1.終わりの始まり
激しい揺れに飛び起きた。
かがり火に照らされて、ぼんやりと浮かんで見える天幕は大きく激しく揺れている。周囲から物が落ちる音や割れる音、崩れる音――とにかく様々な破壊音が聞こえてきた。
激しい揺れで足がもつれながらも、急いで天幕の外に出る。周囲を見れば皆慌てて天幕から出てきており、あたりは騒然としていた。
城への総攻撃を3時間後に控え、兵たちは既に起床し準備中だったようだが、集結していた貴族や教会関係者たちは就寝中だったようで半分寝ぼけながらも天幕から転がり出るように出てきている。
皆状況が呑み込めていないようで、揺れが収まるのをただじっと耐えて待っていた。
そりゃそうだ、ちゃんと感じるような地震なんて私がこの世界に転生してからの6年間、一度だってなかった。地震大国日本生まれだとつい地震を日常茶飯事と捉えがちだけれど、地震が少ない地域では震度3だって大騒ぎになる。
現代であれば震度5程度で倒壊するような建築物は、日本ではそんなに存在しない。
しかしここは乙女ゲームの世界、時代的には現代で言うところの1600年程度の西洋をモチーフにした、なんちゃって中世。そんなレベルの建物が震度5の揺れに耐えられるわけもない。暗くて何も見えないけれど演習場の建物や王城の方からも崩れるような音が響いていたし、かなりの被害があったのではないだろうか。
「殿下ご無事ですか!?」
30秒ほどの揺れが収まった後、エヴァンス将軍とセシルがすっ飛んできた。
「私は大丈夫です。酷い地震でしたね。色々なところから崩れる音とかがしていましたが、被害状況は分かりますか?」
「申し訳ございません、まだ周囲が真っ暗で何も見えず。ただこの演習場にいる者たちには怪我人などはいないようです。現在衛兵ができる限りの被害情報収集にあたっております」
「わかりました、将軍。城下の方は心配ですが、城下の市民の大半は郊外の仮設キャンプ地に避難済みだったので、建物の倒壊に巻き込まれているようなこともないでしょう」
「はい、それは不幸中の幸いでございました」
城への総攻撃の巻き添えになりかねなかったので、事前に住民を戦闘想定区域外へ避難させておいたのが功を奏した。地震の被害の範囲が王都のどれほどまで及んでいるのかは不明確だったけれど、多くの住民は倒壊した建物の下敷きになることは免れた。
「王城の被害も分かりませんよね?」
「城は頑丈ですので、そうそう崩れたりはしないはずです。かなり石積み等が落下するような音はしておりましたが、内部は総攻撃に影響するような損傷はないと思われます」
「そうですか。それならば総攻撃は予定通り決行します。おそらくこの地震は呪いの封印が解ける前兆――これだけの変異に見舞われている以上は、一刻も早く儀式をおこなわなければいけません」
私がそう言うと、将軍とセシルは顔を青くして頷いた。
私は落ち着いて2人にそう言いつつも、心の中は大荒れの大後悔時代を迎えていた。
やらかしてしまった。完全に読み違えた!
