9.黒歴史
寝ぼけまなこで目覚まし時計を確認する。
いかん! 完全に寝坊だ。
「ちょっとお母さん! なんで起こしてくれなかったのよ!?」
母に八つ当たりしながら朝食を口に押し込んで、急いで自転車に乗り学校に向かう。
今日は確かテストの日ではなかったか? 勉強した記憶がない。でもテストだから急いで行かなければ。
間に合った。上履きに履き替えねば……あれ? 私の下駄箱はどれだっけ?
急がなければ、急がなければ。早く、早く。遅刻する。仕方ないスリッパでいいや。
教室でテストを受ける。さっぱり分からない。適当に回答する。
次は音楽のテストだ。
私はホールの舞台袖に立っている。沢山の観客がいる。前の子がピアノを弾いている。
私は楽譜を見る。分からない、弾けない、練習した記憶がない。ピアノに向き合う。無理だ、弾けるわけがない。
ピアノなんてそもそも好きじゃないんだ。母親にやらされているだけ。辞めたかったのに、そう言うたびに「途中で投げ出してお前は何もかも中途半端だ」と言われたから、それが嫌で辞められなかっただけ。当然ものになんてなるわけもない。
舞台袖に逃げ込もう。あの暗闇の中に早く、早く。
暗闇が手招いている。行かなければ、あの闇の中に行かなければ。
舞台袖の暗闇に逃げ込もうとしたその時、誰かが私の手を強く引いた。
――暗転。
会社の飲み会は本当に面倒くさい。こんなもの時間外労働ではないか。
親睦? そんなもの深まるわけがない。上司に酒を注がねば、料理を取り分けねば、飲みたくもないのに飲み放題料金を払って数杯飲む。
あーウザイ。
二次会にカラオケとか、バッカじゃないの。歌いたいなら一人で歌えよ、上司さぁ、結局自分の歌を聞かせて上手いですねーとか称賛されたいだけだろ。こっちはストレスなんだよ。コミュニケーションをはき違えてんの分かんないわけ?
「次だよ、はいマイク」
手渡されるままにマイクを握る。あれ? 私曲なんて入れたっけ? 記憶にないけれど、そういうものなんだ。
好きなアニソンが流れ始める。よくカラオケで歌うやつ。
歌う。気持ちがいい。
ふと周りを見ると白けた雰囲気、そうか会社の二次会だものアニソンとかおかしいか。
急にいたたまれなくなって部屋から逃げ出す。
部屋の外の廊下は薄暗く、時折女性の悲鳴やら叫び声が遠くで響いている。……闇が迫ってくる。
部屋に戻ろうとするが扉が開かない。廊下がどんどん闇に包まれていく。
そして私は――誰かが私の手を強く引いた。
――暗転。
私は死んだ。私は今幽霊になって自分の部屋に佇んでいる。
母が私の遺品整理をしている。やつれた姿。
沢山の薄い本やオタクグッズ、鉱物コレクション、一つ一つ段ボールに詰められていく。
R18の表紙がヤバい本が並べられていく。恥ずかしい、何も見なかったことにして破棄して欲しい。
一冊のノート、あれは私が中2の時に授業の合間に書いていた設定ノートじゃないか。何故あれがここにある? そんなはずはない、だってあの黒歴史ノートは実家の部屋に厳重に封印したはず。
そのノートを母がまじまじと音読し始める。
「設定集、エリザベス・キラ・エル・リオンクール、悪魔と人間の混血児、天使たちに愛される美しい少女、銀髪に赤と青のオッドアイ、一人称は僕、神々の加護を受けて世界を救う救世主、女神フレイアが太古の盟約により転生した姿」
おいやめろ。や・め・ろ!
それを朗読するな! 頭がおかしくなる、気が狂いそうになる、それは過去に封印した黒歴史じゃないか!! 頼むからやめてくれ。苦しくて、恥ずかしくて、ベッドにダイブしてのたうち回りたくなる!!
何だよ! その設定盛りすぎキャラはよぉ!? そうだ、これは自分が作ったキャラクターの設定集。キャラ=自分の痛い妄想。うぁーっ!!
「ようこそ、†黒の天使エリザベス†の部屋へ」
「あなたは999人目の夢見人」
「キリバンおめでとうございます」
「なりチャ」
「裏ページ」
うおーっ!! それもNGだ!! 触れるな危険!!
おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい。何だこれは、何だこれは、何だこれは。私は何でここにいるんだっけ、何してるんだっけ?
そうか。
そうか。
そうか。
――これは全部幻か。
その瞬間、脳裏がはっきりとクリアになった。
幻――今まで夢の中にいるような感覚だった。
私は魔力を得るための試練を受けに来たんだっけ。それであの暗黒物質みたいなものを飲んだから、こうやって精神攻撃を喰らっているのか。
確か教皇がこの試練について『精神を抉られ、身を刻まれるよりも更に酷い苦痛を味わうもの』とは言っていたけれど、それってこういうことなの!?
母が読み上げる黒歴史の精神的ダメージもすさまじかったけれど、その前のテストとかピアノの発表会とかカラオケとか……実際にあったトラウマではない。生前に何度か夢で見たものがベースになったものだ。強迫観念のようなものが夢に現れたもの。どちらにせよ、トラウマのようなもの。
黒歴史を読み上げ続ける母を見る。
この母も精神攻撃が見せる幻……実家には正月に帰ったっきりで、何か月も会っていなかった。まさか親よりも先に死ぬとは、私はとんだ親不孝者だ。
幻でも会えてよかった、せめて触れたいと思い手を伸ばした。
その瞬間、今まで母に見えていたそれは暗黒を煮詰めたような漆黒の人型に変わっていた。人型は鎖で拘束されており、そこから動くことはできないように見える。
「なっ! キモッ!」
あまりにも不気味なその姿に後退りする。
漆黒の人型はこちらに手を伸ばしてくるが、鎖に拘束されて私には触れられない。
これは闇だ、暗黒だ。
もし私がこれに触れていたらどうなっていたのか? ピアノの発表会の舞台袖、カラオケ店の廊下、そして母。
コレに飲まれていたら私は……。
『それが何だかわかっているだろう?』
突然背後から声が聞こえた。慌てて振り返ると、1人の女性が佇んでいた。
超が100回くらいつくスタイル抜群の20代後半くらいの美女だ。あのレリーフに掘られた女神に似ている。
そして何となくわかった。二回、私がアレに取り込まれかけた時に手を引っ張って助けてくれた人。
「誰? なんで助けてくれたの?」
『アデライド、君は私の血族だから助けてあげられた。アレに――おぞましき呪いたるケイオスに飲み込まれないように、手を貸した』
あぁ、そうか。王家の者なら死ぬことはないってこの人が助けてくれるから大丈夫って意味だったのか。
アデライド、二代様がレリーフに刻んだ名前。一体この人は何者なのか――。
しかしそれを問う前に私の意識は朦朧としてきた。夢――いや幻が終わるのだ。
朦朧とする中で、アデライドの声を聞いた。
『決して血を捧げるのを欠かすなよ。浄化と拘束の術式を維持するためには、我が一族が血を捧げ続けなければいけない。いいな? 怠ればあのおぞましき呪いが解き放たれる。忘れるなよ』
――明転。
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