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雪の花  作者: 雉ヶ坂子子
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 色が付けられたガラスを通して差し込む月の明かりで照らされた御堂の床に膝を付き、頭から白い布をかぶった人物が一人、しんとした空気に身を寄せていた。

 まるで彫像のようにぴくりとも動かず、その人物は白布の隙間から覗かせた双眸でガラス越しの月を睨み付けている。その瞳が時折瞬くことさえしなければ、この場を見たものは誰もが御堂に、披露前の彫刻が一体置かれているとしか思わないことだろう。

 しかし、その彫刻はゆっくりと肩を上げ、膝を床から離し、立ち上がった。

 身の丈は成人男子の平均的なものだろう。

 頭からは白い厚手のベールを被り、顔も目を除いたすべてが白い布で覆われている。そしてその身がまとっているのは、ムルカの神官たちが着る銀糸で袖や裾に国印である五片の花弁を持つ花の刺繍がほどこされた法衣であった。

 それだけで、この人物がムルカの神官の一人であることを証明している。

 ムルカは神を唯一王として崇めている国家だ。

 それゆえに神に仕える神官たちの地位は非常に高い。中には金を積み、神官の地位を買おうとする者もいるらしいが、そういった輩が神官になることはけしてない。

 あくまでも神官は精錬潔白な魂を持つ者のみが選ばれ、就くことができる地位であり、その基準に満たされる者であれば、たとえ異国の民であろうとも出自をこだわられることはなかった。

 だが、その基準というものがいかなる判断により下されるものであるかは神官となった者以外に知られてはおらず、それゆえに神官職にあるものに対して国民が向ける視線は神に向けられるものとほぼ同等とまでなっていた。

 今、この御堂に立つものもまた、その基準とやらを満たし、神官服をまとうことを許されたのであろう。

 足先までを隠す長い法衣の裾が床をすべり、その者が動き出した。

 長い影がその者が行く道を暗くしている。しかし、その影を払拭するように不意に光が現れ、一人の老人が御堂の扉を開けた。

「ここにおったか、リセツよ」

 老人が年月を感じさせる声で神官に言葉を投げ掛ける。

 神官に敬意を払わないムルカの民は一人としていない。長に選ばれた神官の子供でさえも神官の地位になければ、大神殿に住むことが許されても、神官に対して気軽に声を掛けることはできない。

 それでも、老人がこの神官に対して掛けた声はごく普通の青年に対するもののようであった。

「星が動いておりましたので」

 布地越しに口を動かし、ややくぐもった声で神官が老人に言葉を返す。

「ラジークの殿下はそう長い御命ではないようです」

「そうか……」

「それも、かなり厳しい末路が待っております」

 神官の声には抑揚が少なく、それゆえに口にされる言葉の端々に不思議な空気が漂っていた。

 その言葉を受け、老人が両方の眉尻を下げ、ふっと寂し気な笑みを浮かべた。

「やはり、お前も視えるか」

「はい」

 老人が手に持つランタンの明かりにより、神官の瞳の色がくっきりと照らされる。

 その色は黒。

 純白を最も尊い色として定めているムルカにおいて、黒は良い意味合いを持つ色ではない。裕福ではないムルカの中でも、特に治安の悪い地域では黒眼を悪魔の印として忌み嫌う町もあるという。そして、青眼が国民のほとんどを占めるムルカでは黒い瞳を持つ者は他国出身者以外に考えることができない。

 それを証明するかのように、同じくランタンに照らされた老人の瞳もまた淡い青の色をしていた。

「悲しいかな」

 老人がぽつりと呟く。

 神官は睫毛を伏せ、黒の色を消すように瞳を閉じた。

「変えられるものだと信じたくとも、視えてしまうものは偽りと呼ぶには生々しすぎる。あの方の時も、そうだったものだ」

 老人の目はまっすぐに神官を見ているようで、その実はどこか遠くを見ているようであった。

「だが、リセツよ。たとえ真実が視えようとも、現実は今ここにあるのだ」

「はい」

「年を取ると、時に過去を悔やむことがある。

 だが、過去はあくまでも過去でしかない。重要なのは、今がどうであるかだ」

 老人は手にしたランタンの火が細くなり始めたことも気にせず、宙を見据えた。

「さあ、帰ろう。もう夜も遅い」

 その青い双眸には別のものが映っていることを分かった上で神官は頷き、衣音をたてた。

 ふたつの影が連なり、御堂の扉を閉める。

 その中で、色塗られた月明かりだけが変わらず御堂を照らしていた。



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