貧乏貴族の次男
『…御主人様…
お目覚めください、御主人様…』
目を開けたつもりだったが、瞳の先には何も映らない暗闇。
いま、自分がどこにいるかも分からない。
しかし、どこか懐かしさを感じるため、不安はない。
どこかに横たわっていた身体を起こす。
『お目覚めですか、御主人様!』
聞いたことのない声。
しかし、自分が身体を起こしたことで、喜んでいる気配が伝わる。
「…誰だ?俺を呼んでいるのか?」
そう、暗闇に問いかけた途端、意識が途切れた。
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「…フリッカー。フリッカー!
ほら、早く起きなさい」
聞きなれた母上の声で起こされる。
目を開ければ、見慣れた自分の部屋だ。
質素な石造りの部屋に、木製の机と椅子とベッド。
決して裕福に見える部屋ではない。
しかし、清掃の行き届いた落ち着く部屋だ。
「おはようございます、母上」
「朝御飯ができているから、早く着替えておいでなさい」
「わかりました。ありがとうございます」
そう言うと母上は、部屋を出て行った。
自分もごぞごそと着替え始める。
麻でできた質素な服。
だが、しっかりと洗濯がされており、清潔感のある服である。
着替えが終わり、さほど大きくもない家の中をリビングへと移動する。
そこには、やはり麻で出来た質素な服を着た者たちがいた。
父上であるリンゼイと母上マーリン、そして10歳年上の兄上トラスだ。
いつも通り、ソラギ家4人での朝食が始まる。
我が家は、セイローン大陸の南西に位置するテュール帝国の貴族である。
とはいっても、所謂貧乏貴族である。
大陸南部のちょうど中央付近、帝国内部では東端に位置するソラギという土地を所領としている。
大陸東部に位置する妖精の森ブラギと接しており、国境となる場所である。
本来であれば、重要な拠点となりうる土地なのだが、現実はそうなってはいない。
軍事的にも、経済的にも、全く価値のない土地となっている。
その大きな原因が、妖精の森という国の在り方だ。
妖精たちは自分たちの文化だけにしか興味がない。
これが原因となり、長い間、他の種族との交流はほぼ皆無となっている。
そのため、帝国から戦を仕掛けない限り、侵攻の恐れが無い国境といえる。
また、妖精たちの住むブラギの森は、強力な結界に守られている。
一見、平和主義に見える妖精たちであるが、軍事力が皆無というわけではない。
妖精たちは、精霊を使役する者たちを中心とした軍を保持しており、この軍が意外にも精強なのだ。
森の強固の守りと精強な軍事力を背景に、他の国からの不干渉を勝ち取っている。
それが妖精の森と呼ばれる国である。
また、妖精の森は妖精たち以外の種族にとっては住みやすい土地ではない。
森の木々が鬱蒼と茂る土地であるが、それだけである。
妖精以外の種族が定住するには、大規模な開墾が必要となる。
つまり、攻めにくいうえに、奪い取っても旨みのない土地なのだ。
そのため、帝国と森の間の国境は、大陸の中で一番平和といっても良いのかもしれない。
そのような土地のため、軍事的価値はない。
また、妖精との交流もなしえないため、経済的価値もない。
ソラギ自身も肥沃な土地ともいえず、帝国中央から見ると全く無価値な土地であった。
そんなソラギを治める領主として、父上は任命され、治めている。
当然、税収もわずかで、貴族らしい生活など望むべくも無い。
しかし、父上も母上も、息子の自分から見ても清廉な気性をしている。
貴族としての誇りは持ちつつ、ソラギで暮らせる限度の生活をしている。
己の華美なものを一切排除し、税は適切に徴収し、時には領民とともに農作業なども行う。
贅沢さえ望まなければ、戦乱に荒れるセイローン大陸にあって平和に暮らせる土地となっている。
そんな土地を領民たちは愛し、領主一家であるソラギ家を慕っている。
俺は、そんな領主一家の次男として生まれ、今年で5歳になる。
将来的に領主は10歳年上の兄上が継ぐため、15歳で成人となった際には自立しなければならない。
そのために、これからどうするべきか。
まだ5歳でしかない自分には、具体的な方策は見つからない。
だが、自分も純朴な領民たちの笑顔に溢れるソラギを愛していた。
この長閑な土地で生きていく術をのんびりと探していこうと考えている。
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『…御主人様
お目覚めください、御主人様』
また、自分がどこにいるかも分からない暗闇で目覚める。
相変わらず、不安はない。
そこで、身体を横たえたまま、声をかけてみる。
「…誰だ?俺を呼んでいるのか?」
『…おお、御主人様!
