願い
楽しんでくれると嬉しいです。
「ーーどう、して?」
王城のとある一室。国中の女が憧れ、羨望の眼差しを向けるその部屋に、女はいた。頬を涙で濡らし、儚く笑いながら。
その傍には、長年彼女に付き添って来た侍女が、同じく悲しみに顔を歪め、立っている。
今日は、とてもめでたい日だった。王様のお子が、また産まれたのだ。
城中が、歓喜に包まれていた。皆、手を叩いて喜び、満面の笑みを浮かべている。
ーー女と、その侍女を除いては。
ポツリポツリと涙が零れる。口元が歪む。
女は、精神的に衰弱し切っていた。窶れ果て、紺碧の瞳は力を無くし、金糸の髪も色褪せ、パサパサに傷んでいる。
ローデンヴィージャの宝石ーーそう呼ばれた面影は、今はもう無い。
そんな女の下へと、侍女は歩み寄る。そして、力無く頽れると、悲痛な声で叫んだ。
「ーー王妃様ッ……王妃様ッッ!!」
それは、この世で最も高貴な女性を指す言葉。
女ーーアシュレーは、王妃だった。富める国として名高いローデンヴィージャの国王の正妃。
だが、彼女は……愛されなかった。
王には、数人の愛妾がいた。今日、子供を産んだのは、その愛妾の内の一人だ。
王の子供は、既に四人いた。それぞれ、別の愛妾が産んだ。
だが、しかしーーアシュレーは、未だに子は産んでいなかった。
王は、アシュレーが王妃になってから、一度も彼女に触れた事は無かった。
「ーーアリア……私は、哀れね。」
遠くで歓喜の声が聞こえる。アシュレーは、ゆっくりと顔を上げると、侍女ーーアリアを見つめた。
その姿は、今にも消えてしまいそうな程、儚い。そんなアシュレーに、アリアは唇を震わせた。
「ッ……そんな事、ありません!!王妃様は、美しく賢い国一番の女性ですッ、哀れなんかじゃありませんッッ!!それなのに、何故ッ……何故ッッ、王様はこんなにも素晴らしい王妃様を蔑ろになさるのですかッッ!!王妃様は、本当に一心に、王様を愛していらっしゃるのにッ……!!」
その言葉に、アシュレーはふっと笑う。
確かに、ずっと愛していた。長年、ずっと想って来た。
ーー王様は、初恋の相手だった。
視線を下ろし、王妃の印である金の指輪を見つめる。
元々愛されてはいなかったが、未だに子を産めていない所為で、公爵である親には、無能だと見捨てられた。
大勢の民からは、哀れな王妃として同情を受けた。
この国では、正妃ではなく愛妾の子でも王位を継ぐ事は出来る。
故に、子を産めない王妃など、もう不要だーーそれなのに何故か、王は廃位してくれない。
未だに生き地獄を味わわせる。
私は、ただ王様に愛されたかっただけなのに。
「ーーねぇ、アリア……私は、どうして愛されなかったの?」
そう、アリアに問うと同時に、どうしようも無い悲しみがアシュレーの胸を突き抜ける。
もしかしたら、愛されるのでは無いかと、期待して生きて来た。
今日、来てくれなくても、明日なら来てくれる。明日来なくても、明後日なら来てくれる、と。
でも、全て無駄だった。
ーー彼を愛した事が、間違いだった。
一粒の涙が頬を伝う。アシュレーは、王妃の印である指輪を外すと、唐突にふらふらと立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。
「王妃様、何処へ……」
その問いに、答えず、アシュレーは歩き続ける……開け放たれたバルコニーの方へ。
ーーもう楽になりたかった。
ーー消えてしまいたかった。
零れ落ちる涙と共に、溢れ出す様々な想い。そんなアシュレーの想いに、アリアは気付くと、サッと顔色を変えた。
「王妃様ッッ!!いけませんッッッ!!」
そう叫んで、此方に駆け寄るとするアリア。そんな彼女に、アシュレーは振り返る。
儚くも美しい笑顔で。
「アリア、分かって。」
玲瓏たる声で紡がれた、たった一言。ただ、それだけの言葉で、アリアは頭が真っ白になり、体が動かなくなった。
アシュレーは、そんな彼女に向けて、今までの感謝も込めて、ふわりと微笑んだ。そして、再び歩き出す。
そうして、数十秒後ーー風が頬を掠める中、アシュレーはバルコニーに辿り着いた。手摺りを乗り越えると、下を見下ろす。
全ての物が、小さく見えた。此処は、四階ーー落ちれば、先ず助からない。
全てを諦めたアシュレーから、笑みが溢れる。外を掃除していた使用人達は、そんな危ういアシュレーの姿を見つけると、激しく騒ぎ出した。
