貴族としての勤め
時が経ち、俺も10歳になった。
それを祝い、家族でささやかながらも誕生会を開いてもらった。
どうしても、話題が俺の将来についてのことになってしまうのは玉に瑕であるが…
でも、嬉しかった。
10歳になったことだし、一応領主の家族の一員として何かしようと考えた。
父上や兄上と違って、訓練以外に何もやることがなくて暇というのが本音だが。
考えた結果、形ばかりではあるが、帯剣して領内を見回ることを始めた。
領民たちに問題はないかと声をかけて回るのだが、逆に褒められてしまう。
領民たちにとって俺は、領主の息子というよりも近所の子どもという感覚なのだろう。
お仕事ごっこを褒めてくれているようだ。
まあ、俺は真面目に取り組んでいるんだが…
俺の巡回警備が、当たり前の光景になった頃、その事件は起こった。
俺はその日、領地の東の方を巡回していた。
すると、何人かの領民たちが慌てた様子で走ってきて、俺に早く逃げろと言ってきた。
慌てていて要領を得ない領民たちの話を根気良く聞いてみると、近くの森でビッグベアーが出たとのことだ。
ビッグベアーは、大人の騎士でも3人がかりで戦わないと返り討ちに会う危険がある魔獣だ。
農民がいくら束になっても蹂躙されるだけだろう。
俺は、こんな時のために訓練を積み、巡回警備をしていたのだ。
これで逃げたら、本当に子どもの遊びになってしまう。
そう思って、領民たちの制止の声を無視し、目撃情報のあった森へと入っていく。
しばらく森の中を歩いていくと、前方の草むらがガサゴソ音を立てだした。
立ち止まり、そちらへ注意を向けた瞬間、ビッグベアーがゆっくりとその姿を現した。
2本足で立ち上がった体長は3mはあるだろうか。
目があった瞬間に、想像していた以上の恐怖が俺を襲い、身体が固まってしまう。
その間にビッグベアーがゆっくりと獲物である俺に近づいて来た。
逃げ切れない距離まで近づかれ、ごくりと生唾を飲む。
絶対絶命の状態にまで及んで、俺はなんとか開きなおることができた。
絶対的な力の差を感じながらも、気持ちで負けないよう息を吐きながら剣を抜く。
そして、魔力を練り上げ、刃に纏わせる。
時間がゆっくりと流れるような奇妙な感覚を味わいながら、瞬きもできずビックベアーを睨む。
身につけたことを全て出すしかない。
そう腹をくくると、剣を中段に構える。
小さな子どもといえども、刃物を構える相手に対して、ビッグベアーが様子を伺う。
向こうから攻められる前に先手をとろうと俺は判断した。
立ち止まっていたところから走り出し、一気にビッグベアーとの距離を詰める。
そして中段に構えた剣を横薙ぎに振るう。
魔力の残滓が軌跡を描きながら、剣の刃がビッグベアーを捉える。
しかし、初撃の奇襲にも関わらず、深く傷つけることができず、右の前足を少し抉っただけで刃が止まる。
魔力で強化していても、土台の身体能力が子どものものであるため、致命傷には至らない。
剣を無理やり引き抜きながら、必死で後ろへ飛びのく。
と、いままでいた場所にビッグベアーの左の前足が通過していく。
冷や汗をかきながらも、前足の大振りで出来た隙をついて、再度切りかかる。
上段から繰り出した剣が、ビッグベアーの左肩に食い込むが、やはり浅い。
さらに悪いことに、剣が食い込んだために、ビッグベアーの動きに合わせて手から離れてしまう。
怒り暴れるビッグベアーの動きによって、食い込んでいた剣は遠くに飛んでいってしまう。
たった2太刀浴びせただけで、無手となってしまった。
しかも致命傷は全く与えられていない。
圧倒的な不利な状況で、背中の冷や汗が止まらない。
一方、手負いとなったビッグベアーは、目を血ばしらせ俺を逃がす気など皆無な様子。
「火球」
今使える魔術の中で唯一攻撃に使える火球を放ち、距離を取ろうと試みる。
俺の狙いとは逆に、ビッグベアーは火球に被弾しながらもまっすぐ突っ込んできた。
火球はビッグベアーの肩口あたりを少し焦がす。
だが、突進を止めるだけのダメージは与えられなかった。
前足を怪我しているものの、ビッグベアーの突進は勢いと体重が十分に乗っている。
それに対して、俺は魔法を使ったままの状態で棒立ちだ。
結果、俺はビッグベアーの突進をモロに受け、吹っ飛び、木の幹に叩きつけられた。
強烈な痛みに死を予感しながらも、意識は朦朧としていく。
『…御主人様!
私の名をお呼びください、御主人様!』
夢の中で聞いた声だ。
ぼんやりとそう思った。
朦朧とした頭は、夢と現の堺を判断しずらくしていた。
「お前の名?」
声を出すと激痛が走った。
肋骨が折れているのかもしれない。
ビッグベアーは、最後のとどめを刺すため、俺を注意深く観察している。
だがそんなに時間もかからず、すぐにその牙で俺の身体を貫こうと再度突進してくるだろう。
『…御主人様!
御主人様の今の魔力でも、私ならば多少は干渉できるはずです。
私の名をお呼びください、御主人様!』
「お前の名など知らん!」
『私の名もまだ思い出せませんか…
それでも魂に刻まれた契約は有効なはず…
お呼びください、私の名を!
私の名は、≪アスモデウス》。【色欲】の≪アスモデウス》でございます!』
「とにかく、何とかしろ!
【色欲】の≪アスモデウス》!」
『かしこまりました!御主人様!』
折れた骨が肺を傷つけているのか、大声で叫ぶと俺の口から血が溢れ出た。
それと同時に、俺の目の前に見たことも無い魔法陣が浮かび上がる。
紫色に光るその魔法陣は、あまりも禍々しい色をしていた。
しかし、その光を見た瞬間、ホッとする自分がいることに違和感は感じなかった。
魔法陣から、腕が二の腕辺りまで出てきた。
人間の女のような細腕であり、それでいて人間ではないような白く美しい腕だ。
幻想的ともいえるその美しい腕がビッグベアーの頭部を何気なく掴む。
と、卵でも割るかのように簡単にビッグベアーの頭が粉々に飛び散った。
その異様な光景を最後に、俺は意識を失った。