7.貴族派
今ならお店を取り戻せるかもしれないとフリードリヒは言った。
「イリス、君の母方の実家である男爵家とはモーリス男爵家のことでは?」
「あぁ!? モーリス男爵って言ったらうちを裏切って貴族派に寝返った家じゃねーかよ」
イリスの返事を待たずにヘンリーが声を上げた。
私もモーリス男爵という名は、ここ数か月の情報収集の中で耳にしたことがあった。
「モーリス男爵家なら私も少し知ってる。貴族派で、数年前まではボルドー公爵家の分家筋にあたる家門だったよね?」
今このベルン王国は、王家と二公爵家を中心とした『王族派』と、それに反する『貴族派』に分裂している。
ボルドー宰相とエヴァンス将軍の仲は最悪だが、王家を信望し国家の安泰を願う忠誠心には変わりなく、彼らを中心に国を動かしているのが王族派貴族たちだ。
しかしここ数年、王家の権力を削ぎ王を形だけの傀儡にして政治を行おうと動いている貴族たちが激増した。それが貴族派だ。
貴族派の中心人物はこれまたボルドー公爵家の傍流の家だった、ロベルト・コナー伯爵という。
コナー伯爵に関わらず、貴族派の連中は商売がとにかく上手く潤沢な資金を持っている。コナー伯爵はボルドー公爵家の傍流だったが、他国との貿易で巨万の富を得て、その金をばらまいて貴族派をまとめ上げた。
これに激怒したボルドー宰相はコナー伯爵家と絶縁したが、金の力は偉大でコナー伯爵は痛くも痒くもなかった。
コナー伯爵を中心とした貴族派をすべて把握できているわけではないが、スペンサー侯爵、ハミルトン伯爵、アイビー伯爵、グリーン子爵、ウォーカー子爵、サンダース男爵等々。
そしてモーリス男爵もボルドー公爵家の傍流でありながら貴族派に寝返ったし、どうもボルドー公爵家の系統から軒並み切り崩しに合っているという印象だった。
「そうです、母の弟だそうでウィリアム・モーリス男爵です。貴方はご存じなのですか?」
「まぁね、これでも王子だし国内の情勢は常に把握してないといけないから。王都の一等地に薬屋を構えている貴族派の男爵……かなりあくどい商売をしていると噂になっている」
「えっ……王子?」
そういえば名乗ってなかったっけ。
絶句するイリス。
ただでさえ零れ落ちそうなほど大きなお目目が、まだ大きくなったとかというほど見開かれていた。
「レディ、名乗るのが遅れて申し訳ありません。僕はこの国の第一王子のフリードリヒです。そちらは護衛騎士をしてくれている……」
「ヘンリー・ボルドーだ。親父は宰相のボルドー公爵。親父が本当に悪いことをしたな」
「私はセシル・エヴァンスです。父は将軍のエヴァンス公爵です。幼少のみぎりお父上にはお世話になったというのに、貴女の窮状をお助けできずに申し訳ありません」
三人が自己紹介したところで私も話し始めた。
「そして私はフリーデルト。フリードリヒ兄上の妹で、この国の第一王女」
「えっ王女様? 男の子じゃないの??」
おっと、普段からフリードリヒの服を着て男装しているせいですっかり忘れていたけれど、この美少年顔で男装していたらどう見たって男の子にしか見えない。
「紛らわしい恰好でごめん、ドレスって動きにくくて。兄上のお古を着させてもらってるんだ。あと単純にドレスが似合わない」
「そ、そうだったの。てっきり……てっきりとっても綺麗な男の子って思ってたから私……」
アイリスは“ガーン”という効果音が聞こえてきそうなほど、何か物凄い落ち込み様だった。
そりゃ美少年にしか見えないけどさ、女の子だったからってそこまで落ち込まなくたっていいじゃん。
「ごめんなさい、あっいえ、申し訳ございませんでした。皆様がそのような高貴なご身分の方々とは知らず、とんだご無礼を……」
「そんなことないよ、こっちは兄上を助けていただいて本当に感謝してるんだから。ほら、そんなに畏まらないで」
「フリーデルトの言う通りだ。私が夏祭りを見たくてこっそり城を抜け出したせいで、皆を危険に晒し迷惑をかけてしまった。助力いただいたレディには感謝してもし尽せない」
一般市民なら一生直接話すことのなような身分の人たちに囲まれて、イリスは完全に委縮してしまったが、フリードリヒの言葉で少し緊張が和らいだようである。
フリードリヒのこの命という件は言い過ぎのような気もしないでもないが、今まで傷つけられたことのない王子様にとっては確かに一大事だったよね。
