6.イリスの事情と王家の事情
イリスの治癒魔法は凄かった。
あんなにボコボコにされて不格好なジャガイモみたいになっていたフリードリヒの顔面は、あっという間に元の王子様フェイスを取り戻した。もちろん全身傷一つ残っていなかった。
意識を取り戻したフリードリヒは、果敢にもゴロツキたちに立ち向かった可愛らしい少女イリスが気になって仕方がない様子だった。
勝手に王城を抜け出したことをヘンリーとセシルに詫びつつも、視線はイリスを捉えたままだったから分かりやすい。
ちゃんと反省しろよ、王子様。
明らかに貴族の子供たちっぽい私たちに気を使ってくれたのか、イリスは家に入れてくれた。
家のあまりのボロさに驚きつつ、イリスが入れてくれたお茶を飲みながら一息ついていた。
「まさか治癒魔法使いがこんなところにいたなんて。初代の時代以来ではないか? それにこんな所に貴女一人で住んでるなんて……、ご両親やご親族はいないのか?」
王子の質問は最もな疑問だったが、少女が一人でこんなところに住んでいる理由は両親が死んでいる意外にはないと思う。
原作でもイリスの両親は王都でも指折りの薬師だったが早くに亡くなってしまった、という設定だったし。
結構そういうこと無神経に聞いちゃうよねフリードリヒは。
イリスは気分を害した様子はなかったが、深刻そうな顔をして話し始めた。
「両親は薬師をしていましたが、随分前に地方に薬を届けに行って事故で亡くなりました。母の実家は田舎の男爵家で、母は薬師の父と結婚するため駆け落ちして王都に移り住んできたと聞いています」
「もしや、薬師ってバートリー先生のことですか?」
バートリー! セシルからイリスの姓が出て驚いた。
それとイリスの母親の実家が男爵家という情報も初耳だった。
「はい! あの、父をご存じなのですか?」
「ええ、私も幼いころの話なので父から聞いただけで記憶にはないのですが。昔私は高熱で死にかけたそうで、いくら薬を飲んでも効かなかったと。しかしバートリー先生が調合した薬のおかげで助かったから、その恩をお返しするために父は王都の一等地を褒美に渡して薬屋開業の手助けをしたのだと。ただ……」
そう言ってセシルは顔をしかめ、いったん言葉を切った。
原作のセシルルートではそんなエピソードはなかったように思うが、イベント回収し忘れたのだろうか? 不思議に思いつつもセシルの話に耳を傾けた。
「ただそのお店はバートリー先生も奥方も亡くなってしまい、跡を引き継いだ男爵家が……乗っ取ってしまったようだと」
「乗っ取りだぁ!? なんでそこまで知っててお前の親父さんは助けてやらねーんだよ!」
ヘンリーが怒鳴るのも当然だ。セシルの父親は将軍だし、エヴァンス家は公爵だ。
公爵家が少し口を挟めば男爵家は手を引くか、適切な財産管理をするように第三者の監査の目を入れることができるだろう。
イリスの母方の親族であるという男爵家……、母親が駆け落ちして王都に出てきたということは仲がいいとは思えない。
両親が亡くなり幼い娘が1人。しかも王都の一等地のお店という財産がある。
これはキナ臭い。
「ヘンリー、まだ話は途中ですので静かに聞いてください。それに貴方の父上のせいでもあるんですよ?」
「あ? なんでうちが関係あるんだよ」
「もちろん父は店を乗っ取った男爵家に抗議しましたが、邪魔が入りました。男爵家はボルドー公爵家の傍流の家系で、男爵家がボルドー公爵家に泣きついたのです。エヴァンス公爵家から謂れのない抗議を受けていると」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神で、ボルドー宰相はエヴァンス将軍のやることなすこと全てにいちゃもんをつけて妨害をしてきた。
その調子で本当に悪いのは誰なのかもろくろく確認せずにとにかく将軍を邪魔したのだろう。
「この件にはエヴァンス公爵家の口を挟まれる筋合いはないの一辺倒で、バートリー先生のお店や残されたご息女については一切手も口も出せなくなった。そのように父が悲痛な面持ちで言っていたのをよく覚えています」
「親父ぃ……何やってんだよ……」
項垂れるヘンリーは、完全に意気消沈したワンコのようだった。
しかし、今まで黙り込んでいたフリードリヒが意外なことを話し始めた。
「いや、当時は無理でも今ならお店を取り返せるかもしれない」
「本当です!?」
イリスは感嘆の声を上げ、堰を切ったように一気に話し始めた。
「ここ、すごくボロボロでしょ? 元々両親が初めて薬屋を始めた場所なんです。田舎から駆け落ちして王都に出てきて、何とか買えたのがこの家なんです。でも公爵様のご厚意でとても良い場所にお店を出させていただけてからは、倉庫として使っていました。私は生まれてからずっとお店のほうで生活していたから、両親との思い出が残っているのはお店なんです。……今までは男爵様の言う通りに、治癒魔法使いは狙われるからって、私を“護るため”にここに隠れて生きるようにと。今日は使っちゃったけど、言いつけの通り魔法は使わずに。……でもやっぱりおかしいですよね? 私何度もおかしいと思ってお店を取り返したくって、でも怖くて言えなくて」
イリスはそこまで一気に言ってワッと泣き出してしまった。
さりげなくその肩を抱くフリードリヒ。さりげなさ過ぎてビックリしたわ、流石王子、その調子でイリスとの仲を深めていってくれ。
1つ、イリスの話の中で聞き捨てならない部分があった。
男爵家はイリスが治癒魔法を使えることを知っている?
