5.一縷の望み
【ベリル王国公記 ~狂王の章~】
残忍な王が死してなお、混沌は世界を包み人々の心を荒廃させたままだった。
何故ならば溜まりに溜まった恨みつらみ、悲しみ、苦しみ……ありとあらゆる負の感情は混沌と一つになりおぞましき呪い”ケイオス”となって、人々の心を病ませたからだ。
それを見たカラス神は、自分にはその混沌を浄化することが出来ないと言った。しかし治癒魔法を使える2番目の子が楔となりおぞましき呪いである”ケイオス”を押さえつけることで、数百年の後にその呪いを完全に浄化できると助言した。
1番目の子は2番目の子を犠牲にすることを拒否した。
1番目の子は自分が楔になり呪いを封じるから、2番目と3番目の子で呪いを浄化する魔法を組んでこの呪いが消え去るまで魔法を維持し続けるように命じた。
1番目の子は狂王、2番目の子はボルドー家の始祖、3番目の子はエヴァンスの始祖である。
◇◇◇
ラフィール教皇が述べた驚愕の方法。顕現したシルビアの呪詛の本体を討つためには、“治癒の聖女”つまりイリスの犠牲が必要だと言う。
そんなバカな話があるものか。
「お前っ! どうしてそんなことを今まで黙ってたんだ!?」
私は教皇に詰め寄った。
教皇が黙っていた理由――そんなもの聞かなくても明らかなのは分かっていた。私が反対するのが目に見えていたからだ。だから、このギリギリの局面まで具体的な呪詛の本体の倒し方を言わなかったんだ。
「私とて、イリス様に犠牲になって欲しいわけではありません。しかし彼女の力は浄化や解呪をするレベルに至っておらず、治癒魔法でアレを滅する力はありません。しかし彼女が命を犠牲にすればそれは可能になります」
「そんなことを認められるわけがないだろ! 他にだって方法はあるはずだ、公記にあったように治癒魔法使いが犠牲になる以外に方法があるはずだ!」
公記では狂王が代わりに犠牲になったはず。治癒魔法使い本人が死ぬ必要なんてないはずだ。
生贄が必要と言うのなら、どうせ極刑しかないヘンリーや、クーデターに組したモーリス男爵の命を使えばいいじゃないか。今自分がどれだけ非情なことを考えているのかは分かっているつもりだけれど、少なくともイリスが犠牲になるなんて認められない。
それに、もし……もしだ、最悪の場合は私が……。既に一度死んだ身の上だし。
「生贄が必要なら私が替わる」
私の一言に周囲がざわついた。
しかし私の主張に対して、教皇は慈愛の眼差しで私を見ながら悪魔のような言葉を口にした。
「いいえ、生贄が必要なのではありません。かつてケイオスを封じ浄化するために狂王御自らが治癒魔法使いだった弟を庇い楔となりましたが、今回は“治癒の聖女”自身の犠牲が必要不可欠。何故ならば、イリス様の治癒魔法のレベルが低く命と引き換えでなければアレを滅せられるほどの力を生み出すことが出来ないから。単に誰でもいいから生贄が必要と言うわけではないのです」
「そんな……」
「彼女一人、たった一人でいい。それで全員が助かるのですよ? 何を迷う必要があるのですか? 殿下、皆をごらんなさい。皆もそれを望んでいる!」
塔に逃れた十数人の人々の顔を見る。皆絶望と希望が入り混じった表情、そして“ただ一人の死を願う”感情がヒシヒシと伝わってくる。
少女一人の命を犠牲にすればと考える彼らを、私には責めることは出来ない。分かっているんだ、私だって。死にたくないと思う気持ちは――。
そっと私の手に触れるものがあった。
「イリス……」
イリスが私の手を取り微笑んだ。
「フリーデルト、私をあんなボロ屋から連れ出してくれてありがとう。私みたいな一般市民が王子の婚約者だなんて、夢みたいな経験をさせてもらったわ。普通に生きていたんじゃ絶対に知ることのなかった、想像すらできなかった世界を見ることが出来た。……いいのよ、もういいの」
イリスは覚悟を決めてしまっているのか、とても穏やかな語り口でそう言った。
私はイリスの震える手を握り返すことがどうしてもできなかった。
「殿下、よく考えてください。彼女一人が犠牲になれば、それで全て上手くいくのですよ? 彼女自身もそれでいいと言っている、皆彼女の選択を支持している。反対しているのは殿下だけです。……それとも殿下は、彼女の犠牲を拒んで全員を殺すおつもりですか?」
「でも……私は……」
何か、何かないのか? 他に何か選択肢が。
こんなことをするために、こんなことをさせるために私はイリスを城に連れてきたんじゃない。こんなことのために……。
イリスの治癒魔法のレベルがもっと高ければ、解呪や浄化が可能なレベルだったなら。原作の乙女ゲームのように、ご都合主義のヒロイン補正でどうにかなったのなら……どうにか?
「待って、じゃあイリスの治癒魔法がレベルアップしたのなら命をかける必要はないってこと?」
「……まぁそれができるのであれば、死ぬ必要はないですね。でも無理でしょう? もう彼女のレベルではそれができないことは、儀式の間に行く際に試してみたではないですか」
確かにそうだ。あの時イリスは何度やってもアレを完全に消し去ることが出来なかった。教皇が唱えた呪文をやってみても発動しなかった。しかし……。
「最後にもう一つだけ、試してないことがある。父上が持っているあの杖、それをイリスが使うこと。杖とか媒介があればもしかしたら上手くいくかもしれない!」
原作の乙女ゲームでイリスがフリードリヒを助けた時の条件と同じにすれば、もしかしたら原作補正とか何か奇跡的にどうにかなるかもしれない。
しかし教皇はその案に乗り気ではないようだった。
「杖が魔法の威力を増幅させるということはあり得ますが、出来なかったことが出来るようになるとは考えにくいですけれど……。それに下手に希望を抱かせておいて、いざやってみたらできませんでした、というのもイリス様にとっては酷というものでは?」
「だとしても私は可能性を見過ごしてみすみすイリスを犠牲にはしたくない!」
「……そうですねぇ」
教皇はうーんと悩みながら、塔から下を眺めた。王城の中層付近までは既にアレに飲み込まれているし、王たちがいる最も高い塔へは特にせり上がるスピードが速い。
「いいでしょう。まだ若干の猶予はあるようですから、試してみるのも一興。陛下のお持ちの杖をお借りするついでに、あちらの塔にいる皆さんをこちらの塔へ避難させましょう。このままでは陛下たちが飲み込まれてしまいますから」
そう言うと、フワッと天に舞い上がり王たちがいる塔へ飛んで行った。
教皇は暗黒物質が発射する弾丸のようなものをひらひら華麗に避けたものの、いくつか被弾しているように見えた。多少痛みがあるのか動きがぎこちなくも見えた。しかし無事に王たちがいる塔に到達した。
あとは王たちと一緒に、杖を回収するだけ。――のはずだった。
この危機的状況下で、一秒が惜しいこの状況で、何故か向こうの塔にいる彼らは揉め始めたのだ。
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