決意
楽しんでくれると嬉しいです。
ーー我が家の恥晒しが。
あの日ーー王様の二人目の子が産まれた日、頬を叩かれ、吐き捨てられた言葉を、私は今でも覚えている。
「お父、様……」
父親の姿に、目を見開き、アシュレーは唇を震わせる。
久しく見るその姿は、やはり若返っているが、冷たい眼差しだけは変わっていない。
体が、硬直する。そんなアシュレーを、エリオットは冷ややかな目で見下すと、口を開いた。
「アシュレー……お前、早朝倒れたそうだなーー今日は、王太子との顔合わせがあったというのに。」
「ーーえっ?」
感情の感じられない無機質な声よりも、その言葉の内容にアシュレーは反応する。
ーー今日は、王太子……つまり、リーゼハルトとの顔合わせの日だった?
やはり、時は戻っているーー十五年前の十歳の日に。
……奇跡が起こった。
そうして、やっと時が戻った事を確信する。そんなアシュレーに、不意にエリオットは近づくと、強い力で顎を掴んだ。
強引に顔を上げられる。その痛みと恐怖に、アシュレーは我に返った。
間近に、父親の端正な面立ちが迫る。恐ろしい青紫色の瞳に、鋭く見つめられる。
この父親の全てが、恐ろしく感じられて仕方がない。
そんな酷く怯えるアシュレーに、エリオットは吐き捨てる。
「ーーお前は、私の面目を潰した。」
その底冷えするような声色に、アシュレーは思い出す。
ーー我が家の恥晒しが。
王妃であった時、ゴミを見るような眼差しで、残酷な言葉を吐き捨てられた事を。
「ッ……」
全身から血の気が引く。紺碧の瞳が、恐怖に染まる。そんな青褪めるアシュレーに、エリオットは話を続ける。
「良いか、よく聞け。お前と王太子の顔合わせは、来週改めて行う事となったーー今度こそ、私に恥をかかせるな。」
乱暴に、顎から手を離される。そうして、エリオットは踵を返すと、部屋を出て行った。
静寂が、辺りを包む。一人残されたアシュレーは、顔を歪めると、ポツリポツリと涙を零した。
悲しい。奇跡が起こって、時が戻ったというのに。
ーー父親に愛されていない事を、改めて実感して、どうしようもなく悲しい。
嗚咽を漏らす。そんな時ーーアシュレーは、不意に一人の女性を思い出した。
美しく優しかったあの人の事を。
「ッ……お母様……」
ポツリと呟き、顔を歪める。
どうせなら、もっと昔ーー母親が生きている時に、戻りたかった。
六歳の時に、病気で死んでしまった母。美しい黒髪に、紺碧の瞳を持ち、ローデンヴィージャの華と呼ばれた女性。
彼女だけは、深く愛してくれていた。有り余る程の愛情を注いでくれた。
「お母様ッ、会いたいよ……」
ベッドに蹲り、シーツを濡らす。そうして、アシュレーは孤独感と寂しさに苛まれながら、眠るまで、ずっと泣き続けた。
『ーーアシュレー……アシュレー、目を開けて。』
鈴の音のような、美しく心地よい声が耳元で響く。
「んっ……」
その声に反応して、アシュレーはゆっくりと目を開ける。そして、大きく目を見開いた。
目の前にいる人物を見て。
「な、ぜ……」
幾筋もの涙が頬を伝う。胸が酷く高鳴る。
アシュレーは、これが夢だと直ぐにわかった。
だが、夢であってもーーどうしようもなく嬉しかった。
「ーーお母様ッッ!!」
涙を零しながら、叫ぶ。そんなアシュレーに、目の前の女性ーーアシュレーの母親・ルシアは、優しく微笑んだ。
『おいで、私の可愛い娘。』
その言葉と共に、ルシアがゆっくりと腕を広げる。そんな彼女の胸に、アシュレーは泣きながら飛び込んだ。
「お母様ッ……お母様ッッ!!ずっと、ずっと会いたかったッッ!!」
泣きじゃくるアシュレーを、ルシアは強く抱き締める。
『アシュレー、私もよ……ずっと、貴方に会いたかった。』
その言葉に、アシュレーは耐えていた感情が溢れ出した。
「私ッ……ずっと、ずっとッ……寂しかったッッ!!誰にも愛されなくてッッ……愛して貰えなくてッッ……哀しくて堪らなかったッッ!!」
ボロボロと大粒の涙を零しながら、訴える。ルシアは、そんなアシュレーの背を優しく摩った。
『ごめんね、アシュレー……貴方を置いていってしまって。』
「お母様ッ……これからは、ずっと傍にいて……私を離さないでッ……!!」
その言葉に、ルシアは動きを止める。そして、優しくアシュレーを引き離すと、口を開いた。
『アシュレー……ごめんね。それは、出来ないの。』
「どうしてッ……どうしてッッ!!」
『ーー貴方がまだ、幸せになっていないから。』
その言葉に、アシュレーは目を見開く。ルシアは、そんなアシュレーの涙を優しく拭うと、微笑んだ。
心から慈しむように。
『アシュレー、どうか幸せになって。』
息を呑む。そんなアシュレーに、ルシアは話を続ける。
『ずっと、ずっと願っていた……貴方が幸せになる事を。死んだ後も、ずっと。』
「お母、様……」
頬を涙が伝う。
アシュレーは、父親・エリオットと全く似ていなかった。故に、ルシアは不義を疑われ、酷い扱いを受けた。
アシュレーの所為で、ルシアは辛い人生だった筈だ。なのに、何故こんなにも自分を愛してくれるのかーーアシュレーは、分からなかった。
「何故……何故、お母様は……こんなにも私を愛してくれるのですか?」
その問いに、ルシアは微かに目を見開いた後、直ぐに笑った。
『ーーそれは、勿論。貴方が、私の大切な子供だからよ……貴方と出会えて、私はとても幸せだった。』
そして、ルシアはもう一度アシュレーを抱き締める。
『私の可愛い娘、アシュレー……幸せになって。私は貴方の幸せを心から願ってる。』
「お母様……」
『どこにいても、心の底から愛してる……愛してるわ。』
その言葉を最後に、意識が再び、遠くなっていく。アシュレーは、母の温もりを感じながら、静かに目を閉じた。
§§§§
「お母様……」
夜、目が覚めたアシュレーは、夢で出会った母の言葉を思い出しながら、涙を零していた。
胸がどうしようもなく温かくて、苦しい。
アシュレーは温かな感情に包まれながら、暫くの間、涙を零し続けた。
そして、泣き止むと、顔を上げて、決意した。
ーー今度こそは、絶対に幸せになろう、と。
次回も読んでくれると嬉しいです。