある、だ。しかし、耐えられない程ではない。
「アシュレー様!黒髪、とてもお似合いですよ!!」
直ぐ傍で、目を輝かせて、声を弾ませるアリア。そんな彼女に、アシュレーの頬が染まる。
ーーまるで、別人になったみたいで、気恥ずかしい。
「か、鬘、ありがとう、アリア。」
頬を染めながら、はにかみ、礼をする。そんなアシュレーに、アリアは嬉しそうに微笑んだ。
日向のように温かく、穏やかな空気が流れる。そうして、数分の時が流れた時だーー唐突にアシュレーは、先程の事を思い出し、柳眉を下げた。
変装できても、街に溶け込む事が出来ても、外出出来なきゃ意味がないーー。
そんな根本的な事を、たった今、思い出した。
「ねぇ、アリア……」
「はい、アシュレー様。何でしょう?」
「私ね、貴方が衣服を用意してくれている間、ずっと考えていたの……この敷地から出る方法を。でもーー」
何も、浮かばなかったーーそう、アシュレーは言おうとした。無力感に苛まれながら、表情を暗くして。
だが、その言葉を遮って、アリアは口を開いた。
不安の色などない、落ち着いた表情で。
「心配ありませんよ。アシュレー様。」
「えっ……?」
顔を上げて、目をパチパチと瞬かせるアシュレー。そんな彼女に、アリアは切ない笑みを浮かべると、言った。
ーー秘密の抜け道があるのだ、と。
§§§§
焦茶色の編み上げブーツ。白いシャツの上に来た、桜色の鮮やかなジャンパースカート。胸元を彩る碧色のブローチ。丈がウエストよりも短い、濃藍のボレロには、金銀で精緻な刺繍が施されている。
それは、清楚な民の装いだった。アシュレーは、鏡に映る己の姿を見つめながら、高鳴る胸を押さえた。
「可愛い……!!この服、とっても!!」
ドレスしか着た事が無い自分にとっては、初めての装いだった。アシュレーは、弾む心を押さえながら、鏡の前でくるりと回ると、ふわりと微笑んだ。
その傍では、頬を上気させたアリアが、鼻息荒く、佇んでいる。
「アシュレー様、とてもお似合いです!!まるで、下町に迷い込んだ天使……いや、女神様のよう!!美し過ぎて、目が眩みます!!」
拳を握りしめ、勢いよく褒め言葉を連ねるアリア。そんな彼女の言葉の数々に、アシュレーの頬が染まる。
確かに、民の装いをしたアシュレーは、大変美しかったーー少々、大袈裟なアリアの言葉も、思わず、納得してしまう程に。
「あ、ありがとう、アリア。」
未だ、褒め言葉を連ねるアリアに、アシュレーはポツリと呟く。そうして、二人はかつてない程、浮かれた。
アシュレーは、鏡の前で何度もクルクルと回り、アリアはそんなアシュレーを褒め続けた。
だが、しかしーーそれも数分後には、終わった。
ーー目的を思い出したアシュレーが、我に返り、顔色を変えたからだ。
「ア、アリア……!!お祭り!!早く此処から出て、お祭り行かないと……!!こんな事、している場合じゃ無いわ!!」
酷く焦った声色に、アリアもハッと我に返る。
「そ、そうでした!!余りにも、アシュレーのお姿が尊くて忘れていました……申し訳ございません、アシュレー様!!今直ぐに、抜け道がある場所へとご案内致します!!」
その言葉に、アシュレーは頷く。そして、アリアと共に扉へ向かおうとしたーーが、不意に、足を止めた。
「……アリア、少し待って。」
ポツリと呟き、体の向きを返る。そして、アシュレーは、戸惑っているアリアを他所に、何を思ってか、窓際にある机へと近づくと、その上に置いてあった、小さな木箱を手に取った。
それは、桔梗が彫られた美しい木箱だった。アシュレーは暫し、その木箱を眺めた後、優しい手つきで蓋を開けると、中に入っていた物を取り出した。
ーーそれは、一つの指輪だった。大粒のサファイアが嵌め込まれた、金の指輪で……アシュレーの宝物。
母・ルシアの形見。
アシュレーは、何かを祈るように、その指輪をギュッと握り締めた。とても切ない表情で深く。
そして、数秒後、祈るのを終えたアシュレーは、指輪を銀のチェーンに通すと、服の中に隠すようにして、首元に下げた。
「……アシュレー様?」
戸惑うアリアの声が、背後から聞こえる。それに、アシュレーは振り返ると、微笑んだ。
「ーーアリア、行きましょう。」
強い決意が込められた声色が響く。そうして、アシュレーは、扉を開けると、アリアと共に一歩を踏み出した。
悲劇だった運命を変える為に。
ーー今度こそ、幸せになる為に。
次回も読んでくれると嬉しいです。