お目覚めですか!?御主人様!』
「質問に答えろ。俺のことを呼んでいるのか?」
『失礼致しました、御主人様!
我々が御主人様とお呼びするのは、貴方以外にはおりません』
「我々?おまえ、1人ではないのか?
それになんで俺が主人なんだ?」
『…おお、御主人様…
まだ、ご記憶を取り戻されてはいないのですね…
しかし、貴方は間違いなく我々の御主人様でございます』
「だから、質問に答えろって」
『度々、失礼致しました。
貴方にお仕えするのは、私だけではございません。
私も入れまして全部で6柱おります。
他の者は、まだ御主人様の魔力が行き渡らず眠っております。
私も、まだ意識をもつのが精一杯の状態です。
やがて御主人様が魔力を取り戻すに連れ、元の状態に戻れるかと思います。
我々が貴方に仕えるのは、遥か昔に交わした契約でございます。
魔力を取り戻されるとともに、御主人様の記憶も蘇るかと存じます』
質問に回答が返って来たが、余計分からなくなってしまった。
次の質問をしようとした瞬間、意識が途切れた。
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今日は、兄上トラスとの剣術の稽古の日だ。
正直、憂鬱である。
まもなく6歳の誕生日が近いとはいっても、所詮5歳。
10歳も歳の離れた兄上に敵うわけがない。
いつもボロボロになるまで扱かれる。
父上も兄上も領主、次期領主として、出征の義務を負っている。
次男である俺には、その義務はない。
その代わり、領主になる権利もないのだ。
そのため父上も兄上も、出征があれば俺も連れて行き、武勲を立てさせたいようだ。
帝国軍で出世するなり、貴族として叙勲されるなりと俺の将来を思ってくれてのことらしい。
正直、自分としては、この長閑な土地で普通に暮らせればよいのだが…
ただ、そんなことを言える立場ではまだない…
もう少し大きくなったら、本気で相談しようとは思っている。
それを無碍に否定する人たちではないからだ。
今日は剣術ではあるが、魔術の訓練の日もある。
自分は、どちらかといえば、こちらの方が性に合っている気がする。
俺から見ると、辺境の領主親子にしては2人とも強すぎる気がするのだが…
俺が、まだ5歳だからだろうか?
たまに訪れる行商人に、魔法剣士はかなり珍しく、戦では重用されると聞いた。
父上も兄上も、その魔法剣士なのだ。
若き頃の父上は平民ではあったが、その武勲で貴族になれたらしい。
平民出身ゆえ、このような辺境の地に封ぜられるのが限界だったようだが。
そして、今日も今日とてボロボロに扱かれ、夕食の時間になってようやく解放された。
「フリッカーは、魔法の才は著しいのだが、剣の方はまだまだ鍛錬が足らんな」
「両方の才能に恵まれた兄上と比べないでくださいよ」
「いや、剣の腕さえ磨けば、俺よりも…もしかしたら父上よりも強くなるかもしれんぞ」
「いやいや!父上どころか、兄上を超える日すら想像できませんよ…」
「今はそう思うかもしれんが、お前はまだ5つだ。鍛錬次第でいくらでも伸びるぞ!」
そういえば、魔術の訓練をした後に、あの変な夢を見るようになったな。
そんなことをぼんやり考えながら、兄上と一緒に家に戻るのであった。