しかも原作ではイリスに治癒魔法を隠すように言ったのは両親だったのに、今の話では男爵の言い付けだったことになっている。
男爵家の目的は王都の一等地にお店があるイリスの財産を略取することかと思っていたが、男爵がイリスの魔法の秘密を知っているとしたら話は変わってくる。
◇◇◇
いきなりだが、このベルン王国について話しておこう。
ベルン王国は300年ほど前に初代が建てた国で、周辺諸国には人間の国もあれば魔族やエルフ、獣人の国もある。
初代については肖像画はおろか名前すら伝わっておらず、ゆかりの品一つ残っていない謎の人物で、“狂王”と呼ばれていたそうだ。
善政は敷いていたが、国家樹立の際に多くの血を流したことや、敵対勢力などへは苛烈な仕打ちをしたためそのように呼ばれた。
狂王はとても強い魔法使いだったと伝わっている。なんでも彼が持つ魔法の剣に斬られると、どんなに少しの怪我でも必ず死に至るとか——。
彼の時代にも治癒魔法を使える人物がいたようだが、それ以降治癒魔法の使い手はイリスが登場するまで歴史の表舞台には登場していない。
故にイリスはめちゃくちゃ希少なのだ。
ベルン王家は狂王の直系の子ではなく、狂王の弟か妹の子が二代目ベルン王になったと伝えられている。
それから300年が経ち王家の魔力は弱まる一方で、ついには魔法が使えないフリーデルトまで生まれてしまった。挙句フリーデルトは8歳になるまで魂のない人形のような有様だったし。
そんなご時世に、後に“治癒の聖女”と教会に認定されるような治癒魔法使いの少女が現れたら、王家はどうしたってその血を取り込みたいと考えるに決まっている。
今回私はその事情を利用して、イリスとフリードリヒをさっさと婚約させようと考えているわけだ。
原作でもフリードリヒがイリスを愛しているという感情以上に、イリスを王家に取り込みたいという思惑が働いていた節があったし。
イリスはイリスそのものに価値がある。
根も葉もない言い方をすれば、イリスは高く売れる。
男爵家が金銭目的でお店を略取しイリスを不遇に陥れているのなら、イリスが治癒魔法を使えることを公表してイリスを王家に売りつけたほうがよっぽど金になるし、名誉にもなる。
イリスを男爵家の娘として王家に嫁に出せば、妃の実家として男爵家から伯爵家くらいにはランクアップしそうな手柄だ。
仮に王家が駄目でも、ボルドー公爵家かエヴァンス公爵家には売れる。
つーかボルドー公爵家が男爵家の本流だし、遠縁とはいえ身内から治癒魔法使いが出ればボルドー公爵家は絶対に保護する。ということは、男爵家はエヴァンス公爵家の追及をかわすためにボルドー公爵家を頼りはしたが、イリスの治癒魔法については秘匿しているということだね。
王家の人間は何故だかどの時代においても極端に少ない。
父である国王リチャード、第一王子フリードリヒ、第一王女フリーデルト、第二王子ルイ……このたった4人だけだ。先代も先々代の時代も、いつだってギリギリで血統を繋ぎ止めてきた。
そのため万が一王家が途絶えた時のための保険として、ボルドー公爵家とエヴァンス公爵家がある。
この二家は貴族の中でも別格だ。
王家が絶えた場合は二家から王を出すことになっており、他国に政略結婚に出されなかった王弟や王女などが頻繁に降嫁しているし、二家から王妃として王家に入る者も多い。
血という意味では、王家と二公爵家はほぼほぼ同じだ。
なのに男爵家はイリスを冷遇し、こんなところに一人で暮らさせている。
とすれば、男爵家には金銭以外に何らかの目的がると考えるのが普通だけれど……。
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