「話を戻すぜ。モーリス男爵か、だったら親父はもう庇い建てしねーだろうな」
「そうだろうね。宰相は自分を裏切って貴族派に組した一族のことを庇うようなことは絶対にしない。いくらエヴァンス将軍とは不仲と言っても、裏切り者は許しはしない。だから今なら邪魔は入らない。モーリス男爵が占有している君の財産を返却するように申立てをしよう。王子である私も協力するから」
そう言ってフリードリヒはイリスの手を握りしめた。
イリスも希望が見えてきたような表情をしている。
しかしだ。そんなに甘い話ではない。
「兄上、それはどうでしょうか。モーリス男爵はかつてボルドー公爵を頼りエヴァンス将軍の追及をかわしましたが、今度は貴族派の中心人物であるロベルト・コナー伯爵を頼ったりはしませんか?」
そう話を振ればセシルもそれに同調した。
「確かにフリーデルト様の言う通りです。王族派のエヴァンス公爵が貴族派のモーリス男爵に手を出せば、ロベルト・コナー伯爵は黙ってはいないでしょう。モーリス男爵のやり方があくどいのは明白ですが、財産管理能力のない子どものイリスに代わって事業を取り仕切っているという大義名分があります」
実態はどうであれ、モーリス男爵が未成年のイリスの後見人となり財産を管理することは違法ではない。
「じゃあ何だよ、このままイリスは泣き寝入りかよ!? この分じゃイリスが大人になったって、男爵が店を返すわけないだろ。イリスはここでずっと飼い殺しだ!」
「私だってそんなことにはさせたくありませんよ。でも簡単にはいかないだろうという話です。ヘンリー貴方だってわかるでしょう? 貴族派に下手に手出しはできないことぐらい。連中は頭が切れます。ボルドー公爵家は散々傍流の家をあちらに取り込まれてきたじゃないですか?」
「うちだって何もしてこなかったわけじゃない!」
「よさないか2人とも!」
一触即発のヘンリーとセシルをフリードリヒが止めた。
いやはや本当にこの2人は相性が悪いな。セシルは煽るし、ヘンリーは煽り耐性が底辺だ。
正直言って今すぐにイリスのお店を取り返すのは無理だ。
だがモーリス男爵はイリスを隠しているというのは重要なポイントだった。
モーリス男爵がどういうつもりかは知らないが、イリスが治癒魔法を使えることを隠したがっているのは間違いない。
なら私たちはその逆をするまでだ。
「それならばイリス自身の身を王家で保護してしまえばいいのでは?」
「何? しかしフリーデルト、イリスは一般市民だよ。可哀想という理由だけでは王家が保護する大義名分が立たない」
「でもイリスは治癒魔法使いでしょ? 希少な希少な治癒魔法使い。それを”偶然発見した兄上が保護した”という名目なら問題ないでしょう」
イリスの力を公開してしまえばいい。
イリスの身柄を押さえること、原作でも教会がイリスの後ろ盾となっていたように、王家が後ろ盾となって、その後でモーリス男爵からすべてを取り返せばいい。
「正当な相続人はイリスだから。そのイリスさえ王家で押さえてしまえば、今はお店や財産を取り戻せなくてもイリスが成人すればモーリス男爵は手を出せなくなる」
更に畳みかけるように私は言葉を続けた。
「ちょっと厄介なのは教会かもしれません。教会はすべての魔法使いの情報を管理していますし、300年ぶりに現れた治癒魔法使いであれば教会も放ってはおかないでしょう。でも先に目を付けたのは私たち王家です。こういうものは早い者勝ちですよ兄上。今すぐにでも城に連れて行ったほうがいい。モーリス男爵や貴族派の邪魔が入らない内に」
元々そのつもりだったので都合がいい理由ができてよかった。
当初はお礼をするからとイリスを言いくるめて城に連れていき、治癒魔法使いであることを父王にばらして王城に留め置こうと考えていた。
その場合私はイリスに秘密をバラしたとして嫌われかねなかったが、この展開であれば事は穏便に進む。
フリードリヒたちはなるほどと言った顔をしているが、イリスは迷いがあるようだった。
これから自身を想像を超える変化が襲うのを感じ取ったのだろう。
間違いなくイリスの日常は激変する。
それでも結局最後にはイリスは首を縦に振った。
こうしてイリス・バートリーは私たちに連れられて王城に入ったのだった。
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