てっきり予兆である地震は微弱なものから段々と強くなっていくものとばかり思い込んでいた。公記には確かに“徐々に強くなり”なんて文言は書かれていなかった。完全に思い込んでいた。
当初思っていたような数日の余裕なんてあるようには思えない。多分もうタイムリミットギリギリ限界だ。
「殿下、総攻撃の予定時刻まで3時間を切ってはおりますが、既に準備は完了しております。……おそらく反逆者たちはこの想定外の事態に混乱しているはずです。決行時刻を早めたほうが事は有利に運ぶかと」
確かに将軍の言う通りだ。この混乱に乗じて奇襲を仕掛けるのは理想的かもしれない。それに私も一刻も早く儀式をしたい。しかし焦るわけにもいかない。
「確かにそうですね。しかしまだ真っ暗です。作戦では、事前に城に潜入した密偵たちができる限り人質を安全な方に誘導し、その間騎士団や貴族お抱えの傭兵団などが反逆者たちを制圧するという段取りのはず。せめて日の出を待って明るくなってからの方が良いのではないでしょうか?」
「その通りでございますね、そのほうが人質の救出は上手くいくかと」
「では時刻を早めて、日の出と同時に作戦を決行しましょう。日の出は何時ですか?」
「6時ちょうど程かと」
「では決行時間を1時間早めて、明るくなり次第総攻撃を仕掛けましょう」
遂にヘンリーたちに攻撃を仕掛けるときが来た。もう不安しかない。
私たちがヘンリーに負けるということはない、それは戦力差が歴然としているから心配はしていない。短絡的なアイツのことだ、王や王族の人質が居れば私たちが攻めてこないとでも思っているのだろう。潜入した密偵からの情報でも、連中は既に勝利を疑っていないらしく、連日酒を飲んだり騒いだりして浮かれているそうだし。
心配なのはどれだけ人質に被害が及ぶかということと、封印のための儀式が間に合うかということ。
あーもう! こんなことになるなら、作戦の日付をもっと早めるべきだった。今更後悔したってどうしようもないけれど、本当にやらかしてしまった。
◇◇◇
間もなく夜が明ける。
私は対策本部のある大天幕へ移動していた。
作戦の指揮は現場で将軍が執るので、私や貴族たちはここで待機することになっている。
皆負けるとは思っていない。しかし先ほどの地震の件があり、皆一様に“何かあるのでは”という不安と焦燥に駆られて落ち着かない様子だ。
「落ち着かない……」
そうボソッと呟けば、隣に座っていたイリスも同意した。
「あんな地震なんて初めてだし、何か不安だわ。将軍やセシルは大丈夫かしら……」
「みんな怪我無く帰ってきてくれればいいんだけど」
「もうすぐ夜明けね。新年あけましておめでとうと言い難い状況だわ」
「ほんとにね……」
続かない会話に気まずい空気が流れる。居たたまれなくなった私は天幕を出た。
寒い朝だ。しかし陰鬱とした天幕内より気分はマシ。
夜明け前の薄明かりの中、王城の方を見上げる。ぼんやり見える巨城の影は、地震による損傷は多々見られるものの大きく崩れているといったことはないように見える。
徐々に日が昇ってきた――気持ちの悪い夜明けだ。
天気はまぁそこそこ。朝日だというのに煌めくような輝きはなく、まるで世界の終焉かのような毒々しい赤さを帯びた気味の悪い色。夜明けと言うよりは黄昏に近い。これも封印が解けかかっていることの影響なのだろうか。
1月1日初日の出だというのに、縁起が悪い事この上ない。
日が辺りを照らし始めるのと同時に、戦闘音が響き始めた。ついに総攻撃が始まったのだ。
ここは緩やかな丘陵地の上なので、戦闘の流れ弾を喰らうことはないと思う。しかし緊迫した空気感はここまで伝わってくる。
自分にできることは何もないにしても、総攻撃を許可したのは私だ。誰も死なないなんてあり得ない……せめて自分の指示した末くらい見届けるのが筋というものだろう。
「殿下、お耳に入れたいことがございます!」
息を切らしながら、1人の衛兵が駆け寄ってきた。
「どうしましたか」
作戦に何か支障でもあったのかと思い、緊張が走った。
「先ほど王城裏手の湖に水を汲みにまいりましたところ、湖の水が全て跡形もなく干上がっている様子。先ほどの地震といい何やら異変が続いており、念のため殿下のお耳に入れるべきかと思い」
「は?」
あまりに予想外の報告に間抜けな声が出てしまった。
「湖が干上がってるって?」
慌てて湖の方を見ると、確かにないように見える。水が完全になくなっている。
「……報告ご苦労様。下がっていいよ」
衛兵を下がらせてから、私は自分の頬を強くつねった。……当然とっても痛かった。湖の方は3度見くらいしたけれど、何度見たって水はなかった。夢ならばどれほど良かったことでしょう。夢じゃない現実だ。
公記にはこんな異変は書かれていなかった。おそらく実験をしてみた数代前の王は、大地震に見舞われた時点ですぐに儀式をおこなったのだろう。しかし私たちはクーデターの最中で儀式をおこなえずにいる――封印が解かれる段階が一歩進んでしまったのだ。
一体あとどれくらいの猶予が残されているというのか……。
「全く……何でこんなになるまで放っておいたのです?」
いつの間にか隣にはラフィール教皇が立っていた。干上がった湖を見ている。
いつものような笑みは浮かべておらず、完全に真顔である。それが余計に事態の深刻さを物語っているように思えた。
私はただただ自分の不甲斐なさに落ち込むしかなかった。
もしかして――もう手遅れ?
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