「大変だッ!!王妃様がッッ!!」
「誰かッッ!!王様にお知らせしろッッッ!!」
様々な雑音が耳に届くが、関係ない。アシュレーは、未だ動けないでいるアリアを他所に、ゆっくりと目を閉じた。
ーーアシュレー、私と一緒に生きよう。
かつて、王様でない人に愛を囁かれた事があった。その人はもう亡くなってしまったが。
こんな思いをするぐらいならば、その人と一緒に、生きれば良かっただろうか。
後悔とも悲しみとも知れぬ涙が、頬に伝う。そうして、アシュレーは、手摺りを離そうとした。
その時だったーー。
「王妃ッ……王妃ッッッ!!」
唐突に、低い美声が耳に付く。それは、どうしようもなく聞き覚えのある声で……思わず、アシュレーは目を開けた。
そこにいたのは、黒檀の髪に金の瞳を持つ絶世の美男。
恋焦がれ、愛し続けたローデンヴィージャの国王・リーゼハルト。
その姿は、いつ見ても美しい。例え、乱れていても。
深い海の瞳で、彼を捉える。そして、アシュレーは、力無く笑うと、口を開いた。
「王様……リーゼハルト様。」
そんなアシュレーの落ち着いた声と相反して、リーゼハルトは酷く焦った様子で叫ぶ。
「王妃ッ、王妃ッッ!!此方へ戻るんだッッ!!」
そう必死にアシュレーに呼びかけながら、顔を歪め、此方に手を伸ばす。
まるで、生きて欲しいと願っているかのように。
「リーゼハルト様、何故……何故、そんな表情をなさるのですか?」
涙が頬を伝う。
訳が分からなかった。自分は疎まれている筈なのに。
厭われている筈なのに。
これでは、まるで、深く愛されているようではないか。
ーーそんな訳、無いのに。
ギュッと唇を噛み締める。そして、最後にアシュレーは顔を上げると、リーゼハルトに向けて、ふわりと笑った。
まるで咲き初めの花のように。
「リーゼハルト様、私は貴方にーー愛されたかった。」
愛され、子を産んでーー幸せになりたかった。
その瞬間、アシュレーは皆の視線を集めながら、手摺りから手を離した。
大勢の悲鳴が響き渡る。リーゼハルトの顔が、驚愕に歪む。
「ーーアシュレーッッ!!!」
叫び声と共に、伸ばされるリーゼハルトの手。だが、それは、アシュレーに届かなかった。
体が落下していく。その感覚を味わいながら、アシュレーは涙を零した。
そして、願った。
ーー幸せになりたい、と。
§§§§
ずっと鳥になりたかった。
何にも縛られず、自由に空を飛び、生きられたら、どれ程、幸せだろうかーーそう、いつも考えていた。
「ーー--ア……様!アシュレー様、起きて下さい!」
鳥の囀りが響き、窓から日が差し込む中、少女はベッドの上で、安らかに眠っていた。その傍では、少女の侍女が、彼女を起こそうと、体を揺さぶっている。
「んっ……」
心地よく聞き慣れた声に、眠気を遮られる。少女は、長い睫毛を震わせると、薄らと目を開けた。
そして、寝ぼけ眼のまま、ぽつりと呟く。
「アリア……?」
その一言と共に、少女はゆっくりと起き上がると、瞼を擦った。未だ襲い来る睡魔から、逃れるように。
そして、数秒後ーー今度こそ、はっきりとして来た意識と共に、少女はパッチリと目を開けた。
ーーそして、瞠目した。
「えっ……?」
其処にいたのは、確かに己の侍女ーーアリアだった。
だが、よく知ったアリアよりも、とても若かった。
恐らく、十歳以上。
衝撃が頭を襲う。その途端、少女は思い出した。
ーー王妃である自分が、バルコニーから飛び降りた事を。
「私、は……」
混乱しつつ、周囲を見回す。自分の顔をペタペタ触る……そして、その時、少女は気付いた。
ーー自分の手が、小さい事に。
余りの衝撃に、体が硬直し、息が詰まる。
そんな少女に、アリアは首を傾げた。
「アシュレー様、どうしました?」
「…………み。」
「えっ?」
「鏡ッッ!!!」
バッと先程まで寝ていたベッドから立ち上がり、部屋の隅にある鏡へと向かう。
そして、少女は自分の顔を鏡に映しーー愕然とした。
さらさらと流れる淡い金糸の髪。サファイアよりも濃く深い碧の瞳。パッチリとした大きな目。薔薇色の頬。真紅の唇。
その姿は、確かに十五年前と同じだった。
愛されなかった王妃・アシュレーはーー何故か十歳の姿に戻っていた。
次回も読んでくれると嬉しいです。