現実
楽しんで頂けると嬉しいです。
「ーーどういう、事?」
驚愕に表情を染めながら、ポツリと呟き、アシュレーは鏡を凝視したまま、震える。
訳が分からなかったーー幼い顔、小さな体、全て。
大体、自分は何故、生きているのだろうか。
四階からーーリーゼハルトの目の前から、飛び降りた筈なのに。
訳が分からない事が多すぎて、頭がぐらぐらと揺れる。動悸が早まる。
「ッ……」
「アシュレー様ッ!!」
混乱に耐え切れず、体が力を失い、崩れ落ちる。アリアは、そんなアシュレーに悲鳴を上げると、駆け寄った。
ギリギリのところで、アリアに抱き留められる。アシュレーは、そんなアリアの姿を、遠くなっていく意識の中で、ぼんやりと見つめた。
ーーこれは、神様が見せてくれた夢だろうか。
アシュレーの頬に涙が伝う。
これが夢だとしたらーー神様、ありがとう。
もう一度、アリアに会わせてくれて。
彼女の事だけが、心残りだった。結婚もせず、ずっと尽くし続けてくれた彼女の事だけが。
ふわりと笑う。そうして、アシュレーはアリアの必死な叫び声を聞きながら、意識を失った。
『ーーふふっ、お可哀想ね……王妃様。』
きつい香水の匂いが広がると共に、嘲笑が耳に付く。
王の愛妾の一人ーーエリカは、前髪を掻き上げながら、勝ち誇った笑みを浮かべるとアシュレーに言った。
その傍には、取り巻きとして二人の王の愛妾がいる。
『王妃でありながら、王に愛されず、未だに子が産めないなんて……ローデンヴィージャの宝石も大した事無いですわ。』
『ふふっ、本当ですね……親である公爵様にも、王妃様は見捨てられてしまった様ですし。』
クスクスと笑いながら、エリカの取り巻きもアシュレーを侮辱する。
エリカ達は、公爵に見捨てられたアシュレーをいつも侮辱した。
嫌がらせをし、嘲笑い、蔑んだ。
だが、アシュレーは何も言い返さなかった。
ーー全て、真実であると思えたから。
長い睫毛を伏せる。ギュッと拳を握りしめる。
そうして、アシュレーが一人耐えていた時だーー。
『ーー貴女達、やめなさい。』
唐突に背後から、玲瓏たる女性の声が響いた。
顔を上げ、アシュレーはゆっくりと振り返る。其処にいたのは、一人の美しい女性だった。
僅かにウェーブのかかった銀糸の髪。新緑のようなエメラルドの瞳。ぱっちりとした大きな目。熟れた果実のような唇。
まるで女神のように眩い美貌だった。アシュレーは、そんな彼女の事をよく知っていた。
ーークロエ。
心中で、ポツリと呟く。それとほぼ同時に、女性ーークロエは、冷静ながらも怒らんだ様子で、此方に近づいた。
そして、アシュレーとエリカの間に割って入ると、エリカを鋭く睨み付けた。
『貴女達、王妃様に対して、何をやってるの?』
『別に……クロエは関係ないじゃない。』
『関係あるわ……王妃様は、尊ぶべき、この世で最も高貴なる女性よ。そんな人を蔑んでいる場面に出くわして、何もせずに居られる訳ないじゃない。』
そんなクロエの冷ややかな口調と気迫に、エリカ達はジリジリと退いていく。
『何よッ……王様の寵愛を一番に受けているからって、調子に乗らないでよ!!』
そんな捨て台詞を最後に、エリカ達は去っていく。
クロエは、そんな彼女達の去り際を一瞥すると、くるりとアシュレーの方を向いた。
『大丈夫でしたか、王妃様。』
途端、眩いくらいの華やかな笑みを浮かべる。アシュレーは、そんな彼女から目を逸らすと、唇を噛み締めた。
アシュレーはーー彼女・クロエが、誰よりも嫌いだった。
眩いくらいに芯が強くて、王から一番愛されていて、自分を慕ってくる彼女が。
ーー大嫌いだった。
「ーーんっ……」
小さく呻き、睫毛を震わせる。そうして、アシュレーは目を開けるとーーガバッと飛び起きた。
「此処ッ……私、はーー」
視線を巡らして、見えるのは先程と同じ、公爵邸の自室の内装ーーそして、先程と変わらない小さくなった手足。
ーー此処に来て、アシュレーは初めて気付く。
「……夢じゃなくて、私は本当に幼くなった?」
茫然としつつ、誰ともなく呟く。
夢じゃ無いとしたら、これは何だと、ある程度冷静になったアシュレーは考えを巡らす。そして、一つの考えが脳裏に浮かんだ。
「もしかしてーー時が戻った?」
そうだとしたら、アリアが若かった訳も、自分の姿が幼くなった訳も説明が付く。
だが、余りにも突拍子の無い考えだ。
強烈な戸惑いにアシュレーの瞳が揺らぐ。再び、ぐるぐると頭が回る。
そうして、再びアシュレーが混乱し始めた時だったーー突然、ノックもなしに扉が開いた。
突然の事にアシュレーはビクリと肩を震わせながら、視線を扉に移した。
そして、驚き、固まった。
無遠慮に部屋に入ってきた人物を見て。
ーー彼はアシュレーと似ていないと、言われ続けてきた。
顔貌、髪・瞳の色、纏う雰囲気、その全て。
「ーーアシュレー。」
鋭い眼光でアシュレーを見下ろしながら、呟いた男の名前は、エリオット=フォン=ルクリアス。
ルクリアス公爵家現当主であり、アシュレーを見捨てた父親だ。
次回も読んで頂けると嬉しいです。